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なぜ三田理化工業に入社したのか

大学では法学部に入るも挫折、新卒で30人の会社で下水道の中を走り回り(比喩です)、上京して1ヶ月で馴染めず5キロ痩せる…
そんな感じで社会人生活をスタートした一人の大阪人は、どんなふうに過ごしてきたのか、なぜ三田理化工業に入ることになったのか。

1.上京

 2012年4月 、東京の神保町にある30人の商社、イービストレード株式会社に入社した。
新卒採用していない会社の社長に手紙を送って料亭で面接してもらう、超アナログな就活だった。(就活中に3.11が起き、自分の将来に必要な能力を色々考えた結果だった)

木村拓哉のHEROに憧れて法学部に入ったのに、みなが就活をし始めた大学3回生の秋になって法律の勉強が苦手だと気づいた僕は、就活用に慌てて買った本のうちの1冊に惹かれ、著者である社長に手紙を送った。

日本一元気な30人の総合商社

最終的にその会社に入社を決め、初めて大阪の実家を出て東京都練馬区のぼろアパートの1階に引っ越した。
(今GoogleEarthで確認したら無くなってた)

社会人1年目、2年目はご多分に洩れずボロボロだった。過去の激務アピールするとキリがないので割愛するが、僕がアホだったこともボロボロになった大きな要因だった。
22歳の僕は初めての独り暮らしに浮かれていた。
学生時代に海外ビンボー旅行してたノリをそのまま持ち込み、スナックパン1袋で土日を過ごす、先輩とのランチだけで1日を過ごす、一人暮らししてた2年間一度も湯船に浸からない…
誰に強制されるでもなく1ヶ月1万円生活を始めたアホは身体がボロボロになり、それで精神が安定するわけもなく終電を降りて泣きながらトボトボ帰る日々を繰り返していた。入社1ヶ月で5キロ痩せた。
なんでこんな生活をしてたか、という理由が思いつかない。浮かれていた、なんか自分を追い込むことがかっこいいと勝手に思っていた、以外に言うことがないのが悔しい。

そんな状態でも持ちこたえたのは、当時付き合っていた彼女、花子のお陰だった。

大学4回生から付き合い始めた花子も、時を同じくして東京のベンチャー企業に就職した。別れる可能性も考慮し別々に部屋を借りた。そんな彼女の会社は、ベンチャーというか黒い会社だった。

・新卒1ヶ月で新規受注のノルマ背負う
・終電ですら帰れず会社泊まる
・3ヶ月後に入社した後輩に飯奢る文化で金欠
・本棚に増える自己啓発本と読書感想文

花子は僕以上に追い込まれていた。
それを見て僕は「自分より大変な人もおるからもっと頑張ろう」と思うことができた。花子が陰で支えてくれた、とかそういう話ではない。その結果、僕は頑張って1ヶ月1万円生活を継続した。今思うと頑張るところが違った。
(その後花子はホワイトIT企業に転職し僕より高給取りになった)

2.オファー

「うちの会社継いでって言われたらどうする?」

社会人1年目の終わりに、花子からこんな提案をされた。
ちなみに、社会人1年目の最終日、僕は下水道の中にいた。下水道工事用の新型送風機の開発を行っており、下水道の中で検証作業をしていた。

新卒1年目は下水道で多くの時間を過ごした

花子が(全然見えないけど)社長令嬢というのは知っていた。花子は高校からの友人であり、ご両親にも会ったことがある。

二人姉妹の次女の花子、元々はお姉さんか継ぐと聞いていたが、お姉さんは一人立ちすることになった。
千種家の家族会議が開かれたがそこで初めて、次女の彼氏、三人兄弟の末っ子、社長と高校と大学が同じ、という条件ピッタリ人間がいることに気がついた。それが僕だった。

その頃は付き合って1年しか経っていなかったし、お互い情緒不安定で別れて付き合ってを繰り返していたので、結婚も真剣には考えていなかった。花子からの提案に対し「俺で良ければいいよ~^_^」と軽いノリで返した。

自分が社長になるなんて、現実味がなかった。

3.同棲

東京に出て2年が経った。仕事も慣れてきて、売上も増えて少し自身がついてきた。
借りているアパートから「ここ壊すので更新出来ません」と言われ、次の棲み家を探すことになった。
その時、花子が「節約になるから一緒に住まへん?家賃苦しくて」と提案してきた。
花子は一足先に練馬から東京駅から一駅のマンションに引っ越していた(そら家賃高いわ!!)。そこも一緒に住むには狭いので、新しく借りようとなった。

