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【益子町観光協会/栃木県民藝協会公認】 陶芸家が案内する、あたらしい益子焼ツアー Vol.1濱田友緒

みなさん、こんにちは!今回ご紹介するツアーの舞台は、栃木県益子町。ご存じの方も多いと思いますが、そう益子町といえば、日本が世界に誇る「陶芸の町」。現在、益子町では窯と作家を含め、約400名ほどが作陶。年に2度開催される陶器市には、全国から約60万人もの人が訪れるといいます。こう書くと、観光産業も順風満帆な町と思われるかもしれませんが、決して課題がないわけではありません。

ツアーの舞台となる「濱田庄司記念益子参考館」。陶芸家の濱田庄司が、作陶の参考として蒐集した品々を多くの人たちに共有し、「参考」にして欲しいとの願いを込め、1977年に開館。

 陶器の生産量の減少、窯元や陶器店の後継者問題。そして、陶器市の賑わいとは程遠い普段の静かな町の姿etc.……。陶器市のタイミングだけでなく、年間を通じて来訪者や関係人口を増やしていきたい。この町を訪れる人に、町自体の魅力ももっと知ってもらいたい。そんな課題の解決に向けて奔走するDMO法人「ましこラボ」や「益子町観光協会」、益子町はもちろんのこと陶芸家の方たちや町のみなさんにもご協力いただきながら、僕たち「ニッチャートラベル」は「陶芸の町」の魅力を発信していくツアーをシリーズ化していきたいと思っています。 

濱田庄司が使っていた当時の姿で今も残る細工場。名陶の息遣いが今も聞こえてくるようだ。
塩釉(しおぐすり)と呼ばれる釉薬専用の登り窯

そんなツアーの記念すべき第一回目のナビゲーターを務めてくれるのは、陶芸家の濱田友緒さんです。友緒さんは「民藝運動」の主導者のひとりとして、柳宗悦や河井寛次郎を始めとする同人たちと活動をともにし、1930年に「濱田窯」を開窯した人間国宝・濱田庄司のお孫さんであり、現在はその3代目として作陶に励むだけでなく、濱田庄司が民藝運動の中で蒐集した国内外の工芸を展示する「濱田庄司記念益子参考館」の館長も務めています。 

今回のツアーは、益子町がいかにして「陶芸の町」となったのか? その歴史や風土、陶芸自体の魅力を学ぶ、とっておきの益子入門編! ここからは、濱田友緒さんにご登場いただき、お話を伺っていきたいと思います。


濱田庄司の朋友、バーナード・リーチの作品を解説してくれる友緒さん。イギリスのセント・アイブスと益子は、時を超えて今もしっかりとつながっている。
濱田窯長屋門には、濱田庄司とバーナード・リーチのロクロ場が。右にリーチ、左に濱田が座り、互いに顔が見える向きで作業していたという。

益子焼のはじまりの歴史

 
_今回、友緒さんとご一緒することができて、本当に嬉しく思います。詳しくは、ツアー当日にお話しいただけたらと思っていますが、まずは簡単で構いませんので、益子焼の歴史とルーツについて教えていただけますか? 

濱田_益子焼の起源は、今から約170年前。江戸時代末期に、当時の益子村に黒羽藩の御用窯が置かれ、笠間焼の技術を持ち込むことで出発しました。しかしながら、1871年の廃藩置県で御用窯は解散。藩の力のないまま、民間の窯元として本格的にスタートしたんですね。

当時は瀬戸焼や信楽焼の技法で、水瓶やすり鉢、土瓶等の商品を作って欲しいという首都圏からの需要に応えて、職人がやきものを焼いて、問屋さんが商いをする。そういう業者の町だったので、元々産地としてのアイデンティティがあったわけではないんですね。

と、しばらくはそれで良かったんですけど、近代になってインフラが整備されてくると、水道があれば、水瓶はいらなくなるし、土瓶もヤカンに変わるし、どんどん注文が減ってくる。産地として元気がなくなり始めた頃に、濱田庄司が益子に入ってきたんですね。

濱田庄司が目指した、益子焼の未来像。

_濱田庄司といえば、「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という言葉が有名ですが、どうして彼は益子に窯を開こうと思ったのですか? 

