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ぼくは「ムズング」

僕が初めてアフリカ大陸で足を踏み入れたのはケニアだった。

首都ナイロビから車で10時間くらい行った先の
タンザニアの国境に程近いミゴリという所で、
3週間のワークキャンプに参加した。

詳しい話は書き進めているマガジン「たびのはなし」に譲る。


好奇の目

ミゴリは外国人が普段来るような場所ではないので、

当たり前だが周りはみんな黒人だ。

それだけに僕たちアジア人やヨーロッパ人は珍しく、周りからは好奇の目が注がれる。

町で、バスで、バイクで、飲食店で、買い物で、道端で。

とにかく声を掛けられまくるし、みんな寄ってくる。

「どこから来た?」「どこへ行く?」「金くれよ」

「遊ぼうぜ」「飲もうぜ」「俺んちに来いよ」

色々な話しかけ方はあれど、人生でこんなに人気者になったことはないので、

さながら気分は芸能人のようである。



現地でしか分からないニュアンス「ムズング」

何日か経って、気づいたことがあった。

行く先々で見ず知らずの子どもたちが、

僕たちボランティアメンバーに向かって

無邪気な笑顔で「ムズング!!」と言って手を振ってくるのだ。

最初のうちは意味も分からないので、とりあえず笑顔で手を振り返す

ということをしていたのだが、どうやら

「ムズング」は「白人」や「外国人」という意味らしい。


「そうか、ここでは黒人が普通で、それ以外は珍しいのか」

「つまり僕はここでは少数派(マイノリティ)なんや」



アフリカにいると、黒人が圧倒的にマジョリティで、

それ以外の”肌の色が薄い人たち”はマイノリティだ。

日本であれば黒人は珍しく、街中でも目立つ。

相対するとちょっと一瞬身構えてしまうのは僕だけだろうか。


しかし、ここでは立場は真逆だ。

ケニアに来てしばらくの間は、

道行くケニア人全員が強盗に見えたし、

人込みの中で”白人”を見つけるのは容易だった。色で分かる。


「ムズングぅ!!」と手を振って呼ばれては

笑顔で手を振り返す、というこの一連の流れも、

続くと段々ストレスに感じられてきた。

だって僕は「ムズング」じゃない。

僕にはちゃんと親からもらった大切な名前があるし、一人の人間だ。

僕は日本人だ。ジャパニーズだ。


外国人をバカにしているのか、軽蔑の目で見ているのか、

沖縄でいう「うちなんちゅ」「やまとんちゅ」的な感じなのか、

真意はよくわからないし、おそらく良くも悪くも色んなニュアンスが「ムズング」には含まれているのだろうが、言われる側としては気持ちのいいものではないことだけは間違いない。


日本で言えば、

黒人を見ると「黒人や!」

白人を見ると「白人や!」

外国人を見ると「ガイジンや!」

と声高に叫ぶようなものである。

実に失礼なことである。


それが悪気がなく言ってくるし、腹が立って無視しようとしても

相手は大半が子どもである、反応しないとずっと言い続けてくる。

正直、結構ストレスになっていた。

でも、多分彼らは僕たちがどういう気持ちで「ムズング」を聞いていたかはわからないだろう。

ただ、仲良くなって名前を憶えてくれれば、「ムズング」と呼ぶことはなかった。



自分はどうか?

日本で普通に生活していると、外国人は珍しい存在になる人が多いと思う。

隣に外国人が引っ越して来たらちょっと緊張するし、警戒心だって起こるかもしれない。

観光客でも定住でも、日本ではマイノリティとして一時を過ごす彼らにとって、

僕たちが送る視線や対応や言葉は、

無意識のうちに嫌な気持ちにさせているのかもしれない。

警戒心を抱いた応対やコミュニケーション、

道ですれ違う時の一瞬のチラ見、

日本語がわからず戸惑っているのに、

列が込み始めてイライラしたりする改札。


ここではわかりやすいように書いたものの、

「黒人」や「白人」や「ガイジン」という表現も、

正直どうかと思う。

「そんなシンプルな話じゃないやろ」って思う。

そしてその呼び方さえも、彼らに不快な気持ちにさせているのではないだろうか。



Black lives matter

「Black Lives Matter」がトレンド化している。

これはアメリカでの黒人白人の話だけではないと思う。

身近で言えばLGBTや在日もそう、

あらゆるマジョリティ・マイノリティの話の一つだと思う。


しかもそれはたまたまその場所であっただけで、

マイノリティの人達は場所が変わればマジョリティだ。

会社内も、地域内も、場所が変われば

立場はたちまち逆転するかもしれない。

出身地という括りで言えば、京都出身の僕は熊本ではマイノリティだ。

でも熊本の人が京都に行けば立場は逆転する。僕はマジョリティになる。

つまり、人自体は何も変わっていないのに、

場所が変わるだけで偏見差別を受ける可能性がある。

僕たちは時にマジョリティであり、時にマイノリティになる。

どちらも持ち合わせているのではないだろうか。


僕はレゲエやソウル、ヒップホップカルチャーが好きだ。

彼らの発信してきたスタンスやファッションなど、

それは自分の生活に、思想に影響を与えている。

アフリカの文化やモノも好きだし、そこで古くから脈々と

暮らしている彼らをリスペクトしている。

しかも人類の起源はアフリカである。

めっちゃ極端に言えば人はみんなアフリカ出身だ。


「みんなちがってみんないい」なんてキレイごとだ。

言葉で言うにはたやすいが、それを行動で表せているだろうか。

知らず知らずのうちに、偏見や差別的な目で見ていないだろうか。

自分にとって「異質」なものをどう見ているだろうか。

キレイごとだけど、そのキレイごとが実現する世界を見たい。


そのためには、自分の行動を注視していきたい。

「違う」ことを面白がりたい。


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