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ささやかなシアワセに気づくこと

私が幸せに気づいたのは、母が亡くなってから。

初めての恋に夢中になっていて家族なんてうっとおしいと思い、自分が守られていてどんなにしあわせか気づけなかった。

過去形のしあわせだったけど。

幸せじゃない方にいた人は幸せだとか、そうじゃないとか言葉にすることすらできず、ただ淡々に状況を受け入れて、生きるしかなかった。

川っぺりムコリッタ 荻上直子

川べりに建つハイムムコリッタ。家族も生き甲斐もなく、ひとりで生きたいと思っていたはずの「僕」は図々しくて、落ちこぼれで、繊細で、人間らしいアパートの住人たちに囲まれ、少しづつ「ささやかなシアワセ」に気づいていくー。

講談社文庫

母親に捨てられ、食べるために悪いことばかりして刑務所に入り、前科者はささやかなシアワセを感じてはいけない、と思っていた「僕」。

でも、知ってしまった、ささやかなシアワセ。やさしい人に出会えたから。
やさしく、哀しく強い人ががいっぱいだ。

私の推しは「僕」が働く工場の社長さん。大きな声だし、すぐ肩をたたくようなスキンシップをしてきて、やさしいというかうざいのだけど。

社長さんの言葉が響く。

毎日コツコツとはよく言ったものでさ、その意味がわかるには、それだけの年月がかかるんだよ

「僕」が十年先まで毎日、同じ作業を繰り返すことに意味があるのか、との問いに対してだ。ベテラン社員の中島さんも好き。厳しく不愛想なところがいい。三十年以上同じ作業を続けているという姿勢も好き。じみーで真面目な人に惹かれる。

役所の堤下さんもいい。彼は身元不明の孤独死の火葬に携わっている。堤下さんのように真摯に仕事に向き合い、誠実でありたいと思う。

ピアニカで会話をする洋一くんも好き。「僕」は音で洋一くんの心がわかる。彼らは同じ哀しみを知っているから共鳴できるのだろう。

今だから、私もささやかなシアワセを知っている。美味しいご飯を食べられること。あったかいお風呂。あったかいお布団。ひとりでないこと。

だけど、子どもの頃は母が作るごはんは、当たり前でそれを幸せと思わなかった。

祖父が突然亡くなり、続いて母、その1年後には祖母が自ら命を絶った。

生きることに必死で、幸せだとか、そうでないとか、そんなこと考えることもできなかった。

「僕」のようにただ息をしていた。

あの頃はよかった、あのときは、たぶん幸せだった、

みんな過去形だ。

しあわせが過去形で語られることのないよう、ささやかなシアワセを大事にしたい。

わたしにとっての社長さん、中島さん、堤下さん、洋一くん、ムコリッタの住人たちが、それを教えてくれました。

何もない人なんていない。
誰にでも、抱えていることがある。
誰にでも、ささやかなシアワセがある。
誰にでも、ムコリッタが流れている。

ムコリッタとは仏教の時間の単位のひとつ。生と死は生活の中に当たり前に存在している。

重たいだけでなく、軽快で泣いて笑えるやさしい1冊です。


Mrs.chocolate  チョコさん。

映画もご覧になってて、主人公の山ちゃんがお勤めしていた水産加工会社のロケ地になった、蛯米水産加工の海産物をお取り寄せもしていて。イカスミ入りの塩辛。

腸には幸せを感じる感情があると書かれてました。出汁などの旨味成分を摂取すると腸が喜ぶと。

こちらの感想文も秀逸です。感じて考察する力はもちろんですが、作品を読み込む力、わかりやすく文章に興し伝える力がすごいです。

同じ本を読んだというささやかな共通項。ああ、そこか、という感じ方の相違、同意。

感想文はおもしろい。

「読書の秋2022」の企画は、こうして他の方の感想文を読んで読みたくなったり、共有したり楽しめます。ありがとうございました。

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