濱田_濱田庄司は昔ながらの素朴な民藝の職人の仕事に惚れて、益子に入ってきたんです。この町なら自分のいい仕事ができると。でも、作るものは民藝品ではなくて、テーブルウェアなんですね。お皿とか湯呑みといった食器類とか茶道具とか。

益子でこれまで作られてこなかったモノを作って、作家として高い評価を受けて成功していくわけです。同じモノを繰り返し作ってきた職人からしたら、一個ずつ湯呑みの形が違うというのが、まず衝撃だったみたいで。「あんなバラバラな違うモノばかり作る人に話聞きにいっても、腕が落ちるだけだから行かん方がいい」みたいに言われたりもしたみたいです(笑)。 

参考館に展示された濱田庄司の作品。その力強さに圧倒される。
4号館には、濱田庄司が愛用した家具の数々も。

_すごく面白いエピソードですね(笑)。濱田庄司は民藝運動の主導者なのに、個人としては作家としての器作りに没頭していったんですね。

濱田_そこがわかりづらいところなんですけど、彼は民藝運動の主導者として、益子も含めて日本全国を巡り、職人の仕事を守るよう奨励しました。ただ、益子は歴史が浅く、古くから栄えた西の産地のように伝統的に職人の仕事が回るシステムがあるわけでもない。

時代とともに需要も減って、窯元もどんどん衰退していく。そういった時代背景の中で、未来の陶工のヴィジョンを明快に語るわけです。それで、益子の人たちも「やっぱりこの人についてこう」と考えが変わっていったんだと思います。

そのうちに弟子が増え、またその人が弟子を取ることで、二乗三乗と自由な仕事をする陶芸家が増えていった。世の中の近代化に合わせて、益子も近代化し、「陶芸の町」としての益子のカタチができていったんです。

上・下/レクチャーとランチの場所となる4号館。普段なかなか入ることができない座敷に上がれるだけでも貴重な機会。

土が育んだ、健やかなで素朴な精神。

 _益子って、移住者の作家さんも多いですし、他の産地と違って型がないというか。自由な印象があるんですけど、そういう経緯もあって益子焼自体の性格が培われていったんですね。 

濱田_益子には、流派があるわけでもないし、派閥がないんです。濱田庄司が全盛期の頃、「大きな会派を益子に設立したほうがいいんじゃないか」っていう声が周囲から上がったらしいんですけど、「そうすると、益子焼らしくなくなるから、自由にさせたほうがいい」って、彼は判断したらしいんですね。ピラミッド構造の組織を作ってしまうと、やがてがんじがらめになっていって、創作に悪い影響が出てしまうだろうと。益子を俯瞰し、将来を見据えた上で、自由を重視したほうがいいと考えていたみたいです。

 _だから、益子焼って、いい意味で定義しずらいんですね(笑)。ただ、非常におおらかというか、共通して温かみがあるというか。町としてのメンタリティにも通じるものがありますか? 

濱田_益子は、素朴で田舎っぽいですよね。気取ってないというか。隣の産地である笠間は水戸藩の裏座敷的な街だったこともあるし、「笠間稲荷」っていう大きな神社もあって、なんとなく都会的で色気があるんですよね。濱田庄司がふたつの産地を比較して、益子に入ったのかはわからないんですけど、益子には笠間のような色気がないんです。

益子の城内坂通りには、カフェや陶器店が立ち並ぶ。上は「陶庫」、下は「もえぎ城内坂店」の倉庫をリノベしてオープンした「BASE」。ゆっくりと、ぜひ散策を!

そういうところに、彼は田舎の健やかさとか素朴さを感じたんじゃないかと思います。あと、歴史的にみても益子のある芳賀郡っていうのは、平安・鎌倉の頃から争いのない平和な土地で。そこに農家の人たちが作ってきたどっしりとした土台があって。保守的な地盤の上を、革新的な人たちが自由に飛び回わっている、そんな町なんです。

ツアー参加者が作陶体験をする「益子焼つかもと」のショップには、濱田庄司のコーナーも。もちろん、友緒さんの作品も購入可能。

 _今回のツアーは、友緒さんに「濱田庄司記念益子参考館」と「濱田窯」をご案内いただき、濱田庄司が愛したイギリス南西部コーンウォール州発祥の名物料理「ぱぁすちー」をお昼に食べて、そのあと作陶体験。夜ご飯は友緒さん行きつけの「寿司富」さんにお寿司を濱田窯の器に盛ってもらい、みんなで舌鼓を打ってから、有志を募って「Bar 零式」で参加者と一緒に飲んだり(笑)。翌日には、益子町のメインストリートである城内阪や地域を散策してもらうという、かなり贅沢で盛り沢山な内容になっています。ツアーの参加を考えてくださっている皆さんに、何かメッセージをいただけますか? 

