「人事を尽くして天命を待つ。」
昨日なんとなく書いた「なんくるないさあ、たのシーサー✨」↓ が地味に気に入ってしまったので、今日も引き続きOkinawanスタイルでお届けします。
せっかくなので、沖縄出身の知人に教えてもらった「なんくるないさ」の意味について書きたいなと思ったのです。
ご存知のかたも多くいらっしゃるかもしれないし、そもそも調べればわかるわ、とつっこまれそうでもあります。
でも気にせずいこうと思います。
今日の主演は、以前『追憶の麻布十番』という記事で登場してもらった女性(詳細はこちら↓)の旦那さんになります。
彼は沖縄の出身で、その昔、十番で飲んでいるときだったのか沖縄で飲んでいたときだったのか忘れてしまったのですが、何かの拍子に「なんくるないさ」の意味について教えてもらったことがありました。
「なんくるないさ〜」というゆるやかな音の響きと南国の陽気なイメージのために、当時のギャルで言うところの「なんとかなるっしょ」の沖縄版みたいなノリかなーくらいにぼんやりと思っていたこの言葉。
でも、ちょっとちがいました。
そのかたは「なんくるないさ」の意味を「人事を尽くして天命を待つ」という言葉に訳して教えてくださいました。
「自分にやれるだけのことを一生懸命やったら、あとのことは天にお任せするのみである」
そのような意味であるのだと。
ご夫婦それぞれがご自身で大きな事業を動かしている経営者でいらっしゃったことに加え、年齢の差や経験、ご家族の事情など様々な隔たりを越えてお互いをリスペクトし合い結ばれたお二人の話を伺っていましたので、
日頃どんな思いで仕事や生き方と向き合いこの言葉を遣われているのだろうかと想像すると、彼の言う「なんくるないさ」の言葉の奥に潜むものに畏敬の念を感じざるを得ませんでした。
「自分にやれるだけのことをやったら、答えは天がくれるものだ」
言葉にするとシンプルですが、「あとは天命を待つのみ」と言えるほどに自分の使命と愚直に向き合い尽くすことが出来る人ってどれだけいるのでしょうか。
きっとそこには計り知れないほどの葛藤や不安や恐れを伴います。常人には理解できないほどの孤独も味わうと思います。
それでも、自分の道を自分で決断しながら進まなければいけません。
自分の使命を生き始めたとき、「人」から結果や答えのようなものが返ってくることを望むととても苦しくなります。
答えをくれるのはいつでも「天」のほうなのであることを忘れると、焦りが生まれるのですよね。
私たちは「善」だとか「愛」のようなものを外側に向かって投げたときに、つい投げた方向から何かが返ってくることを期待してしまうものです。
でも本当はそうじゃない。
私たちの投げた「善のような何か」は、どこか見えない場所をぐるぐる経由して、巡って巡って真上とか斜め上とか足もとなんかからかえってくるのですよね。
このことを、すっかり忘れるところでした。
「人事を尽くして天命を待つ」。
この言葉は私自身がいま一番必要としていた言葉だったように思います。
やっぱり書くことっていいですね。12月に入ってからは特に、noteが私のセルフコンサルになってます。
昨日の「なんくるないさあ」は、他でもない私自身が一番聞きたかった言葉。
同時に、いま何かを頑張っている 画面の前のあなたにも届いてほしい、そして一緒にわかちあいたいなー(わかちあうってなんか違う言葉で言いたいけど適切な表現が見つからない)って思う言葉です。
ちなみに「なんくるないさ」の前には本来「まくとぅそーけー」という言葉がくっつくのだそうで、全体を訳すと
人として「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」「なんくるないさ=何とかなるさ」を意味する。「挫(くじ)けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味である。単に「何とかなる」と言う楽観的見通しを意味する言葉ではない。
となるのだそうです。(これは今調べた。)
自分の道を進めば、天がちゃんと見ていてご褒美をくれるのだ。
「ご褒美まだかなあ」と期待ばかりしてしまうけど(それもまたカワイイのだけど)、自分にできることは人事を尽くすのみ。
今日もわたしは、わたしを生きるのみです。
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なんか思ったことシリーズ。
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