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【私小説】夏休みの話③(ラスト)

 お盆が明けると、少しホッとする。

 補習、部活、そして親戚の集まりという拘束もない。肩の荷を下ろしてやっていけるようになる。

 時間に余裕ができるから、何かしようかなという気持ちが芽生えてくる。

 この時間を私は、録画したままになっていたドラマやバラエティを見ることに利用していた。

 エアコンから送られる涼しい風。その中で氷でキンキンに冷えた麦茶を飲みながらドラマやバラエティを見る。

 瓶の中の麦茶が尽きたら、見ている録画した番組を一時停止し、暑い台所に出る。新たにパックを取り出し、水を入れた瓶に入れる。そして冷蔵庫に入れ、頃合いを見計らってから飲む。

 お昼は冷蔵庫や部屋の中にあるものを適当に食べていた。昨日炊いたご飯の余りに生卵と納豆、そしてキムチを混ぜたり、ネギやナルト、チャーシューを切ってゆでるラーメンを作ったり。そこに昨日の夜に母親が作った余りものをおかずにして。もちろん、先ほど作ったお茶は飲み物として飲む。

 洗い物をしたあと、体操着に着替えて家を出る。ドジな性分だから、戸締まりはしつこいぐらいにチェックして。

 こんな感じで、午前中はゆるりと過ぎてゆく。残暑と蝉の鳴き声は関係なく。補習があるかないかが、こうも私のメンタルに影響を与えるとは。


 家から学校までは、1キロあまり離れている。

 普段私は、この1キロあまりの道のりを歩いて登下校している。春と秋、冬ぐらいは何とも思わない。だけど、夏場はやっぱり拷問に感じる。

 強すぎる日射しにうだるような暑さ。そこに人生最後のチャンスを賭けた蝉の大合唱も相まって、削がれてゆく私の数少ないやる気。

「嫌だねぇ……」

 心の中で私はそうつぶやきながら、とぼとぼとした足取りで学校へと向かった。夏休みくらい、1キロ圏内に住んでいる生徒に自転車やバスでの通学を認めてほしい。

 そんな夏場の通学路は、悪いことばかりじゃなかった。

 国道へと通じている細い道に、田畑に水を流している小さな水路があった。

 この時期になると、水路に水が流れていることが多くなる。

 歩いているとき、私は水路を眺めていく。水路の中には、ドジョウやザリガニ、タニシといった生き物たちがいる。

 通学中にそれを眺めるのが、ちょっとした癒しになっていた。

 こんな暑い中でも、一生懸命生きている生き物たちがいると知ると、

「私も頑張らないとな」

 という普段の私らしくないことを考える。

 でも、用水路の生き物を延々と眺めている余裕はない。行かないと遅れてしまう。

 水路を眺めながらゆっくり歩いていた私は、前を向き、歩調を早めに学校へと向かった。


「そういえば、拉致られたあとにカメラ探したんだけど無かったんだよね。知らない?」

 刷毛を洗っているとき、隣にいた三浦くんに私は聞いた。

「あー、安心したまえ。それならわたしが回収したよ。君が拉致られて警察が来たあと密かに回収しておいた」

「そっか」

 とりあえず、持っていたカメラが無事だったことに私は安堵のため息を漏らした。連れ去られてめちゃくちゃに怒られたあと、カメラが無くなっていたので、少し心配だったのだ。

「ありがとう。データは消してないよね?」

「ああ、安心したまえ。消してない」

「わかった」

「あとで返す」

「了解」

 そう言って私は、先ほどまで水を出していた水道の栓を止めた。

 パネルの仕事が終わったあと、多田くんと合流し、帰り道の途中にあった公園に立ちよった。そこで花火大会で落としたカメラを返してもらった。


 パネルの作業を終え、家に帰った私は、一人テレビのニュースを眺めていた。テレビの画面からは、世に起きたアレコレや此頃世間に流行るものについて、大げさに報道されている。

(あ、今日も終わるんだ……)

 ふいにむなしい気持ちに襲われた。

 平穏な日常がまた終わった。夏休みの一日が終わった。そう考えるだけでも、なんだか憂鬱になってくる。

「終わらないで」

「時よ止まれ!」

 そう心のうちで願った。けれども、時間というものは無慈悲で、一分、一秒と細かく進んでゆく。無常迅速とは昔の人はよく言ったものだ。

「ああ、もう嫌だ」

 嫌だ。何もかも。発狂してしまいたい。全てが終わればいい。終わらせてしまいたい。

「あぁあぁあぁ──」

 叫ぼうとしたときに、玄関の戸が開く音がした。そのとき、はっ、と正気に戻った。

「ただいま」

 買い物袋を持って、母親がリビングへ入ってきた。そして、

「夏休みの宿題やったの?」

 と聞いてきた。

 ぼそぼそ呟くように小さな声で私は答える。

「これからやる」

「そんなこと言ってるけど、全然やってないじゃない」

「あ、そう」

 どうせいつものヒステリックでも起こすつもりだろ。私はそう思って、少し呆れた感じで返した。

 だが、母親は、意外にも冷淡な声で、ささやくような声で言う。

「貴方もう中2でしょう。来年から3年なんだから、勉強しなさい。貴方は頭が悪いうえに不器用で、見目形も良くないから、人の何倍も頑張らなくちゃダメよ」

 ──それぐらい、私にだってわかるよ。

 わかっている。誰よりもわかっている。私という体を持っているのは、私以外の何者でもないのだから。

 勉強もできない、運動もできない、芸もない。おまけに体力もなく、メンタルも弱く、見目形も良くない。これが私だ。人間と比べて、圧倒的に何もできないのだ。

 もし私が勉強が人以上にできたら。もし私が何かしらの技芸の素質があるのなら。もし私が精神的にタフで体力にも余裕があったら……。宿題もやろうと思うし、テレビのニュースを見る以外のこともしてみようと思う。けれど、現実の私には、そんな頭のよさや特技、鋼のメンタルを持ち合わせていない。だから、宿題を解こうと思っても難しくて解けないし、何かしらの技芸の素質がないからやる気が出ない。そして誰よりもメンタルが弱いから、少し怒られただけでもやる気を喪失してしまう。

 人並みの能力を持つ人間の目線から見れば、私の言っていることは全て甘えなのだろう。それぐらいわかる。無能で暗い私のような人間よりも、明るくて有能な人間の方が好かれるのだから。

 この日も、次の日も宿題はやらなかった。

 こんな感じだったので、案の定夏休みの宿題は終わることはなく、学期明けの授業で各教科の担当の先生たちから怒られた。


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