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MAMANARANAI
THA BULE HERB久しぶりに聴きてえなってYouTube漁って、OK余裕だよなーなんつって考えてたら4月から全曲デジタル配信開始だって、こういう偶然が嬉しい。
目黒からの帰り道、桜の花はもう散ったのかなと思ってたけど、案外まだまだ綺麗に咲いてて、しぶといなあと思う。お酒飲めないけど花見がしたくなる。中目黒駅前の横断歩道は、桜を見に来た人たちでバカみたいにごった返していて、まあこれも毎年の
君に届くな/ディスティニー要らない
この世のありとあらゆる事象に本当のところ必然性なんてない。神様の思し召しも因果応報も本当には存在しなくて、あるのは偶然だけ。偶然産まれたり偶然死んだり偶然出会ったり偶然別れたり偶然酷い目に遭ったり偶然楽しいことばかりで生きていけたりする。善いことをしている人間に幸福が訪れることはなく、悪事を働く人間に天罰が下ることもない。世界はそういう不条理の上に成り立っている。
けれど、人は不条理に耐えること
意味付けをすること。
時々、世界の仕組みというか運命というか繋がりというかなんと表現していいのかよく分からんのだがそういうものに気づいてしまったのかもしれへんなこれはビビビと、電波的なものを受信する時があるのだけど、それは別に何か大したことが起きたときじゃなくて、むしろ日常の生活に勤しんでくるときに飛んでくるので面白い。
サムシングなグレートなんてものはもちろん存在しない。神も仏も人が人のいぢましさ故に作り出した、い
岸政彦さんの『断片的な社会学』を読んで思ったこと。
僕の生まれた町は田舎だ。トマト栽培のビニールハウスや畑の横をずっと歩いて行くと海に突き当って、そのすぐ近くに小学校が建っている。海岸線沿いにはずらりと公営住宅が立ち並んでいて、町の名前に「新」が付く。公営のある新町の方は雑多な人々が集まり、僕が住んでいた旧い町の方には農家の人々が多かった。
人口は新町の方が多くて、学校が終わる頃になるとそこかしこで子どもたちが遊んでいた。僕が学校に通っていた時代