『遠慮』を手放したら、僕を傷つけられるのは僕しかいないってことがハッキリわかった
最近ずっと、自分の中にある 『遠慮』 を手放していて、
僕が僕以外の存在への遠慮をやめる
っていうところから、
誰からも遠慮されない僕
ってのをイメージしてみたのね。
そうしたらさ、昨日、ふとこんなことを感じたんだ。
遠慮せずに僕のことを嫌ってくれてもいいや
って。
なんていうのかな、
どんなに僕のことを嫌ったとしても、僕がその相手を愛していればいいや
って思ったんだよね。
これまでは、
僕を嫌いな相手に遠慮して、距離をとるようにしてた。
だって、わざわざ相手を嫌な気にさせることもないし、その反応で僕も不快になるからね。
だけど、遠慮というものを手放したとき、相手の振る舞いに遠慮して、自分の振る舞いを変えなくて良いかなって思ったのよ。
一度そう思ったらさ、
遠慮せずに僕のことを疑ってもらっても
遠慮せずに僕を否定してもらっても
遠慮せずに僕をガン無視してもらっても
遠慮せずに僕を批判してもらっても
僕は全然かまわないや!!
って、感じになったんだ。
相手がどんなに僕のことを嫌ったとしても、
僕は、その人を愛してるからね!
この心境というのは、これまで感じたことは無かったんだけど、
僕は、遠慮なく自分も他の人も愛することにしよう!
って、決めたら、そうなったんだ。
これまではさ、
嫌われたら悲しいし
否定、批判されたら、ムカつくし
無視されたら寂しいし
目の前の現実に感情が反応的になっていた。
心理学やコーチングを学んで、ステートをつくったり、シャドウを受け入れたり、インナーチャイルドを癒したり、色々なことをしてきた。
目の前の現実は自分が作っている。
なので、反応的になった時、自分の現実を変えるようにした。
それでも、反応してしまう自分がいて、キリがなかった。
だけど、ここ数カ月でリレーションシップを見直し、『遠慮』 というキーワードが出てきて、それを手放したら、
なんかスゲー面白い気づきが沢山あるじゃん!!
もうね、誰も僕のことを傷つけられない。
僕を傷つけられるのは、僕しかいない!
僕が僕自身を傷つけない限り、誰も僕を傷つけられない。
それが、ようやくわかった。
これは10年以上も前に本の中に記述されていて、知ってはいたのだけど、実感がなかった。
だけど、ようやくそれがわかったんだ。
だから、遠慮なく僕を嫌ってくれていいよ。
それでも、僕は傷つかないし、僕は僕とその人を愛するからね。
それに、どんなに僕のことを嫌ったとしても、完全には嫌いになれないしね。
嫌いの根底には愛があるから。
『嫌う』 という愛の表現をしちゃってるだけだから。
そんな感じでさ、リレーションシップを見直してたら、これまでとは感じ方、心の捉え方がだいぶ変わってきたんだよね。
今、自分自身、他人、お金、神との4つのリレーションシップについて 『遠慮』 という切り口から見直しているんだけど、なんか一気にグワッと動いていきそうな予感。
お金と遠慮しない関係とか
神と遠慮しない関係とか
面白いよね。
多分だけど、全ての人が本当にやりたいことをやれる世界って、これらの関係性が超強力な感じ。
ということで、これからも遠慮せずにやっちゃうことにする。
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