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「グチる系」と「悩む系」の2タイプ。私は「〇〇系」になろうと決めた

女友達と、ごくたまに会う。

学生時代からの友や、社会人になってから知り合った取引先の女性など、ごく少数だが、細々と関係が継続している。


話題の中心は、若い頃には恋愛のことを、就職すると仕事の話、年頃には結婚、出産や育児、そして中年になって、夫との関係や思春期の子供のこと、舅姑との関係、保険のこと、親の介護のこと、離婚や再婚のこと……つまり「自分の身の周りのこと」がメインである。

時折、時事ネタや社会ネタの話題で花も咲くが、比較的サラリと乾いている傾向にあるようだ。

それにしても、いつの年代にも、私たちの身の回りには、なんらかの問題が起こり続ける。

生きるってことが、つまり「何かが起こり続ける」ってことなのだろうが、よくもまあ、すべての年代において各種の「お悩みセット」が取り揃えられているものだ。

つまりこれは、私たちが「神様が用意した『お悩みセット』の罠に、まんまとハマっている」ということでもあろうが、それを言っちゃあ身も蓋もないので、今回は脇に置こう(笑)

***


これまで女友達と、さまざまな「問題や悩み」を共有してきて、感じることがある。

それは

問題に対し、「グチる系」と「悩む系」の二つのタイプの人がいて、その傾向が若い時から今に至るまで変わらないということ。

問題の中身は、年齢とともに変化しているのに、10代の頃からグチってきた人は、50近い今でもグチり続けるし、悩む人はいつも悩む。この軸が、見事に変わらない。


……ように私には思えるのだが、みなさんの周りはどうだろう。

グチる系の人は、あらゆる問題は常に「相手が、環境が、間違っている」という立ち位置から物事を見つめる。

自分は正しい。正しいと主張できる合理的な理由をこんなに並べられる。よって相手が間違っている。

この視点を絶対に譲らないため、いつ会っても、なんらかの問題に対して不満を抱えており、それは「永久に解決しないのだろう」と思って眺めている。

一方の私は、すぐ落ち込み、くよくよ悩む「悩む系」であった。

若い頃、私の際限のない悩みを聞いてくれた友人・知人に、「ありがとう」と「ごめんなさい」を言いたい。

グチる系が「相手が間違っているから、相手が変わるべき」と主張する一方で、悩み系は「どうしよう」がとまらないのに、答えを出せない。人に話を聞いてもらっても、結局は自分の中でぐるぐる悩み続けるばかりで、自分を消耗させてしまう。

それはそれで、大問題である。


そういう意味では、グチる系の「変わるべきは、自分以外の誰か」という視座は、致命的に愚かだが、グチる系はストレスを発散しながら生きる「たくましさ」があるとも言えよう。
悩みがちな、へなちょこの私からすれば、ある意味で羨ましい存在であった(笑)


「グチる系」は、「相手が変われ、自分は正しい」で変わらない人。
「悩む系」は、「どうしたらいいか分からない」で悩んで変わらない人。

「グチる系」を他責思考、「悩む系」を自責思考と呼ぶこともできそうだが、どっちもどっちなのである。

だったら、どうしたらいいんだろう?


……と、そこでまた、悩んでしまう「悩む系」の私であった(笑)


イヤ……本当は、分かっていた。


つまり「グチる系」でもなく「悩む系」でもなく、

「考える系」になるしかないってことを。


問題が起こったときに、自分なりに考え、自分なりの答えを出して、行動に反映させられる人になるしかない。


目の前に大きな岩があるときに、思い切ってその岩から離れ、別の道がないか、迂回ルートを探す人になるしかない。

絶対に動かない岩をグイグイ押し続ける「グチる系」でも、岩の前で体育座りをしてうずくまってしまう「悩む系」でもなく、別の道を探す「考える系」になるしかない。

私は、長らく「悩むこと」と「考えること」を混同していた。同じ脳みそ内で処理されることなので、「悩んでいる」とき、まるで「考えている」ような錯覚に陥っていて、そのことに気づけなかった。


悩むのではなく、考えられる人にならねば、「困った、どうしよう」と嘆きながらも、何も変わらぬ現実が、目の前に存在し続けることになる。

……おお。

絶対イヤだよ。そんなの。


それから、ようやくである。
問題解決能力が、おそろしく低い私が、重い腰を上げて、何かの問題に「対処」しはじめたのは。
やっとのことで、自分で、自分の人生に、責任を持ち始めた。


こんなこと、若い頃から、できる人はできているんである。
失敗しながらもひとつずつ「自分で考え、決め、行動し、自分で責任をとってきた人」である。


あらゆるチャレンジを避け、ふわふわと無難に生きてきた私は、そういう人を見上げては「すごいなぁ、私にはできないけどね」と指をくわえて見ていた。

ただ唯一、悩む系の私に救いがあったとすれば、自責思考な故に、いつでも「その問題が起こっているのは、自分に責任があるのだ」と気づいていた点だった。


問題を「相手を変える」方向で解決しようとするか、「自分が変わる」方向で先へ進めるか。


このことは、今となっては、人の人生を北極と南極くらい異なるものにするだろうことも分かっている。

朝起きてから布団に入るまでのすべての行動に、この視点は、影響を与え続ける。その態度のありようひとつひとつが積み重なって、自分にとっての世界が、環境が、人間関係が、良くも、悪くも、どうとでもなってゆく。

だから絶対に、手放しちゃいけない。
自分の「コントローラー」を。

そのコントローラーは、相手を動かすコントローラーではない。
自分で自分を動かすためのコントローラーである。

きっと、あなたのコントローラーも、「いい感じ」に頑張って動いてくれる。
みなさん上手に使いましょう。


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