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皆それぞれの勘違いで生きている。なら「自分」を生ききる

最近、スピリチュアルな経験をすることが多くなりました。

唐突ですが。


ほんの数年前までは、”スピリチュアル” と聞くと

「はあ?」

みたいな、まるで信じてもいなかったんですが、

実際そういった出来事が目の前に現れたり

話を聞いたりしていると、

「どうやらそのようだ」と思う(正確に言うと感じる)ようになってきて。


それが正しいとか、間違ってるとかヤバいとか

そういう話ではなくて、

自分が「ある」と思えば、「ある」。

最近そう思うようになってきたんですよね。



感情は嘘偽りのない、自分だけのもの

そもそも、

みんながみんな「自分」という概念を持ち合わせて生きている中で、

相手の気持ちを100%理解したり、

自分の気持ちを100%伝えるということは難しいと思います。

共感はできても、

自分は相手にはなれないから、相手は自分にはなれないから

ですよね。


だからそれを人によっては

文章にしたり、音楽にしたり、踊りにしたり、絵にしたり、

いろんな形で表そうとして”表現”があるのだと思います。


それを突き抜けてできるからこそアーティストはアーティストになりえるわけで。



そんな中で誰しもが持つものが感情で。

この感情というものに日々向き合うということは、

ある種面倒で、つらい側面もあったりするかもしれません。


例えば、何かのきっかけで人に腹が立ったとして。

間違いなく自分の中では腹が立っている。でも、

自分の中では、「イイ人でありたい」と思うがあまり、

「こんな怒りを感じている自分はダメだ」と

責めては苦しい思いをするといったような、そんな経験はありませんか?


でもその時感じた自分の感情というものは、

何物にも代えられない自分だけの、ピュアで素直なもので。

それを頭で考えて「違う」「こんなこと思ってはいけない」と

目をそらそうとするから、苦しい。


そうではなく、「なぜ自分はこう感じるのか」

を考えることが最近できるようになってきて。


するとさっきの例でも「腹が立った」ことが、

「認めてほしかったのに認められなかった悲しさ」だったと知る。

「そうか、この感情は悲しみから来ていたのか」と。




いま、いのちがあなたを生きている

僕は、

人間は生まれてきては寿命を迎えて死んでいく、

ただそれだけで、ただ生きているだけで、

仕事をしようが遊ぼうが、何をしてようが

偏った言い方をすれば無意味な存在だと思ってきた節がある。

人間は自然の一部であり、自然と生まれて自然に還っていく、

ただそれだけでしかない、と。



でも、最近こう思うんです。

使命を持ったエネルギー体(魂ともいうべきか)が宇宙なのかどこかに存在していて、

それが寿命80年ほどの肉体に入り込んで、

80年くらいその肉体の世界(この世)を堪能する。

その間に「これだ!」という自分の使命に気づくことができればそれは素晴らしいことだし、

気づけなかったとしてもそれ自体悪いことではない。

今じゃなかった、それだけ。

それを繰り返しているのではないかと。


「子は親を選んで生まれてくる」とも言うし、

実はこの世に誕生する以前から無意識レベルで

エネルギーとして存在していて。


それを生まれてくる環境、月日、性別、

色んな意味を持って選んでくる気がしている。


なのできっとあたなも僕も、意味があってこの時代を生きて、

意味があってタイミングで出会っている。

偶然なんてなく、すべて必然です。



そして、環境や人生は自分で変えられる。

もし「変えたい」と強く思うのであれば、

そう思わせたあなたの環境がくれた、あなたへの命題の答えです。

目の前の現実は、自分への問いや気づきでしかない。

すべて自分に必要なヒントが、ベストなタイミングで起こっている。

今目の前で起こっていることが嫌なことだとしても、

それを今の時点で「悪いこと」と判断せず、

「良いこと」への布石だととらえる。

すると未来から見たときに

「あの時のあれがあったおかげだ」

と感謝できると思うんです。


今僕はとある病気で入院してますが、

これはまったくもって偶然起こったことでなく、

「うわ最悪や~」と思うことでもない。

「最近忙しくて一人になりたい」という声にならない感情が、

溜まり溜まって起こしてくれたものなのだと気づく。

僕の思ったことが、叶っただけの話である。

そう確信しています。



まとめ

何が言いたいかっていうと、

自分の本心は自分のものであって、他人のものではないんですよね。

だから周りがどうのこうの言ってきたとしても、

自分がそう感じたならば、それが正解であるということです。


周りからちやほやされるような立場であっても

「自分は不幸な人間だ」と思えば、あなたは不幸です。

周りから見て無惨でかわいそうに見えても

「自分は幸せな人間だ」と思えば、あなたは幸せです。


何一つ、周りの世界が自分の見えている世界を決めているものはなく、

全部、自分が決めている事。


その中で、僕は自分のいただいた名前の意味に使命感を感じていて。

昔はピンとこなかった自分の名前も、

親がこの名前に選んだ理由や意味、

それぞれ必然だったんだろうと。

何なら親もその名前に導かれたんだろうという感覚。


これも、僕がそう感じたからそうなんですよ。

周りが何と言おうが、僕はそう思うので。


そんな感じで、それぞれ同じ世界で生きているようで、

皆それぞれの解釈で正解を持っているし、皆勘違いして生きている


思い思いに、自分の確信や正しさをもって生きていけばいいんじゃないかな。

それを尊重し合えて。

だから、あなたの確信する世界観で、進んでいけばいいと思うのです。

それが、人生を全うする、生きるということなのだと思います。




しかしながらお尻は痛い。

KG Miyamoto






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