大丈夫、君に”意味”は沢山ある
自分の事。誰かの事。自分の為の誰かの事。誰かの為の自分の事。大袈裟かもだけど”生まれてきた意味”についての話。
・自分の意味、価値はある
・誰だって知りたがっていること
・必要のない人なんていない
自分の意味、価値はある
自分がいることで成り立っている「誰か」って実はいる。これだけで生きてる意味、価値があるなって思う。
昨夜、系列店の後輩との談義にて。後輩は自分の上司のことを評価しつつも「細かい、うるさい、少し手のかかる上司」だと笑って話していた。その上司の事は僕もよく知っている。仕事中の絡みはほぼないからあくまで”外面”での知っているってくらいだけど。
他店での研修を経て、後輩はこう思ったそうだ。
「私じゃなきゃ務まらない。他の子じゃ今の上司の下では機能しない。きっとやられる」って。
自分の立ち位置に誇りを持っている。普通に考えたらそんなややこしい上司の下にいることを心から望む人なんていない。もちろん、心から望んでいるわけじゃないんだけど、それでもそのポジションを遂行しようと決意している。
その姿と力強い言葉に僕は感動さえ覚えた。そして、こう思う。
「きっと自分がいることで成り立っている人や場所がある。それだけで生きてる意味ってあるよね」って。
誰だって知りたがっていること
目に見えること、耳に入ること、それだけがすべてじゃないことくらい誰だってわかっていて、それでも実際に目に見えたり、耳に入ってこないと実感することって難しい。
僕の肩にポンと頭をのせて眠ってくれたら「必要とされている」って感じることが出来たり、「ありがとう」「頑張ってるね」って言ってくれたら何もかもが報われる。わかりやすい話だ。
でも、体感できることだけが自分の生きてる価値の評価じゃない。誰かの生活インフラになっていることは実は多い。先ほどの話のように。
それを「感じる」「わかるよ」って言ったらどうも生意気に聞こえるし、「それは自分が言うことじゃない」って反論的な意見や視線が飛んできそうなものだがご安心を。
細かく探しても、細かく調べても自分で気付けないことの方がきっと遥かに多い。
これ、もっと気付けたら、国民全員、笑顔でいられるのになってふと思う。
人は自分が生まれてきた意味を知りたがっている。中には「意味をつくれる」人もいる。でも、圧倒的に「つくる」よりも「ある」ものを知りたい欲求が強い人の方が多い。
雨降りの金曜日。窓辺にてひとつ考察。
必要のない人なんていない
僕は毎日探している。自分が生まれてきた意味を。
こんな雨の日は特に。どっかの映画の主人公にでもなったような気分で思慮深く、趣のある自分を繕って窓辺でnoteに思い付いたことをただただ文字として羅列している。イメージは”現代の読書家、昼下がりに浮かぶ言葉”みたいな感じ。
きっとというか、確信ありだけど、僕は基本的に自分に自信がないし、劣等感に覆われているし、何か特別な才能もなくて面白味もないって思って生きてきた。
でも、楽しいことも沢山ある。昨夜だって朝まで後輩たちとワイワイあれこれ話していいだけ笑ったし、いいだけ色々勉強になった。
休日の後輩がわざわざ連絡をくれた。「飲んでますか?」って。
これ、こうやって文字にして可視化するとわかる。僕はその瞬間、必要とされた。結果、合流して沢山話した。聞いた。学んだ。今日に生かそうと思えた。実際、今日のnoteの内容は昨夜から引っ張ってきている。
本当に先述したような”逆パーフェクト人間”だとしたらきっとお声なんてかからないし、誰の本音も貰えない。
自分にはそれ相応の価値があることは証明されている。それをわかっていても自信が身に付かないってのはややこしい。
どれだけカラダに滑り止め塗ってるんですか状態。もっとペタペタくっつけばいいのに。
それでも、何とか過ごしています。毎日に意味をつくりながら。タスクをこなして、それが出来たら満足して、気付いたら深い眠りについて「おつかれさま」って感じ。
今日もきっと沢山笑える、そんな一日を迎えに行こう。ってことでお仕事行きましょう。
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