【第2話】デザイナーになる前のシャネルが着ていた服
こんにちは。シャネルシリーズの第2話です。
初投稿の「ココ・シャネルのセンスはどのように養われたのか」はいかがだったでしょうか。
一応時系列になっていますので、未読の方はどうぞ☕️
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パリの話に入ろうと思っていましたが、その前に10代後半から20代前半の時期に迫ろうと思います。デザイナーになる前、シャネルはどんな服装を好んだのでしょうか。
第1話にも登場したバルサンとの出会いの経緯は、定説とは少し違うのですが、今回もシャネル自身が話したことを基にしています。
では、お付き合いいただけますと幸いです。
流行の先端へ
ココ・シャネルがエチエンヌ・バルサンと出会ったのは、ヴィシーという街でのことだった。35年ほど前にナポレオン3世が湯治のために開発した温泉保養地である。
規律から解放されたシャネルは、「流行の先端」でいろいろなものに夢中になる。「イギリスふうの服を着たレディたち」、鉱水を飲むためのグラス、いたるところでかわされる外国語…、すべてが新鮮に映ったのだ。
エチエンヌ・バルサンは裕福な実業家の跡取りで、将校でもあった。特に、馬の飼育やレースに専念した。シャネルはパリ北東部のコンピエーニュにあるバルサン邸宅で暮らすようになる。
オークや樺、ブナの生い茂る自然豊かな森林地帯で、シャネルは辛かった幼少期の傷を癒やし、乗馬を学んだのだった。
デザイナーになる前の服装
社交界の名士であったバルサンのもと、シャネルは上流階級との関わりを持つようになる。当時の女性たちの間では、華美な装飾と、「体が2つになるかと思うくらいにウエストを締めつけた」、くびれたシルエットが粋とされていた。
対してシャネルはどうだったのだろう。
ここに一枚の写真がある。
左がシャネル。1番右がバルサン。女性はロングドレスという時代に、シャネルは白いシャツにジョドパーズ*パンツといういでたちだ。
シャネルはバルサンお抱えの調教師や騎手、馬丁に影響を受け、メンズライクな服を地元のテーラーに仕立てさせた。115年も前の服だが、今でも十分通用しそうなエレガントな装いである。
社交の場で
紳士淑女の社交の場であった競馬場でも、シャネルはマイウェイを貫いている。
麦わら帽子を目深に被り、田舎ふうの小さなジャケットを着用。オペラグラスで注意深く周囲を観察して人目を引いていた。
シャネルが社交界の女性たちをどう見ていたのかがわかるコメントを残している。
「19世紀の喪に立ち会っている」という言葉が面白い。シャネルは華やかな人々と出会い、良いものを知った。しかし同時に贅沢の限界を冷静に見つめている。
周りに流されることもなく、機能性とシンプルな美を選んだシャネルはブランドを持たずしてすでにデザイナーだったのだろう。
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おまけのはなし
今回も読んでくださりありがとうございます。
noteを始めて2回目の投稿になります。
第1話に♡をしてくださった方もいて励みになっています。
普段は誰かの言葉を訳す仕事をしています。なので、一から自分で組み立てて書くというのは新鮮で、脳の違うところを使っている気がします。
今後はもう少し画像を充実できたらなと思っています。
少しずつ更新していきますね。