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「男女平等」なんて本気で信じてるわけじゃないけれど

大学のサークルの先輩カップルが子どもを授かった。

わたしのふたつ上とよっつ上の先輩のカップルは、それぞれの齢、27と29。周りの友だちの中では、ご懐妊第一号だ。

将来母となることが決まった嫁先輩のつわりが収まり、安定期に入ったというので、先日、お祝いするためにわたしは二人の家を訪れた。そして、出迎えてくれた幸せに溢れたふたりを見て嬉しくなって、馬鹿みたいに何度も「おめでとう」と叫んだのだった。

まんまるに膨らんだ彼女のお腹。はちきれんばかりに見えるそれは、それでもまだ、発展途上の5か月目。お腹の中の赤ちゃんは、ここからさらに3倍もの大きさになるそうだ。

宿主とは違う別の命がここで育っているなんて、にわかには信じられない。生命ってすごい。やばい。神秘。

「お腹が膨らんでおへそがでべそになっちゃったよ」と笑う先輩。だけど、つわりの時期は本当にきつかったらしい。

立てないし歩けないし吐いても吐いても気持ち悪いし、大好きだったお肉を見るだけで吐き気が込み上げたのだって。先輩の友だちに至っては、口の中に異物が入るのが気持ち悪くて、食事だけでなく歯磨きまでできなくなってしまったとか。

食べるために生きているといっても過言ではない生き方をしているわたしにしてみれば、聞くだけでも冷や汗が出る話だ。

だが、出産の苦しみはこの比ではないらしい。
出産の痛みは、男性が経験したら気絶するとか、痛みに強い北斗晶が死を見るレベルとか言われている。ともかく、人生でこれ以上を経験することのないくらい、相当な痛みなのだろう。

痛みは、陣痛が来てから赤ちゃんが生まれるまで、予測できない不規則な波のように続くのだそう。長い長い終わりが見えない戦いほど苦しいものはない。先輩の知り合いの中には、お産に36時間近くかかった人もいるらしい。実に余裕でブラジルに行けてしまう時間だ。

人間の出産がこんなにも大変だなんて神様の設計ミスだよ、と先輩は言う。子孫繁栄のハードル高すぎだ。全く、なんてバグだ。

変な話、赤ちゃんを産む時にうんちとかおならとかも一緒に出しちゃう人もけっこういるらしいって聞く。そして、ここまで医学が発展した今でさえ、15%の人は流産を経験してしまうそうだ。

本当に、世のお母さんっていうのは、自由とかプライドとかいろんなものを捨てて、子どもを命懸けで産んでくれているんだ。あまりに凄すぎてただただ圧倒されてしまう。

しかも、出産したらしたで、お母さんの1日のスケジュールはモーレツに過酷だ。病院の方針にもよるのだと思うけれど、先輩夫妻の病院では、3時間置きに授乳しないといけないらしい。夜だろうがお構いなしだ。お母さんの睡眠時間は細切れで数時間ずつ、トイレの時間まで指定されている。刑務所の囚人のほうがまだ自由な生活をしてるんじゃないか、と思ってしまう。

こうしたことを踏まえ、先輩夫妻は無痛分娩を選択した。母乳をあげることが難しいときには粉末ミルクを代わりにあげることも決めているそうだ。
「奥さんの負担を減らせる選択肢があるのなら、それを選ばない理由がない」と話す旦那先輩に「そうだよね」と激しく同意したが、世の中にはそう言ってくれる旦那ばかりでないことは察しがつく。

旦那先輩が嫁先輩のお腹をさすっているのを眺めながら、会社の役員や上司たちのオジサン顔を思い出した。なにかと「女性活躍」と叫ぶ彼らだけれど、「育児は妻に任せてます」なんて平然と言ってきたりする。

まあ、50を超えたオジサン世代の男性陣にとっては、男が外で働いて、女は家事っていうのが当たり前だったんだろう。ある程度は仕方ないことなんだろうなとは思うけれど、ここで今の価値観にキャッチアップする努力ができない人は、きっと時代に置いていかれて苦しむんだろうなとも思う。

ともかく、令和の今を生きる20代のわたしの感覚としては、同年代の中では旦那先輩のように「子育ては夫婦でするもの」と考える人が主流な気がしている。

ただ、そんなわたしたちの世代でさえ、男女間で不平等だなって思う時がまだまだある。

例えば、よくできた旦那先輩でさえ、「えー、そんなこと言っちゃう?」と思わせるような発言をたまにする。

わたしと嫁先輩で、「男の人も赤ちゃんを産めるようになったらいいのにね」と話していた時のことだ。

聞くなり、隣にいた旦那先輩が、「そんなの絶対いやだ!」と大反発を始めたのだ。つわりで苦しみ、自由に身動きがとれない奥さんを見て、自分は絶対にやりたくないと思ったのだそう。

「いや、女の人ばっか大変なの不公平じゃん」「医学がこんだけ進歩してるんだから、きっと近いうちにできるようになるよ」とわたしと奥さんで反論すると、旦那先輩が一言放った。

「いや、人口の半分が望まないことは実現しないんだよ」

そうなのだ。
人口比で約半分を占めている男性。そして、政治や会社で世の中を牛耳る位置のほとんどを占めている男性。

マジョリティに都合の悪いことは基本的に実現しない。

意思決定者に女性が少ないということは、つまりそういうことだ。

いくら男女均等が叫ばれていたって、世の中が男性優位であり続ける限り、女は搾取され、消費される立場にい続けるとわたしは感じる。

強い言葉を使ったが、搾取や消費とはいったいどういうことか。わたしがこれまで経験したごくごく一部の例をご紹介しよう。

それは例えば、こういうことだ。

高校生のとき、毎日のように痴漢にあう、とか。
大学生のとき、先輩に水着姿を盗撮される、とか。
就活生のとき、OB訪問で体を触られる、とか。

わたしが特段運が悪いだけでも、露出が多かったわけでも、特別にかわいかったわけではない。多かれ少なかれ、女性であればみんな似たような経験はしているはずだ。

せこいな、と思うのは、こういう人たちが、自分より力も立場も弱いとわかっている相手にだけ手を出すことだ。やましいことをしている自覚があるから、隠れて、こっそりと、ばれないように消費する。

ふざけんなよ。相応の金を持って相応の店に行けよ。

わたしが男性陣のことを根本で信用していないのは、こういうところからきているんだと思う。

そして、こういう消費のされ方は、男側も女側も、ある程度は仕方ないことだと割り切っている。

だから、その前提のもと、短いスカートを履くなとか、男友だちの家には一人で行くなとか、女の子たちは制限をかけられる。自分の身を守るために必要なことだから当たり前だ、と。

仕方ないことだということはわかるけども、なんだかなあ、と思う。
一部のまともな男性陣にも、我慢ばかりを強いられる女の子側にも、どちらにも失礼ではないか。

まあもちろん、生物的に機能が違うからいろんなところで差があるのは当たり前で仕方ないんだけど、まだまだ女のほうは、いくら強がっていても、男の人たちをどこかで怯えながら生きていかなきゃいけないんだろうなという気がする。

もしかしたら、男の人が人口マイノリティになって、子どもが生める体にならないと根本的には解決しないくらい、どうしようもない問題なのかもしれないけれど、せめて、この窮屈さとかモヤモヤを男性のみなさまにも知ってもらえたらなあ、と思ってnoteに書きなぐってみたわけである。

みなさんは、最近の「男女平等」ってどう思います?











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