今井 昭夫

ベトナム近現代史を専門とする研究者の端くれです。2005年から始めたベトナム国内でのベ…

今井 昭夫

ベトナム近現代史を専門とする研究者の端くれです。2005年から始めたベトナム国内でのベトナム戦争に関する聞き取り調査について綴っていきます。またその間に収集したベトナム戦争の伝単も紹介いたします。

最近の記事

Ⅰー29. ベトナム戦争末期のハノイの学徒出陣:ハノイ市

ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(29) ★2015年1月4日~1月12日:ハノイ市、ナムディン省、タインホア省 画像:1971年9月入隊前の計画経済大学(現在の国民経済大学)の学徒兵 はじめに 第二次大戦中、日本では、敗色濃厚な1943年に大学生・高専生に対する徴兵猶予が停止され、学徒出陣が始まった。大貫恵美子『学徒兵の精神誌』(岩波書店、2006年)は、学徒兵のなかでも特攻隊員たちの手記を克明に分析し、彼らの知性と心情を明らかにした名著である。 旧北ベトナムにお

    • Ⅰー28. ジャングルの基地で3人も出産した元青年突撃隊隊員の女性:ホーチミン市(2)後編

      ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(28) ★2014年7月5日~7月27日:ハノイ市、ホーチミン市 見出し画像:ホーチミン市クチ県でのインタビューに応じてくれた元青年突撃隊隊員の女性たち はじめに Ⅰー27. (後編)でホーチミン市在住の元青年突撃隊隊員について扱ったが、今回はその続きである。今回は以下の7人の女性にインタビューした(日程は前編を参照)。順番はインタビュー順である。記載されているデータは、順に、名前、生年、出身地、現住地、入隊年、入党年、結婚年、備考、

      • Ⅰー28. サイゴン知識人の語る解放映画製作所の歴史:ホーチミン市(2)前編

        ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(28) ★2014年7月5日~7月27日:ハノイ市、ホーチミン市 見出し画像:レ・ヴァン・ズイ氏(左)と(氏の自宅にて) はじめに 前回に引き続いて、今回もホーチミン市での聞き取り調査の結果を報告する。今回のホーチミン市での調査の前に、2014年2月28日~3月10日までゲアン省を訪れた。目的は『ファン・ボイ・チャウ』(山川出版社、2019年)執筆をめざしての取材で、ファン・ボイ・チャウやホー・チ・ミンの生家などを訪問した。ハノイ市か

        • Ⅰー27. 南部の女性捕虜と青年突撃隊:ホーチミン市(1)後編

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(27) ★2013年12月19日~12月29日 見出し画像:ホーチミン市枯葉剤被害者の会の表札 4.南部の女性捕虜 今回の調査では、女性捕虜だった4人の元女性女性革命戦士にインタビューすることができた。既婚者は⑥タムだけで、あとの3人は未婚である。 ⑥タム(女、1950年生まれ) 南部ベンチェー省の出身。解放区で生まれ育ち、11歳で革命に参加。1967年にサイゴン市内で活動を始める。市内と戦区との繋ぎ役をしていた。1968年のテト攻

        Ⅰー29. ベトナム戦争末期のハノイの学徒出陣:ハノイ市

          Ⅰー27. ベトナム戦争中のサイゴン市内工作:ホーチミン市(1)(前編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(27) ★2013年12月19日~12月29日 見出し画像:ホーチミン市枯葉剤被害者の会の表札 今回は、ホーチミン市での聞き取り調査の結果をお届けする。聞き取り調査の対象は、4つのカテゴリーに属する人々、合計13人である。いずれも解放勢力側で、①枯葉剤被害者、②戦争中にサイゴン市内の工作に従事したベテラン党員、③女性捕虜、④青年突撃隊、である。 調査日程は以下の通り。 12月19日:日本を発ち、ホーチミン市へ。中心部のホテルに投宿。

          Ⅰー27. ベトナム戦争中のサイゴン市内工作:ホーチミン市(1)(前編)

