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幸せなら手を叩こう健康法

幸せなら手を叩こう健康法

手を叩くだけで健康になれるだろうか

「エアー」とか「ごっこ」とか、そんな類と言えば良いのか。
最近の言葉にバーチャル世界の「メタバース」があるが、これも一種の「エアー」かもしれない。
「そうなりたい自分」を想像して手を叩いているのかなとも思う。
「幸せなら手を叩こう」と言われて嫌な気分になるわけではないし。
「幸せなら手を叩こう」と歌った坂本九は、日本中に笑顔を振りまいた。
坂本休の笑顔と一緒に日本は急成長の道を歩んだ。
「幸せなら手を叩こう」「幸せなら手を叩こう」「幸せなら手を叩こう」と繰り返しながら。
この頃の日本は健康国家だった。
そして、「幸せなら手を叩こう」の歌声が日本から消えた時から、日本は凋落した。

念仏かな、「幸せなら手を叩こう」と唱えてみようか

「幸せなら手を叩こう」を何度も何度も繰り返していたら、いつのまにか念仏になったような気がした。
実際やってみると、手を叩くだけで、手が暖かくなってくる。
手が暖かくなってくると、気分も上昇してくる。
運気が上がってくるようだ、
そこで更に立ってやってみる。
「幸せなら手を叩こう」「幸せなら手を叩こう」と。
いつしか体が手拍子に合わせて動き出す。
歌いながら自然に腿があがり歩き始める。
歩きながら歌って手を打つ。

幸せなら手を叩きたくなるか

良いことがあった時、バンザイをしたくなる。
宝くじに当たった時、ジャンプしたくなる。
バンザイをしながらジャンプをする。
人は幸せを体全体で表現したくなるのだ。
これは自然な発露だ、体が反応してしまうのだ。
だから、手を叩きたくなるのは自然。
「幸せなら手を叩こう」と言わなくても、幸せな時は手を叩きたくなるのだ。
逆もまた真なりなら、手を叩いていたら幸せになれるかも知れない。

シンバルを鳴らすお猿さん

昔、シンバルを鳴らすお猿さんが、おもちゃにあった。
猿の背中のネジを回すと、猿がシンバルを叩く、それだけのおもちゃ。
あのおもちゃはバカ売れした。
それだけしか出来ないおもちゃだったけれど、シンバルを叩くおさるさんは売れた。
人は、身近なところで幸せな様子を見て安心するのかもしれない。
「このお猿さんは幸せそうだな」
そう感じるだけで、人はちょっとだけ幸せになるのかも知れない。
幸せは、そう感じる心だから。
お猿さんは「幸せだからシンバルを叩こう」と言っていたのだろう。
そうすると、「幸せなら手を叩こう」は、ありなのだ。
「幸せなら足ならそう」も、ありで、「幸せなら肩叩こう」も、ありだ。

悲しい時に一人で歌ってみよう

悲しいことは、誰にもある。
いつ何時、予期しない時に、悲しみは突然やってくる。
そんな時、「幸せなら手を叩こう」を歌ってみよう。
手だけ叩いても感じが出ないし、やる気も出ない。
やっぱり歌いながら足踏みしながらが良い。
わたくしも、実際に一人でやってみたが、朝の日課としてすごく良いなと思う。
「幸せなら手を叩こう健康法」が、他の追随を許さないのは、健康法を実施しながら、幸せになれることが保証されているからだ。
健康法は、本来健康になると同時に幸せになろうという事だった。
それが、今では、ただ健康になるだけの内容のないものになった。
本当の健康法は、不幸のどん底に落ちた苦しいときこそ実施して、苦しみを開放してくれるものであるべきだ。
救うのは自分だけではない。
苦海を生きている友人に、「幸せなら手を叩こうで」で幸せになってもらおう。
世界で苦しんでいる人々にも。

効果的な自己陶酔

健康法は宗教みたいなもの。
信じなければ、効果は期待できない。
確かに「幸せなら手を叩こう健康法」は、人前で実施するには勇気がいる。
しかし、自分に打ち勝つため、徹底的に自己陶酔への道を歩もう。
勇気があるなら、「幸せなら手を叩こう健康法」の講習会も開こう。
信じれば救われる。
絶対頑張り通そう。
幸せいっぱいの笑顔を振りまけば、周囲の目も変わってくる。
何時の日か、「幸せなら手を叩こう健康法」が世界標準の健康法になるかもしれない。
こんなことを考えながら、夢は膨らんでいく。

旗じいの健康法はどうだったかな、最後まで読んでくれてありがとう。
人はいつも幸せを追いかけて、幸せを手にする権利があるよね。
どうぞ、「幸せ健康法」で、幸せになって欲しい。

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