「じゃあ、実家に挨拶に来て」

「!!?」

(え、俺が挨拶に行くの?一緒に住まへんって誘ってきたんそっちやん?)
「まぁええけど」

というやり取りがあって、大阪に戻って花子の実家に挨拶に行った。すると、花子の母親がお茶を出すと同時に切り出してきた。

「ねぇ~同棲するなら3ヶ月くらいで結婚になるのが普通よねぇ」

「!!!!!!!????( ゚д゚)」

(え、結婚?3ヶ月??はやすぎひん??
ハッ!はかられた!!?花子は同棲を持ちかけた時からこれを見越していたのか?)

いろんな思いが頭を巡る中、とりあえず濁しに濁しまくって花子の実家を出た。と思う。記憶がない。

まぁそんなこんながあり、両国国技館の近くで同棲生活が始まった。

狭いセミダブルベッドの端っこで寝てたせいでぎっくり腰になったり、「そんな大金稼いでる訳ちゃうねんから家事せんかい」と言われて一晩中三角座りしたり、皿の洗い方で喧嘩になったり、屁こいて笑い合ったり…。

結局、結婚しないまま1年が過ぎた。義母に会うのが怖かった。

4.プロポーズ

決戦の地 T.Y.ハーバー

場所は、羽田空港近くの天王洲アイルにあるブルワリーレストラン、T.Y.ハーバー。
高校の同級生2人と女子会を楽しむ花子。
美味しい食事に舌鼓を打ちながら流れるゆったりとした時間。食事もほぼ終わり、あとはデザートを待つばかり。友人の一人がトイレに立った後、もう一人の友人の携帯電話が鳴り席を立つ。
ふいに一人になった花子、気配を感じて顔をあげるとそこには、いないはずの恋人が花束を持って立っていた。
「結婚しよう」

婚約指輪と共に出た言葉に、花子は涙があふれる。
絞り出した花子の返事を合図に、友人二人が祝福とケーキを持って現れる。

というプランをその女友達2人が全て計画した。
私はその二人に「お願い」と声をかけただけだった。あとはすべて2人の指示に従った。なんだったら「花束買え」も当日指示された。

その日のうちにすべてバラされたので、花子は家に帰る頃にはすでに冷めていた。帰りにゼクシィは買ってた。

当日の写真。暗くて全くわからん。

5.結婚式

結婚が決まると、あれよあれよと決まった。
4/25に東京でプロポーズしたら、花子は5/4に大阪でウェディングドレスを試着していた。プロポーズ当日に試着を予約してた。はやない?

花子の実家への挨拶も無事に済んだ。
着席してお義父さんと雑談しながらどう話しようかと探り合っていたら、お義母さんがお茶を出しながら「ねぇ~今日は結婚の挨拶に来てくれてんねぇ」と切り出してきた。はやない?

ちなみに、自分の実家はとてもスムーズだった。名字が変わることも「お前が望むならなにも問題ない」と言ってくれた。そもそも花子と付き合う前から実母は俺の肩を掴み「あんた、逆玉狙いなさい」と言ってきてた。ねぇみんな、はやない?

まだ東京に住んでいたが、ふたりとも実家は大阪なので結婚式は大阪で挙げることは決まったが、式場も先方からの要望ですぐ決まった。

結婚式の準備について、僕があれこれ言うと花子から怒られるのでこれ以上は言えない。なにか言えるほど積極的ではなかったのは間違いない。

結婚式当日、高砂席の前には私が会ったことのない人たちが座っていた。
すべて〇〇株式会社の社長or会長だった。後で知ったが祝辞をして頂いた方は大きな会社の会長だった。もちろん初対面だ。

業界団体の会長に固い握手されて顔がひきつる

そして、後に一緒に働く三田理化工業の管理職の方々も出席していた。ちなみにこの日、10月31日は決算日で経理部は忙しい時期だ。なにも考えずこの日に設定したが、今思えばよくみんな来てくれたと思う。ほんとスミマセン。

