胃の大きさと糖尿病
健康が一番
老後の年金額に関心が行きやすいが、老後を迎えて最も大切なことは、健康だ。
「健康」には心と体の健康がある。
この2つの健康を維持することが、老後を快適に過ごす重要事項だ。
お金があれば、健康を買うことができると考えがちだが、それは一番の勘違い。
健康はお金では買えないと自覚すべき。
健康は、自分で作り上げるもの育て上げるものだ。
健康といえば食生活が基本
人間の体を作るのは、食事で体内に取り込む栄養素だ。
毒を摂取すれば、体はすぐにだめになる。
そんな単純な因果関係を人はあまり気にしない。
どこの情報でも、野菜を摂取することを勧めているけれど、
実際のところは、野菜を摂取する機会が少ないのは明白である。
どうやったら、野菜を積極的に取れるようになるかは、各自で違う。
野菜の摂取は、必要最低限の健康作りの土台のようなものだ。
だから、野菜嫌いで野菜を食べられないと嘆いている人には、健康は難しい。
年をとってからも食生活の改善は遅くはない
若い頃は、食生活に目を向けることは難しい。
若いというだけで、自分の力を過信してしまう。
それは誰でもそうだ。
若い頃から、食生活に関心を持って取り組めていたら、
その人はかなりの達人である。
普通の人は、暴飲暴食など日常茶飯事だ。
それでも、若い頃は病気をしないで元気だ。
しかし、病気をするのは、若い頃ではない。
年代を重ねるごとに、病気のリスクは高まってくる。
首位を見ると、60歳台から70歳代にかけて、一番病気になりやすく、
この時期に亡くなる人が多い。
男性の場合は、健康寿命が77歳位だから、70歳代は要注意。
長生きは、老人の誰もが長生きというわけではない。
長いいの人は、それなりの食生活をしていると思ったほうがいい。
大切なことは、自分で食生活を見直したいと思ったら、即実行すること。
成人病は、あなどれない
一番怖いのは糖尿病だ。
すべての病気のもとになると良く言われる。
しかし、この病気は、すぐに死と結びつかないので、危機感を持つ人が少ないようだ。
初期の状態だったら、たいてい放っておいて、食生活の改善などに目が行かない。
そして、気がついたときには手遅れというパターン。
短い人生でもよしとするなら良い。
年金など必要もない太く短く生きることが信念の人も、それで良い。
でも、健康な老後の生活を期待し、年季を手にしたいなら、成人病に目を向けよう。
糖尿病の初期段階で、食事の制限ができる人は、稀だそうだ。
食事の制限は、難しいので、糖尿病患者は増える一方なのだ。
「美味しいものに目がない」というように、人は美味しいものに惹きつけられる。
街を歩いていても、テレビを見ていても、美味しいものが常に目に入ってくる。
このような状態では、美食に走るのはいか仕方ない。
では、運動に取り組むかと言えば、これも難しいらしい。
糖尿病になりやすい人は、もともと運動不足の暮らしをしている。
生活自体が、糖尿病体質なのである。
医者に言わせると、夜型生活から朝方生活に切り替えるだけで、糖尿病患者が減るらしい。
そのくらい、糖尿病は日々の生活に直結している。
でが、どうしたら良いのだろうか。
自分の体を知ることが1番必要
自分の体のことは、成人健康診断で分かっていると多分言われるだろう。
そういう医学的な診断ではない。
わたしが、強調したいのは、手の大きさや足の大きさのことだ。
自分の手の大きさなら誰でも知っている。
だから、掴む時に、自分の手より大きなものを掴むことはない。
靴を購入するときも、自分の足のサイズに合わせて選んでいるはずだ。
間違えても、サイズを無視して色やデザインで靴を選ぶ人はまずいない。
では、あなたの胃の大きさは?
もしそう聞かれた時、あなたは自分の胃の大きさがどれだけか答えられるだろうか?
胃の大きさは、自分のげんこつ2つ分
この事実を初めて知った時、
わたしは正直驚いた。
かぼちゃほどにもならない大きさである。
大きなりんごより少し大きいくらいのサイズ。
この大きさの胃に、この数倍の容量の食物を押し込んでいたのである。
いやいや、数倍どころではない。
胃は風船のように膨れるらしい。
飽食すると、お腹が出てくるのは胃が膨らんだ結果である。
バイキング料理や、食べ放題で食事をすると、胃の中には必要以上の食べ物が詰め込まれる。
このことを想像できるだろうか。
本来は、げんこつ2つ分の大きさの胃が、風船のようにように膨らんでいたとは。
胃の中は見ることが出来ないけれど、想像するくらいはできるだろう。
反対に全部消化すれば、胃は小さくなる。
お腹がすいたと感じる状態である。
お腹が空いた状態とは、胃が本来の大きさに戻ったという事である。
無理をしていない自然な状態の胃である。
暴飲暴食は自分の体に何も良い結果を与えない
食事をする時、中皿の大きさに載っている食材を想像しよう。
げんこつ2つ分の大きさ。
ワンプレートの上に載った食材である。
これが、無理のない食べる量だ。
この量なら、胃はすべてを消化するのに苦しむことはない。
食べすぎて苦しいのは、胃が消化するのに苦しんでいるのだ。
胃が快適になれば、当然小腸や大腸も無理なく通過できる。
胃の大きさが、普通の状態になれば、大食いをすることができなくなる。
つまり、自然に少食になるのだ。
こうなると、糖尿病の危険は、ほとんど無くなる。
美食に惑わせられているのは心
心の弱い人は、美食に走る。
美食は、心の弱さを露呈しているようなものだ。
人間の体は、美味しいものを求めてはいない。
人間の体は、常に体に良いものを求めているのだ。
大量の食物より、適量の食物が必要なだけだ。
心の弱い人間は、食欲という欲望に振り回されてはいるだけ。
欲望に走りすぎた時、残念だが、人は滅びへの道を歩み始める。
いい年をして、なお欲望に走る老人男子は浅ましい。
この世の無常を悟る年齢になっても、幼児のように浅はかな人生を歩んでいるとしたら、
それで何になるのだろうか。
一生に一回ぐらい、自分に向き合って考えるくらいの気持ちが欲しいものだ。
旗じいの話を最後まで聞いてくれてありがとう。
飽食の世界の反対では、飢餓の世界が存在している。
それを意識しろとは言わないけれど、飽食する浅ましい自分を見つめたい。
人間は考える動物だ、それなら食べるときにも考えながら食べたいものだ。
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