森に囲まれた里山の美しさも、益子の魅力のひとつだ。
イギリス南西部コーンウォール州の名物料理「コーニッシュ・パスティー」をルーツとする「ぱぁすちー」。濱田庄司が益子に持ち帰った思い出の味をランチで。

濱田_簡単なアドバイスになりますが、作陶体験もあるので、爪は短く。女性の方はスカートではなく、歩きやすい格好でぜひいらしてくださいね。それから、陶器だけでなく、益子の農産物もぜひ購入してほしいです。ついでに定住してもらえたら、もっといい(笑)。土のまち、益子の粘土と農業の土の匂いを嗅いで、楽しんでいただけたらうれしいですね。

濱田友緒
はまだともお|1967年、濱田晋作の子、濱田庄司の孫として益子町に生まれる。多摩美術大学彫刻科卒業、同大学院美術研究科彫刻修了。大学在学中より、学業と並行して濱田窯にて晋作の下で陶芸の修行に入る。1995年、益子町の使節団の一員として渡英、セントアイヴス、ダーティントン、ロンドンなどを訪問。同年、初個展開催。以降全国各地、世界各国の美術館、大学、陶芸施設、百貨店、ギャラリー、大使館などで展覧会、講演会、陶芸ワークショップなどを開催。2015年、2018年に濱田庄司記念益子参考館にて「濱田庄司登り窯復活プロジェクト」の委員長として開催し、益子焼と笠間焼の多くの陶芸家の参加のもと好評を博す。MASHIKO Productの代表として益子焼ブランドBOTE&SUTTOの制作に携わり、ブランド名を命名。(公財)濱田庄司記念益子参考館館長、㈱濱田窯代表。

【益子町観光協会/栃木県民藝協会公認】 陶芸家が案内する、あたらしい益子焼ツアー Vol.1濱田友緒

集合:2024年2月3日(土) 9:00 解散:2月4日(日)13:45頃
参加のご応募について/下記リンクよりお申込み下さい

※お申込みの際にJR石橋駅または真岡鐵道 益子駅発着をお選び頂きます。

ABOUT TOUR : ツアー詳細

2月3日(土)9:10   JR石橋駅出発  

↓ バス移動(10:00 真岡鐵道 益子駅経由)

10:15〜12:00 アイスブレイク/濱田庄司記念益子参考館(約105分)

1942年に隣町から移築。濱田庄司が最も気に入っていたという別邸、通称「上ん台(うえんだい)」と呼ばれる4号館が、今回のツアーのメイン会場。
アイスブレイクや昼食会場となる4号館の座敷。濱田が蒐集した木喰仏のコレクションも必見!

JR石橋駅を出発したバスは、真岡鐵道益子駅を経由し、「濱田庄司記念益子参考館」へ。受付とツアーガイダンスを行ったあとは、参加者同士で自己紹介タイム。ツアーのナビゲーターを務めてくれる濱田友緒さんも交えて、参加者の親睦を深めます。

12:00〜13:00 ランチタイム/濱田庄司記念益子参考館(約60分)

今から90年前、濱田庄司がイギリスのセント・アイヴスから持ち帰った思い出の味を、益子の材料で再現したパイ料理パイ料理「ぱぁすちー」。

ランチのメインディッシュは、濱田家に代々受け継がれてきた「ぱぁすちー」。今から約90年前、濱田庄司がイギリスのセント・アイブスで出合ったコーンウォール州の名物料理「コーニッシュ・パスティー」を日本に持ち帰り、益子の素材を使って再現した素朴な味わいのパイ料理です。調理を担当するのは、町内の手作りパン工房「Boulange770」。同店は濱田家のレシピを再現した「益子ぱぁすちー」を「道の駅 ましこ」でも販売。その売り上げの一部は、参考館の茅葺屋根の葺き替えにも充てられています。当日は、友緒さんの奥様である濱田雅子さんによる料理解説と合わせて、秘伝のパイ料理の作り方を印刷したレシピシートを皆さんに配布します。

13:00〜14:00 レクチャー&見学/濱田庄司記念益子参考館・濱田窯(約60分)