会社と関わる人たちに会ったこの日、私は会社を継ぐことをより明確に意識した気がする。

みんなから笑われた看板

6.グロービス

結婚当時25歳の僕は、お義父さん(社長)とは、30歳を過ぎてから大阪に戻るつもりだと伝え、それを了承してもらっていた。

大阪に戻って三田理化工業に入社する。そしていずれは社長に…。改めて想像するとその物語は、当時の自分とこのままの成長曲線では非現実的だった。
働いていたイービストレードの社長はとてもエネルギッシュで、こんなパワフルでなければ中小企業の社長が出来ないなら僕には到底無理だ、と思った。
経営を学びたいと思った。ただ、海外MBAに挑戦するにはお金や時間を考えてもハードルが高すぎる。英語力もない。ちょうどその時、会社の先輩から手渡されたのがForbesJapanだった。その雑誌の表紙が、グロービス経営大学大学院の堀義人学長だった。

堀義人学長が表紙のForbesJapan

国からの補助で実費200万円でMBAが受けれるなら!と翌月の入学試験に申し込み、4月から本科生として入学した。
ちなみに95%のグロービス生は、まず単科生といっていくつかの基礎科目を受講してから本科生になるため、3-4年かけて卒業する。私は何も調べず本科生になったので2年で卒業しなければならず、血反吐吐く2年間を過ごした。仕事も忙しかったので、この2年間はほぼ外に遊びに出てない。花子からすればつまらない新婚生活だったと思う。

グロービスではケーススタディでフレームワークの活用と考える力を養い、ディスカッションで発言力を鍛えられた。参加者全員が前のめりで学ぶ空間は、小学校から大学まで一度も体験したことがなかったので、とても刺激の強い場所だった。

経営に答えはないが、なにか問題が起きた時に立ち返るチェックポイントを自分の中にもつことが出来た。そして、相談できる仲間が出来た。

卒業時に作成した自分なりの経営マップ

7.帰阪

三田理化工業について、HPを見てもよく分からなかった。

当時のHP。文字が多くわかりにくかった。

ただ、調乳機器という三田理化工業独自の事業があり、RACOONというブランドを持っていることはとても魅力的に感じた。

早くグロービスの学びを活かしたい!そう考えた僕はグロービス在学中の2017年4月に三田理化工業に入社することを決める。(グロービスは東京校から大阪校に転校した)
前職の社長に退職を伝えた時はそれはそれは緊張した。「もう少し先だと思ったがな」と言われ、とても心苦しかったが最終的には気持ちよく送り出してくれた。今も東京に行くと挨拶に伺う、僕のメンターだ。
 
退職やグロービス、そして花子の妊娠と流産、その他諸々が重なり、まともなメンタルではなかったが、東京に出て5年後、大阪に戻った。
種子が花咲いて…ではなく千種という数が増える進化して帰ってくるとは思わなかった。

入社前の僕は、売上10倍計画書を自分で作り、夢見る時間を過ごしていた。すぐに挫折し、困難に立ち向かうことになるとは知らずに…

ただ、今思うとこの時に帰ってなければ三田理化工業は今よりもっと厳しくなっていたのでは、と考えるとこの時に入社できて良かったのかな、と思う。
また、この時大阪に帰ってきたことで、中学校時代の恩師の引退の場にちっちゃな花束持って立ち会うことが出来た。これはとても嬉しかった。

恩師の引退の日

そうやって、自分の選択を正しかったと思えるようにしていくしかない。

8.終わりに

振り返ると、自分の人生は花子からの提案で大きく動かされていることに気づく。Twitterも花子から「社長になるならもっと発信力つけなさい」と言われ始めた。
僕は、どこまで彼女の手のひらで転がされているんだろうか…

本noteを読んだ花子のコメント

サムネイル画像は「神秘的な女性に操られて迷宮をさまよう男」という指示でcanvaのAI機能に作ってもらったら、アフロで体格の良い神秘的な女性に指示されてました。僕の深層心理まで読み込んでくれるのすごい。

これからも、彼女に従って生きていこう。

わぁわぁ言うとります。お時間です。さようなら。


◆花子との馴れ初めのアメリカ横断旅行

◆入社後の話


大阪市在住の89年生まれ 父親経営の中小メーカーに在職。 グロービス経営大学大学院卒業 事業承継や、組織の変革、文系から見た社内システムの構築について掲載予定 好きなもの:サッカー(ガンバ大阪ファン)、漫画(オールジャンル)