まさか!自分がワーママに・・・!昔の自分に教えてあげたい・・・!ほんとよかった元気になって・・・。
今後、もらえる年金の予定金額が書かれた「ねんきん定期便」が届いた。
現在、賃貸暮らしをしている今の自分の住まいの家賃は、年金では絶対に払えない。引っ越すしかないのだと思うけれど、そんなことなら、さっさと家を買えばよかったのに、と思わなくもないが、しかし、ローンを組むのにちょうどいい年代の頃の自分はガチ鬱で、退職勧奨を全方位的に浴びていた。35年ローン(など)はとても組めるような心持ちではなかった。
よく指摘されることだが、日本の社会の中では、いろいろな国の問題の多くが「定年まで勤めさせてくれ退職金を払ってくれる企業(あるいは公務員などの組織)」と「雑務を全て無償で行う母親」によって、補完されてきたのだと思う。一体それが理想的な形で実現していたのが、どのくらいの期間だったのかは、わからないが、そのイメージの中で培われた「お金は父親が稼ぐ」「家事と育児は母親が行う」という分担の意識だけが強固に残り、今や男性も女性もとても大変なことになっていると思う。
65歳まで引き上げられた定年まで、安泰に勤められそうな優良企業に正社員として勤めている人は、本当に、どのくらいいるのだろうか。そんな男性と結婚し、ずっと主婦のままでも経済的な心配を持たない女性は、どのくらい、いるのだろうか。いないわけではないとは思うが、今やAIが何でもかんでもやってくれる。恐らく、自分が今従事している仕事など、本気のAIが搭載されたら、全てなくなる予感は大である。
私の両親世代(現在アラエイ)の両親の友人たちは、みんながほぼ専業主婦とサラリーマンか公務員による夫婦で、子供が2人以上いることが普通だった。母は女子大出身だったが、今でも皆、元気なので、長きにわたる繋がりがある。母と同世代で同じ大学出身の人たちは、結婚していない人はほぼいないようだし、老後の経済的な不安はあまりなさそうであった。当時はなんと言っても経済が右肩上がりに成長していった時代であるから、今の悲惨な2023年と比べてもしょうがないが、ごくごく普通に生活していれば、そういった不安のない老後が、当たり前だった。子供が長年大学に入り浸った挙句に全く働く気を失ってしまい、メンタルを病むなどの問題がある人もいたのであろうが(母のことであるが、母は多分それを友人たちにはちゃんと話していないだろう)医療費が払えずに苦しむとか、前歯が折れても歯医者に行けない、というような不安からは、無縁そうである。
結婚当初、私のメンタル状態は人生最悪の状態であったために、(その割にはフェスなどにはやたらに行っていた。フェスは温泉ではないが、湯治のような存在であった)物理的に家事ができなかった。結果的に、9割、夫が家事をする状態がデフォルトにならざるを得なかった。この20年間くらいにわたり、私がやっていた家事と言えるものがあるとすれば、「洗濯された新しいタオルをトイレのタオル掛けにかける」ことだけであった。機能不全家族のもとで育った自分は、母親としての役割をまっとうできる気が全くせず、恐らく、自分が母親にされたことと同じようなことを繰り返してしまうだろうということで、子供を持つことにも長きにわたり悩んでいたので、子育ての主担当からは、早々に撤退した。
「子供を持っても絶対に母親のようにやばい母になる予感がするから子育てはしたくない」と長年悶々としていた私に対して、大学時代の友人が中野の飲み屋でアドバイスしてくれた言葉は、人生を変える言葉であった。
「ねすぎは…子宮のみ提供することに専念すればいいんだよ。
後のことは、全て、旦那さんに、任せたらいいよ。」
「子宮のみ提供することに専念!?」
そのような発想はずっとなく、産んだ以上、自分だけで育てなければいけないと思い込んでいたので、目から鱗がぼたぼた落ちたのだった。彼女はフランスで学んでいたこともあり、動物として子供を産むという機能は女性にしかないが、フランスでは男性同士で養子を育てるカップルなども存在するのであるからして、別に女性じゃなくても子育てはできる、ということに何やら強い確信があったのだった(恐らく)。また夫が、とてつもなくパパっぽい人だったので、子育てに向いていそうであることも、よくわかってくれていた。
