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大学4回生の夏、アメリカを横断した

「一緒にアメリカ横断せぇへん?」

高校の時の女友達から電話が来たのは、大学4回生になる春休み。就活真っ盛りのときだった。
その女友達は大学も違うし、最近は会ってもいなかったので「いきなりなに言ってんねん?」と思いつつ「どんなプランで?」と聞いてみたら「無い。ただ、テレビに出てたルート66をクルマで走りたい」という返事だった。

断る理由はいくつも出てきた。「まだ就活中やし」「危ないよ」「女の子と行かれへん」「お金無い」etc.

けど大学生活も終わりが見えてきて、ガッツリ海外に行くのも最後かもしれないと思うと覚悟を決めた。

「いいよ、行こう」

会ってプランを決めることにした。
まずはメンバー。恋人でも無いので1対1で行くのは気が引ける。高校の同級生を男女1名ずつ誘って、2対2で行こうとなった。男子の方は共通の友達であるイケメンを誘うことができたが、女性がなかなか見つからない。
そら当たり前で、ノープランの無謀な海外旅行に付き合ってくれる女性はなかなかいない。結局女1、男2の計3人でいくことになった。
これ以降、誘ってきた女友達を花子、巻き込んだ男友達を太郎とする。
とりあえず、行きと帰りの飛行機のチケット(関空-シアトルと、その1ヶ月後にニューヨーク-関空)、そしてレンタカーの予約だけした。
移動手段はサンフランシスコからレンタカーを借りて、ニューヨークまで自分たちで運転することにした。太郎は日本でほぼ運転していない、花子は速度違反で免停中という状況だった。不安だ。

そして大きな地図を買った。これを持って次の行き先を決めていき、通ったルートに線を引いていくことにした。

帰国後に完成した地図

残り1ヶ月になった時、最初に誘ってきたはずの花子が言った。
「お母さんが反対してるから説得して」

いや、お前が言い出しっぺやん!というツッコミをしつつ、太郎と共に自宅へお伺いした。
「女の子やから、心配なのよ」
常識人のお母さん、至極まっとうなご意見を言われしどろもどろになっていると太郎が力強く答えた。
「大丈夫です。娘さんは私たちが守ります」
こいつ、めっちゃカッコええやん、と思いつつ私も慌てて頷いた。けど、太郎はこれが初の海外旅行でめっちゃ緊張してる。うん、とても不安だ。

西海岸へ

なんやかんやありつつも、関西国際空港から出立。
安いチケットでトランジットが長く12時間以上トランプで大富豪したり、入国審査で太郎がコワモテの審査官に5分くらい詰問されたりしたが、大きなトラブルは無かった。

シアトルに降り立った3人は、留学してる友人に会い観光を楽しんだ。順調なスタートとなった。

2011年SAFECO FIELDにて
日本人とわかると現地の方が気前よく撮影してくれた

留学中の友人に別れを告げ、バスでサンフランシスコへ南下した。1日近いバス旅は、おそろしく体力を削られた。
一番後ろのトイレ横のシートは、匂いもあいまってキツかった。
ちなみにイケメンの太郎はそのバスで逆ナンされていたが、英語がわからないことと、初めての海外旅行の緊張からソーリーしか言ってなかった。

サンフランシスコで真っ赤なシボレーを借りた我々は、ついにクルマ移動を始めた。
初めての左ハンドル、反対の車線。緊張から運転手以外の2人もシートから身を乗り出して周囲を確認した。

20日間旅に付き合ってくれた真っ赤なシボレー君
この頃はまだきれいだった…

無事、市街地を抜けハイウェイ(高速道路)を運転していたら、パトカーに止められた。イキナリ!?なに間違えた!?
警察官が近づいてくる中、クルマ旅がたった1日で終わってしまったと考えていると、告げられた言葉は"Too slow(遅すぎ)" だった。

アメリカは速度がマイル表示。警察官から80マイル以上出せ、と言われたものの130km/hて!と思ったら周りは100マイル以上でドンドン走ってた。最初はビビったけど、アメリカのバカでかい荒野を走っていると、スピード感覚も狂ってくる。最後は平気で160キロ出てた。