          Ⅰー26. 旧南ベトナム大統領官邸に最初に突入した戦車と兵士とは?:東北部トゥエンクアン省(後編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(26) ★2013年11月16日~11月23日 見出し画像:1945年八月革命直前に「国民大会」が開催されたタンチャオの亭(ディン) (10)トン(1950年生まれ):ソ連の軍事顧問と一緒に戦った中越戦争 現在、ソンズオン県在住。トゥエンクアン省出身。17歳で中学校を卒業してすぐに1969年入隊。1か月余り訓練して、南部出征命令を受ける。ゲアン省経由でラオスのシエンクアンへ。第316師団に補充され、シエンクアンを攻撃。敵はなかなか手ご

          Ⅰー26. 旧南ベトナム大統領官邸に最初に突入した戦車と兵士とは?:東北部トゥエンクアン省(後編)

          Ⅰー26. かつての「抗戦の首都」における戦争の記憶:東北部トゥエンクアン省(前編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(26) ★2013年11月16日~11月23日 見出し画像:1945年八月革命直前に「国民大会」が開催されたタンチャオの亭(ディン)(トゥエンクアン省ソンズオン県) はじめに 今回の聞き取り調査は東北部トゥエンクアン省でおこなった。トゥエンクアン省はハノイの西北の方向に位置する山間部にある。16世紀には黎朝と対立した莫朝が当地まで逃れてきており、その城跡のごく一部がトゥエンクアン市内に残っている。1945年の八月革命直前ではトゥエンク

          Ⅰー26. かつての「抗戦の首都」における戦争の記憶:東北部トゥエンクアン省(前編)

          Ⅰー25. 南部革命揺籃の地の戦争記憶:カマウ省

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(25) ★2013年8月3日~8月31日:ハノイ市、カマウ省、ビンズオン省 見出し画像:カマウ省退役軍人会事務所 はじめに 今回は南部カマウ省の聞き取り調査の結果をご報告する。カマウ省はベトナム最南端の地で、同省ウーミン(U Minh)には1940年代末から1950年代なかばまで南部党委(Xứ ủy Nam Bộ)の本部が置かれていた(1949年末~1955年初)。南部党委では、1960年にベトナム労働党(現共産党)の第1書記と

          Ⅰー25. 南部革命揺籃の地の戦争記憶:カマウ省

          Ⅰー24. 「ホーおじさん教」の戦争の記憶:北部ハイズオン省の「平和廟」

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(24) ★2012年11月24日~11月30日:ハノイ市、ハイズオン省 見出し画像:「平和廟」の祭壇 はじめに 今回は、北部ハイズオン省に本部がある宗教組織「平和廟(Đền Hòa Bình)」の信者に聞き取り調査をした。ベトナムでは前世紀末頃から「新宗教」現象といわれる現象がみられるが、その中にホー・チ・ミンを「本尊」とする「ホーおじさん教(đạo Bác Hồ)」と総称される民衆宗教が1980年代から紅河デルタ各地に登

          Ⅰー24. 「ホーおじさん教」の戦争の記憶:北部ハイズオン省の「平和廟」

          Ⅰー23. 飢えた記憶がない戦場:メコンデルタのチャーヴィン省

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(23) ★2012年8月19日~9月2日:ホーチミン市、ティエンザン省、チャーヴィン省、ハノイ市 見出し画像:グエン・ティー(Nguyễn Thi)原作の有名な小説『銃を握る母親』の表紙。この小説のモデルとなった女性英雄グエン・ティ・ウット・ティック(Nguyễn Thị Út Tịch:1931-1968)は、今回の調査地チャーヴィン省カウケー県の出身。 はじめに 今回は南部メコンデルタのチャーヴィン省で聞き取り調査をおこ

          Ⅰー23. 飢えた記憶がない戦場:メコンデルタのチャーヴィン省

          Ⅰー22. 主要な戦場ではなかった中部最南端の戦争の記憶:ニントゥアン省

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(22) ★2012年2月27日~3月10日:ハノイ市、ニントゥアン省、ホーチミン市 見出し画像:ニントゥアン省の原発建設予定地だったところ。 2010年に日越両政府は第二原子力発電所建設で同意したが、2016年にベトナム政府は同計画の中止を決定した。 はじめに 今回は、東日本大震災の福島第一原発事故により、原発建設問題で揺れているニントゥアン省で聞き取り調査をおこなった。 ニントゥアン省は南中部沿海地方にあり、1976年から1991