濱田庄司が長い時間をかけて蒐集した陶磁器、漆器、木工、金工、家具、染織や工芸品等を展示・公開する「濱田庄司記念益子参考館」。写真下は、濱田が愛した沖縄の器たち。

昼食後は、友緒さんから濱田庄司や民藝と工芸、益子焼についてレクチャーをして頂きます。講義を受けたあとは、友緒さんのアテンドのもと「濱田庄司記念益子参考館」と「濱田窯」を見学。濱田庄司が使用していた工房(細工場)や登り窯、濱田庄司が朋友バーナード・リーチと並んで作陶に励んだ濱田窯長屋門のロクロ場といった仕事場から、世界に誇る垂涎のコレクション解説まで。濱田庄司が目指した「用の美」とその思想について学びます。

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14:30〜16:00 作陶体験&ショッピング/益子焼つかもと(約90分)

作陶体験をする建物の館銘板は、棟方志功の直筆によるもの。ちなみに現在のロゴマークは、染色工芸家の芹沢銈介が手がけた。
マグカップからお皿まで、自由な想像力を働かせて。

1864年創業。益子焼最大の窯元として長い歴史を持つ「益子焼つかもと」で手ひねりによる作陶体験を行います。粘土を積み重ねたり、伸ばしたりしながら、自由な創作にチャレンジ。成形を行ったら、益子焼の代表的な釉薬をチョイス。後日スタッフが仕上げの作業を行い、焼き上げます。作品は約2ヶ月後にお手元に郵送もしくは宅急便でお届け。また、作陶体験後は、「益子焼つかもと」のお店でショッピングタイム。個性豊かな益子の作家たちの作品を旅の思い出にぜひ!

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16:30〜17:30  チェックイン・フリータイム/益古時計・フォレストイン益子・ましこ悠和館(約60分)

1Fにギャラリースペースも併設する「益古時計」。シェーカースタイルのインテリアにオーナーのこだわりと美意識が。露天風呂があるのも嬉しい。
明治15年に栃木県日光市で「南間ホテル」の名称で創業し、皇太子時代の上皇陛下が学童疎開時に滞在されていた建物を移築して開業した「ましこ悠和館」。
「フォレストイン益子」は、益子県立自然公園「益子の森」にある公共施設に併設された宿泊施設。建築家の内藤廣による設計。

ホテルにチェックインして、しばしのフリータイム。今回のツアーでは、個性の異なるユニークな3つの宿をご用意しているので、お楽しみに!

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18:00〜19:30 「 濱田窯」の器で夕食&参加者交流会/寿司冨 at ヒジノワcafe&space (約90分)

丁寧な仕事に感涙する「寿司冨」の江戸前寿司。友緒さんの器がさらに寿司を美味しく。

お待ちかねの夕食は、友緒さん行きつけの益子町の名店「寿司冨」の贅沢なケータリング! もちろん、器は「濱田窯」と友緒さんの作品です。会場となるのは、築100年の民家を改装し、有志の方々が運営する地域のコミュニティスペース「ヒジノワcafe&space」。友緒さんを囲みながら、参加者同士交流を深めます。

19:30~ ナイトツアー/Bar 零式(自由参加)

益子の夜に光を灯す「Bar零式」。夕食会場である「ヒジノワcafe&space」のすぐ目の前。
「若い子たちが集える場所を作りたかった」とは、マスターバーテンダーの渡邉光雄さん。

夕食後は、有志を募ってナイトツアーへ。「まだまだ、みんなと話したりたい!」という方は、ぜひご自由にご参加ください。場所は益子愛に溢れるマスターがUターンしてオープンした「Bar零式」。ちなみにこちらも友緒さんの行きつけの一軒。節度を持って、みんなで楽しくグラスを傾けましょう。

2月4日(日)

8:00〜9:00 朝食/各宿泊施設にて

9:30 出発/各宿泊施設をバスが巡回

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10:00〜13:00  フリータイム/城内坂通り

濱田庄司が命名。1952年に益子初の益子焼の専門店として開業した「民芸店ましこ」。濱田窯とのゆかりも深い民藝を語る上では外せない名店だ。
上・下/城内坂交差点近くにある「陶庫」。大谷石の米蔵と大正商家を店舗にしている。

ツアー2日目は、益子町のメインストリートである城内坂通りでショッピング。城内坂交差点からゆるやかに続く、約500mの坂道の左右に、カフェやギャラリーをはじめ、個性豊かな益子焼の販売店が軒を連ねます。ぜひ、旅の思い出にお気に入りの器を探してみてください。

13:00解散/真岡鐡道 益子駅

↓ バス移動

13:45 解散/JR石橋駅


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