西海岸の海で泳ごう!と途中のサンタ・バーバラという街に降り立ったところで事件が発生した。
花子がヒュー・ジャックマン似のサーファーを逆ナンしてきた。
「今日、この人の家でパーティーがあるねんて。あたし行ってくる」
こいつ、どこまでも自由かと思っているとイケメンの太郎が熱い一言。
「俺はお前のお母さんに必ず守ると約束した。せやから絶対行かせへん」
このイケメン、めっちゃカッコええやん。俺がこんなん言われたら惚れるけどな、と思ったけど花子はただただ不満顔で渋々ヒュー・ジャックマンに別れを告げた。

なんやかんや有りながらもロサンゼルスに到着。一泊して、西海岸に別れを告げついにルート66に入った。

マクドナルド1号店にいたドナルドが怖かった…

ルート66へ

国道66号線(こくどう66ごうせん、U.S. Route 66)は、アメリカ合衆国中東部のイリノイ州シカゴと、西部のカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた、全長3,755km(2,347マイル)の旧国道。1926年指定。州間高速道路の発達によりその役目を終え、1985年に廃線となった。
ルート66Route 66)とも呼ばれ、大陸を横断するこの道はアメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、映画や小説、音楽などの中に多く登場し、今なおアメリカのポップ・カルチャーの題材にされている。

wikipediaより

ルート66入ってすぐに寄り道してラスベガスに到着。日本でオーシャンズ11を観てテンションを上げてた我々は着飾って(Tシャツの上にシャツ来ただけ)カジノへ旅立った。

一人だけドレスっぽい服を持ってきてた花子
この数時間後、ボロボロになってカジノを後にした…

早々に軍資金が尽きてポールダンサーの上手な"ダンス"を眺めていた私と違い、運の強い花子はルーレットで勝ち続けていた。
優しい太郎は「もうこの辺で止めといたら」とアドバイスをしたが、花子は無視してた。私は、そんな忠告を聞く奴ならアメリカ横断なんて実行してねぇ、と思ったがダンスに夢中だったので特に何も言わなかった。
案の定、スッカラカンになった。

予定よりも金が減った我々は節約旅行に。ウォルマートでパンと缶詰を買って3人でシェアする。それを続けて1ヶ月。体重が5キロ減っていた…

旅の前後で5kg減…
その結果、アゴが伸び、ひげが生え、メガネを失った。

ラスベガスを出た後は、グランドキャニオンへ。この辺は自分たちより良い写真がいっぱいネットにあるのでそちらを参照頂きたいが、とても良かった。グランドキャニオンに落ちる夕日を眺めている時間が、テレビで見た壮大な景色の中に自分たちが存在出来ていることが、ただ嬉しかった。
そして、一緒に旅してる二人が感動していることも嬉しかった。この景色を3人で見れて良かった。

アンテロープキャニオンや、セドナ、モニュメントバレーなどもまわった。すべて良かったが、この地域で一番印象に残っているのはKanab(カナーブ)という小さな街の夜。
金庫番をしてくれていた太郎が「2セント足りない」と言いながらお金を数えている間、暇なので花子と二人で散歩にでかけた。
小さな劇場があり、覗くとおじいちゃんバンドが演奏していた。入り口で聴いていたら「もう終わるから入っていいよ」と受付の人がタダで入れてくれた。お客さんは少なかったし、演奏もとても上手いというわけではないが、優しい時間が流れていた。たまたまそんな空間に加われたことが嬉しかった。

Kanabにあった劇場。Crescent Moon Theater
次の日はプーさんの映画を上映してた

その興奮を伝えようと二人でホテルに戻ると、イケメン太郎が「2セント足らんねん…」とまだ言っていた。

グランドサークル(グランドキャニオンを含む一体の公園群)を抜けると、ひたすらルート66を東へ走った。

ここがルート66です!エリア
日本の古い町並みを再現、みたいな地域に似てる

たまに「ここがルート66です!」というようなスポットにも出くわしたがそれ以外はほぼ荒野。この旅を企画した花子も最初は写真を撮りまくっていたものの、徐々に飽きて後部座席で車酔いしてひたすら寝てた。

その間も、道間違えて「これ、道?」というところを走ったり、道で立ってトラック無理やり止めて道聞いたり(運転手にアメリカ横断してるって言ったら「F○○kin' crazy」って言われた)、かっこいいバイクのおじさんと並走したり、モーテルのトイレが詰まって部屋水浸しになったり…色々あった。