          Ⅰー22. 主要な戦場ではなかった中部最南端の戦争の記憶:ニントゥアン省

          Ⅰー21. ハノイ市にある「捕虜となった革命戦士博物館」:戦争の記憶の「社会化」(後編)

          3.釈放後の元捕虜への偏見と待遇 捕虜交換による釈放 1973年1月締結のパリ和平協定第8条により、捕虜交換が行われることになり、本稿のインタビュイー11人のうち10人が1973年の2月・3月に南ベトナム最北端のクアンチ省にて釈放されている。 トアン(①)によれば、フークオック島から飛行機でフエ市のフーバイ飛行場に行き、そこから自動車で捕虜交換地点のタックハン川まで向かった。彼は川を渡ってはじめて生きられると実感し、迎えの人と抱き合い、喜んで飛び跳ねた。 キム(⑩)だけ

          Ⅰー21. ハノイ市にある「捕虜となった革命戦士博物館」:戦争の記憶の「社会化」(後編)

          Ⅰー21. ハノイ市にある「捕虜となった革命戦士博物館」:戦争の記憶の「社会化」(前編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(21) ★2011年12月23日~12月30日:ハノイ市 見出し画像:「捕虜となった革命戦士博物館」の入口 はじめに 今回は、ハノイ市の中心部から南へ車で約1時間行った郊外ハノイ市フースエン(Phú Xuyên)県ナムチエウ(Nam Triều)社にある「捕虜となった革命戦士博物館」(以下では「捕虜博物館」と略す)での聞き取り調査の結果をご報告する。 この博物館は2000㎡余りの敷地面積をもち、二棟の展示室のほか戦没者慰霊堂や会

          Ⅰー21. ハノイ市にある「捕虜となった革命戦士博物館」:戦争の記憶の「社会化」(前編)

          Ⅰー20. 「ザップ氏の兵士」と「ディン女史の兵士」:タイニン省(後編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(20) (3)北からタイニンの戦場へ ①南出身者の南部出征 北からタイニンの戦場に来た兵士には、大きく分けると2種類いた。1つは北出身者の南部出征である。もう1つは、元々南出身で、ジュネーブ協定後に北に「集結」していた人たちである。今回の聞き取り調査では2人の「集結」者がいた。この2人のうち、1人は北にとどまり、1人は南部出征した。 (a)クアイ(男、1929年、タイニン省、大尉) クアイは1954年に部隊ごと北に「集結」。彼の部隊は

          Ⅰー20. 「ザップ氏の兵士」と「ディン女史の兵士」:タイニン省(後編)

          Ⅰー20. カオダイ教に対する記憶:タイニン省(前編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(20) ★2011年8月18日~9月8日(ハノイ市、ハイズオン省、ホーチミン市、タイニン省) 見出し画像:タイニン省タンビエン烈士墓地(タイニン省タンビエン(Tân Biên)県タインタイ(Thạnh Tây)社) はじめに 今回は、南ベトナムの東南部にあるタイニン省での聞き取り調査について報告させていただく。 1911年夏の訪越は、前半がハノイ市等での調査、後半はタイニン省での聞き取り調査と盛りだくさんであった。まず、前半の調査

          Ⅰー20. カオダイ教に対する記憶:タイニン省(前編)

          Ⅰー19. フイン・タン・ファットの長男にインタビュー:ビンフオック省(後編)

          ベトナム戦争のオーラル・ヒストリー(19) ★2011年5月16日~6月3日:ハノイ、ホーチミン市、ビンフオック省、ホーチミン市 はじめに 今回のビンフオック省での聞き取り調査のインタビュイーの中に、ベトナム戦争中の南ベトナム民族解放戦線・副主席兼書記長で、1969年には南ベトナム共和国臨時革命政府主席に就任したフイン・タン・ファットの長男フイン・ティエン・フン(Huỳnh Thiện Hùng)氏(見出し画像の右から二人目。フン氏の自宅にて)がいた。後編では、彼へ

          Ⅰー19. フイン・タン・ファットの長男にインタビュー:ビンフオック省(後編)