そんなことは…可能なのか?そんなことができる、父性の強い男性は、この滅びつつある日本社会に存在するのか?と思っていたが、身近に、いたのだった。生後すぐの時期は、母乳を与えるということは私にしかできなかったが、早々にミルクに切り替えて、子供と夫だけが寝る部屋、を作り、私は夜は一人で寝ていた。よく言われる、「子供が夜中に泣いても夫は全然気づかない」という問題を回避するために、全力を尽くした。その中で一番役に立った本が南アフリカ流子育ての本であった。なんと、必ず決まった時間にミルクをあげるようにすると、赤ちゃんは夜長く眠るようになる、という目から鱗の育児本で、その本に買いてあった通りに、泣いたらミルクをあげるのではなく、必ず決まった時間にあげるようにしたのである。その結果、生後半年くらいで朝まで寝てくれるようになったので、助かったのだった。
保育園の送り迎えがあった頃は、自分が子育ての主担当に近かったが、保育園の期間が終わった後は、9割9部9厘、夫が担当している。
私はAIに置き換わられそうな残念な仕事を終えて帰宅したのちには、下戸だてらに飲めるようになったビールを飲んで、夫が用意したご飯をもそもそと食べて寝る。時に少し夜更かしして晩酌をする。完全に昭和のお父さんである。
そこだけ話すと、そんな夫婦は滅多にいないため、羨ましがられるというか、絶叫されるというか「すごい旦那さんですね…、本当に良い人で良かったですね…」と言われる。
本当に良い人で良かった。
でも自分としては、夫だけが良い人である、と言われることは少し引っかかるのだった。ガチ鬱の状態の頃、家庭に入ったほうがいいという圧力は全方位的にすごいものがあった。さらには退職勧奨をずっと受け続けたまま働いていたということがあり、記憶もあまりない。なぜ、そこまでされても、辞めずに続けてきたのか。それは、とにかく専業主婦であった母親が子供である兄と私に対して異様に過干渉であったことが地獄のような思い出となっていて、ああいう母親にだけはなりたくない、と思っていたからだった。OLとして数年勤めたが、結婚を機に辞めて主婦になってしまった母親には、収入がなかったために、夫婦関係が対等ではなく、常に父親に見下されているような様子が子供心に嫌すぎたので、収入がない状態になることが、とにかく嫌だった。フェスにも自分のお金で行きたかったのだ(まあ、辞めてもいけるとは思うけど、高いし・・・)
読んでいる人はどれくらいいるのかわからないが、(自分でもどこに書いたのかわからない)私は、家事全般が全くできないので、パワハラの方が、ありがたかったのである。パワハラは、お金がもらえるし、急に体育会系上司に呼び出されるなどの圧迫を通じて、多様な人との繋がりが、あったのだ。絆である。KIZUNA。(当時はそんなふうには思えなかったけれど…。)
そうは言っても、当時自分が受けていた苦しみを相談しまくっていた友人たちには本当に心配をかけたと思うし、みんなが優しく聞いてくれるのをいいことに、あらゆる愚痴を、吐き出しまくっていた。そんな私の話を聞いてくれた友人たちは、全て大学時代の濃密な寮生活や、サークル活動で一緒に過ごした先輩や、同級生や、後輩の女性たちだった。
上下関係というものがなくフラットにあらゆることを話せる女性、というのは大学を卒業した後は、雇用形態などが異なりすぎて、できなかった。改めて、真剣に話を聞いてくれて、状況を俯瞰してみてくれて、適切なアドバイスをしてくれるような女性の友人がたくさんできたキャンパス環境に、心から感謝している。そして、そんな絶望的な時代の思い出を、日々日々(誰にも頼まれてもないのに)綴れるようになれた今の自分は、とてつもなく元気になった。
「しいたけ占い」によれば、私は今年、「18歳のテンション」で生きているらしい。
18歳のテンション・・・。18歳の頃と比べると、今の自分はほうれい線の増加やトイレの近さを除けば、ずっとずっと元気なのである。自意識にがんじがらめになり、自己評価がとてつもなく低く、家族の問題のことを自覚していなかった18歳の頃は、今よりも、ずっと辛かった。あの頃、まさか20年以上経った後、夫がいて、子供がいて、仕事をしているとは、到底思えなかった。未来から来た自分に「20年後、夫がいて仕事をして子供もいて毎日ビール飲んで西友で買ったダサすぎるパジャマを着て、ぐーぐー寝てますよ」と言われたならば、とても信じられずに、未来から来た自分の首根っこをつかんで「バカ言ってんじゃないよ!!!」と詰め寄っていたと思う(昭和のデュエットソング、ひろしアンドキーボー風)。
とてつもなくメンタルの調子が悪かった頃に、真摯に話を聞いてくれた友人たち、ありがとう。当時あまりにも日々酷い目にあっていて、そのせいで暴言を吐いてしまって、人間関係がボロボロになってしまったこともありましたが、私は元気です。本当に感謝しています。
当時の記憶は、あまり、ないのですが・・・。
以上です。
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