一番のピンチは、運転中に再びパトカーに止められた時。たまたま通った公園で学生アメフトの試合を観た帰りに、男友達が運転してると警察に止められた。一時停止を無視した、と。
色々言われたが、全く聞き取れなかったので、警察官が"Can you speak English?"と聞いてきた。
太郎が慣れない英語と緊張から弱々しく、
"Yes, a little." と返したが、警察官が「は?」みたいな感じで聞き返してきた。緊張から、太郎は精一杯のちからを振り絞って繰り返した。

「イエス、ア、リトル」

きれいなカタカナ英語を聞いた警察官は、もう行っていいよ、と言わんばかりに手を振って、"Go!"と言ってくれた。
太郎の発音のお陰でピンチを切り抜ける事ができた。

ちなみに宿はひたすらモーテルに泊まった。とりあえずその日向かう方向で、辿り着けそうな地点の近くのモーテルがある地域を狙った。夕方になると、空いてるモーテルを探してブラブラ。
その場で値段聞いて、朝食付いてるか、プールあるか、など色々聞きながら宿を決めていった。最後の方は「〇〇Innが一番良い」とか好みの宿ができてきた。
そんなふうに苦労しながらも楽しみながら、ルート66を走破できた。

道間違えてここどこ?ってなってるところ
かっこいいバイクのおじさんが並走してるところ

NYへ

シカゴについた後はナイアガラの滝を観て、ニューヨークに向かった。(ニューヨークにつくまでもめっちゃ迷子になった)

ニューヨークでは20日間一緒に走ってくれたシボレーとお別れし、徒歩とメトロで色々回った。
協会でゴスペルを聞いたり、ブロードウェイでマンマ・ミーアを観たり、セントラルパークの芝生で昼寝したり、紀伊國屋書店でバガボンドの絵を見たり。

ここに来る半年前に描かれてたので、絶対に来たかった場所!

どれも素晴らしかったが、一番感動したのは、初めての海外旅行だった太郎が「来て良かった、誘ってくれてありがとう」と言ってブルックリン・ブリッジのポスターをくれたことだった。3人でやり遂げたこの旅のハイライトとなったあの瞬間は、自分の人生の宝物になった(あのポスターどこにいったんやろう…)

旅の最後の夜

私は、ニューヨークは高校生の時に1度来て良い思い出ばかりだったが、この旅で更に好きになった。
高校生の時は、空港からメトロに乗って寝てしまい、荷物いっぱいの状態で間違えてハーレムに降りてしまった。怖くて急いで反対の電車に乗った記憶があった。

今回はハーレム地区に宿を取ったが、過去のトラウマから少しビビっていた。最終日、飛行機の時間を間違えて急いでメトロの駅に着いたが、路線図を見ながら空港までの道を探していると、黒人の女性が荷物をいっぱい持って立ち往生している哀れなアジア人に声をかけてくれた。"空港へ行きたいの?だったら○番よ"
そしたら、別の男性が、"急いでいるのかい?だったら○番で乗り換えたほうが早いんじゃないか"と言い始めた。
やんややんや言っているが、勘違いしてるっぽいので
"いや、僕たちニューアーク空港じゃなくてジョン・F・ケネディ空港に行きたいんだ。あと30分で"と言うと、その場にいた人全員で"Noooooo!!!!"と頭を抱えてくれた。
あ、絶対間に合わへんねんな、と理解できて気分は落ち込んだが、その黒人たちの吉本新喜劇みたいなリアクションがめっちゃ嬉しかった。外国人の困りごとにその場にいたみんなで困ってくれる、ハーレムめっちゃいい人多いな!と思って、怖かったイメージを払拭できた。
あ、飛行機は間に合わなかったのでアメリカ滞在が1日延びた。

そんなこんなでトラブル続きでも、なんとか無事にたどり着いた我々は、大阪駅からそれぞれの帰路に着いた。

アメリカのテンションではしゃぐ3人

エピローグ

帰国から3日後、私と花子は付き合い、その4年後に結婚した。

一緒に行った太郎は、私達が付き合って半年後、同窓会で別の友人から聞かされて二人の交際を知った。その場で彼は号泣ししばらく人間不信になったが、結婚式の二次会では無事お祝いのコメントをくれた。

わぁわぁ言うとりますがお時間です。さようなら。

大阪市在住の89年生まれ 父親経営の中小メーカーに在職。 グロービス経営大学大学院卒業 事業承継や、組織の変革、文系から見た社内システムの構築について掲載予定 好きなもの:サッカー(ガンバ大阪ファン)、漫画(オールジャンル)