演劇と社会の、距離感やバランス


演劇企画ニガヨモギとして舞台の企画を主催している立場ではありますが、それ以前にひとりの人間としての個人的な観点で。

演劇をはじめとした芸術分野の価値観と、それらを踏まえた上で、わたしが今回の公演を中止した理由を書いていきます。



わたしは演劇だけでなく、何事にも

小さなコミュニティをはじめとした、

大きな社会との距離感やバランス

それは常に測り続けてしまいます。

とくに演劇においては、自分の情熱は間違った方向に燃えていないか。正解のないことだとわかりつつも、気になってしょうがないのです。



自分がやろうとしていることは何なのか。

自分がやっていることは、周りの人や社会に於いて、どんな立場で、どんな作用を起こすものなのか。

これは演劇以前に、きっと人としてみんなも常に確認し続けていることなのだろうと思います。


わたしたちはこの社会で生きていく上で、常に他人と育まれていく営みから切り離れて生きていくことはなかなかできません。

少なくともわたしはこの社会の中で自分ひとりの力で生きていく力はない人間ですから

なるべくならばひとつのコミュニティの価値観に染まりなくない

という気持ちがあります。


その理由は演劇を続けるためとかそんな問題以前に、そのほうが人間としての自分が生き残る居場所を確保できる確率が上がる気がするからです。たぶん。

そのためには情報収集をかねて、いろんな人の意見も耳に入れていく必要があります。


社会の中で生きながら演劇をする上ではやはり、以下のような価値観の人とも向き合う場面があります。

演劇をはじめとした芸術分野に

触れなくても、生きていける人はいる。


コロナ騒動が始まってから、これについてはさまざまな場所で議論されてきたことだと思いますが。

それらの分野のために命を削ったり、時間やお金をあげられない人も大勢いるということ、わたしはそれをなるべく否定したくないです。

そういう人もいるということを、ありのままの情報として受け止める。

できればそれを、いつでも念頭に置けること。

それがわたしの理想です。

否定する理由にならないのは、芸術分野の価値を知るタイミングは興味や知識欲だけでなく、運や縁も大きく左右するから。



様々な人がいるという認識の上で、その中からほんの一部、演劇を見る人がいる。

様々な立場や業種、全ての人が繋がってできているのが社会であり、その中のひとつに芸術分野があること。


その理解と客観的な考察と希望を、わたしはいつでも心のどこかに欲したいのです。

②につづく