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【エッセイ】やりたいこと、やってみたいことをやるというスタンス(『佐竹健のYoutube奮闘記(8)』)

「やりたいこと、やってみたいことをやる」

 このコンセプトでYoutubeチャンネルをやっている。

 史跡巡りかと思ったら、次は家の中でかなり下手くそな演技をしていた。また下手くそな演技をするのかな? と思ったら、今度は朗読をしていた。動画の内容が統一されていないのはそのためだ。

「Youtubeチャンネルは特化型の方が伸びる」

 巷ではそう言われている。確かに、何か一つのことに特化しているチャンネルの方が、登録者も多い。そして何より、知識量がすごいな、と思う。

 だが、私には特別な知識は何一つ持ち合わせていない。そして、物覚えが非常に悪い。加えて私は、飽き性だ。だから、技術や知識を身に付けようとしても、覚えられないし、続かない。

「トーク力」

 特別な知識が無くても、トーク力があれば、つまらない日常のことでも面白おかしく語ることができる。トーク力があるなと思うのは、芸人やチームで運営しているチャンネルに多い傾向がある。

 芸人はプロ、チームで運営している場合は掛け合いが見どころだから、面白いのは当然だ。だが、素人で一人でチャンネルを運営しているのに、面白いことが言えたり、楽しそうに話せる人は、本当に尊敬できる。

 私にもトーク力があるかと言えば、無い。カメラを目の前にして何かを話そうとすると、

「こんにちは、佐竹健です。今回は、えーっと……。あ、そうだ、〇〇をやってみたんだった!!」

 という感じで、コミュ障全開のかなりぎこちないスタートになる。

 それと、私はもとより感情表現に乏しい。だから、どんなに面白そうなシーンでも、真顔になったり、平坦な声調になったりしてしまう。

「日常をコンテンツ化する」

 最近こうしたYoutubeチャンネルをよく見かけるようになった。いわゆるVlogやペットもの、ドキュメンタリーといった感じのものだ。

 日常を切り取った作品は、文字と映像、BGMだけでもできるから、誰でも気楽にできる。飾り気が無いから、出演者の等身大の素顔を見ることができるので、親近感が湧いてくる。

 日常をテーマにしたものなら、私でもできるのではないか? と思う人もいるかもしれない。だが、これも私には難しい。

 日常生活の中で、人に何かを語れるほどのネタが無い。いつも休日は、図書館で調べ物をしたり、ブックオフへ行ったり、マックやミスド、サイゼで執筆をしたり、公園で本を読んだりと味気ない感じだ。

 また、気恥ずかしい、というのもある。顔や私服姿を晒すのが、なんとなく恥ずかしい。だから、素顔のときは、作務衣や着物を着、狐のお面を被って登場などのスタイルを取っている。

 得意なことがない。物覚えが悪い。トーク力も無い。日常をコンテンツ化するのも難しいし、気恥ずかしい。なら、

「やりたいことをやる」

 もしくは、

「やってみたいことをやってみる」

 というコンセプトでやるしかないと思った。

 やりたいこと、やってみたいことをやってみるだけなら、下手でもいい。何かの経験や知識も、無理に日常をコンテンツ化する必要もない。概念が抽象的なので、特定のジャンルに縛られることもない。そして何より、私にとって、

「やりたいこと、やってみたいことをやってみる」

 というのは、将来の夢の一つでもあるのだから。

 トーク力の無さについては、何について話すかについて書かれた原稿を事前に作って、それを読めばある程度カバーできる。ただ、原稿を読みながら、感情的なものを上手く表現できるほどの技量が私には無い。なので、どうしても落ち着いた感じや棒読みみたいになったりするのだが。

 ダメなところだらけかもしれないが、これからも、

「やりたいこと、やってみたいことをやってみる」

 というコンセプトで動画を撮っていくので、見守ってもらえると、私としてもうれしい。


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