bio欄を護符にするか呪いにするか。
「軽く自己紹介してください」って難しい。
誰が聞いても不穏なムードが漂わず、踏み込み過ぎない内容。それなら名前と「よろしくお願いします」だけでも良い気がするが、そうはいかない空気感の時もある。
もうちょっと話してよ〜という空気が漂った際にさらっと付け加える一例、「犬が好きです」。
その一言には、
「(毎日甲高い声でカワイイデスネーと言いながら身体をこねくり回し耳の穴の匂いと肉球の匂いとワキの匂いの香ばしさを確認してお腹に顔を埋めつつ肉を吸ったり後頭部を唇でアグアグしたりするのが日課で職場の飲み会に参加するなら犬優先で帰宅したいくらい、)
犬が好きです」
という意が隠されているかもしれない。
その変態っぽい素顔の上に涼しい顔の仮面を被り、「犬が好きです」とだけ言う。
私のことである。
現実における自己紹介では、理由はともあれ情報量を少なめに設定する。たった一言の背後には膨大な情報量が隠されている。
言葉は氷山の一角だ。
対してSNSにおける自己紹介では、自分がどういった方面の人達と交流したいかによってその匙加減を微調整出来る。自分でbio欄を自由に設定出来るのだ。
氷山全見えでも良いし透明な氷山でも良い。
名前だけでも良し、格言を書くも良し、事細かに趣味や経歴を書くも良し。
何も書かなくたって良い。
面白いのは、何も書かなくても不思議と誰かと繋がれるということ。「自己紹介不要派」の人が集まる。
そして互いに素性をよく知らないまま交流し、関係を構築して行く。「あの人と仲良いし何となく価値観も好きだけど、名前も住まいも仕事も知らん」がSNSではザラにある(言わずもがな、ここ10年程は実名で登録する人が一気に増えたが)。
お互いに危険人物か否かを判断するための鑑識眼が必要となるものの、この「素性をよく知らないままそこそこ仲良くなる」というのは現実では中々見られない現象だ。
仕事で利用するSNSなら話は別だが、個人的なSNSでは自己紹介が無くても許容されるのだ。名前や住まいは単なる記号に過ぎない。
素晴らしいと思う。
そんな風に自由度が高いSNSでの自己紹介だけど、自分なりに注意していることがある。
それは「自分への呪いになり得る情報は書かない」ということ。
呪いというのは、本人の意思に問わず心を特定の状態に縛り付ける足枷である。
具体的には…自分の場合だと、HSP気質や気分変調症、INTJ型など。細かく書けばキリが無いけど、自分自身がまだ受け入れ切れていないことや、他人から指摘されると悲しいこと、つい免罪符にしてしまいそうなこと。
ツイートや記事ならともかく、bio欄という「顔」にはそれらを書かないようにしている。
これには二つ理由がある。
第一に、「その情報を前提としたコミュニケーションを取りたくないから」。
要は、似たような状態や境遇の人が集まることを避けるため。
類は友を呼びたくないのだ。
似たような人は思考回路も共通する部分があり、寄り添ったり励まし合えるので親密になりやすい。ただ、私は「HSP仲間」「気分変調症仲間」「INTJ仲間」とだけ関わり続けたいと思っていない。
むしろ、全く同じ特性を持った人がもし身近にいれば同族嫌悪するだろう。特にINTJ型という特性は客観的に見れば面倒臭そうだな~と思う。
余談ですが、INTJ型+女性はあらゆる分類タイプ+性別の組み合わせの中で最も少数なようで、一度診断で「あなたと相性の良い人は1千万人に1人」のようなことを言われたのを記憶している(他の方の診断結果を見ると、数百人or数千人に1人くらいが平均だった)。潔く「相性の良い人はいません」で良いのではと、笑ってしまった。まあ、面倒臭い人なのだろう。
話を戻して…。
仲良くなった人がたまたま列挙した特性に似た特性を持っていることもあるけれど、それらを前提に繋がるのは重荷に感じられる。
常に「HSP気質で気分変調症でINTJ型の私」として接しなければいけない気がしてしまう。それ以外の自分を抑え込んでしまう。
第二に、「その状態から脱却することが難しくなるから」。
これは第一の理由と繋がる。
「HSP気質で気分変調症でINTJ型の私」を掲げ続ければ、私はその状態から脱却出来ない。そこにアイデンティティの重きを置く限り、それらの特性を手放せなくなってしまうのだ。
手放せば「私ではなくなってしまう」から。
少しスピリチュアルな言い方をすれば、言霊の力は侮れない。
自分で書いた自己紹介は自己暗示に他ならず、それを毎日目にするというのは、「私は●●だ私は●●だ…」と唱えるのと同じ。
自分で自分をその状態に留めることとなる。
アイデンティティと思い込んでいるそれが実は呪いだった…なんてことにしたくないのだ。
あくまでも数ある特性の一つとして私はHSP気質であり、気分変調症であり、INTJ型であり…、そして他にも様々な面がある。
自分自身に余白を残しておきたい。
まあ、そもそも脱却する必要があるのか分からないんだけども。
特に分類型は人生の中でそう変わるものでもないだろうし。
もしbio欄にINTJ型ですと書けば続々とアレな人(失礼な書き方だが)と繋がれるのかも…と想像すると、それはそれで面白そうだとも思う。どないやねんという感じだが。
どないやねんという感じの以上の二つの理由から、私はbio欄をゆるく書くように努めている。
ここまで書いてふと思う。
ありのまま素直に、bio欄を書ける人も大勢いることでしょう。闇属性の呪いにしてしまわず、光属性の護符として明言出来る人が。特性を受け入れて生きる、勇気ある人が。
私はまだその領域に達せていないので、ぼちぼち行こうと思っている。
記事を書きながら、やっぱりINTJ型の自分面倒臭いな~と再実感する。
あ、こうして免罪符にしちゃうんだよね。
INTJ型だからとか関係なく私は面倒臭いことを肝に銘じる。
補記として…、
矛盾しているようだけど、誰であれ読んでくださると嬉しい。
似た特性を持った方であっても嬉しい。
散々述べといて、どないやねんという感じですが。
綺麗な仮面を被らず、bio欄にて素性も明かしていないこのnoteで、誰かが記事を読んでくれるなんて、少数とは言え信じられない気持ちになります。
「誰が」書いているかよりも「何が」書かれてあるかを見てくれる方がいることは、とても居心地が良いです。
noteのスキなんて「このCM良いな」程度の軽いものだろうけど。
それでも、ありがたいことだな。
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