公開しにくいことを書くということ。
一昨日の記事で「noteスランプだー」などと騒いでいた私ですが、その記事が公開されたすぐ後に書きたい気持ちがなんか自然発生してきました。
そこである種の使命感みたいなものさえ感じながら書いたのが昨日の記事だったんですけど、書いたはいいものの公開することに少しためらいがありました。
人に向けたものではないとはいえ、言葉や主張が少し強い部分があるために公開することに少しの怖さをかんじていたんです。
自分の恥ずかしい側面をオープンにすることにたいする抵抗もありました。
(きみは今さら何を言っているんだね、という感じですが)
そんな気持ちでモジモジ悩んだことも一晩寝てすっかり忘れていた頃、記事を読んでくれたおともだちから一通のLINEが届きました。
そのLINEを読んで、あーやっぱり公開してよかったなーっておもいました。
LINEをくれた彼女 (見てるかなあ。やっほー🙋♀️) (やっほーて。笑) も少し前におなじようなことを考えていたようで、私もこの内容を書いてみたいなーと 同じく少し前から温めていたことを考えると、きれいにタイミングが重なっていて驚きを隠せません。
そのおともだちとは住んでいる場所も離れていますし、コロナの影響や私が引きこもり始めたということもあり なにげに一度しか会ったことがなくSNSやLINEでのやりとりがほとんどですが、勝手にきょうだいのような いとこのような親近感を抱いています。
そしてこれは追記で書いているのですが、先ほどいつも仲良くしてくださっているフォロワーさんからも、タイムリーに前日同じことを考えていたというコメントをいただきました。
私が一人であれこれ思いを巡らせているとき、いろんな気持ちになっているとき。
リアルタイムでそれを知ることが出来なかったとしても、実は同じときに同じ気持ちを共有している人がこの世界のどこかにいるんだなーなんて思えて、なんか胸が熱くなりました。
こんなふうに思いがけず温かいメッセージやコメントをもらったりすると、やっぱり文章って、一人で書いてるようで、見えないところで繋がっている誰かと一緒に書いている共同作業なのかもしれない。
なんてロマンティックな気持ちになってしまいます。笑。
だからきっと、このnoteって私一人でつくってるものじゃないんだよなあ。
そういう心境になるような出来事って、自分にとって書きにくいことを書けたときに起こりやすいような気がしています。
自分のなかのタブーを「えいっ」って破ってみたときに、じつはその先にはきれいなお花畑が広がっていて、そこで誰かが手を振ってくれている。みたいなことってなにげに起こるんだよね。
最近は日々スランプな感じも否めませんが、こういうなんか気まぐれに訪れる「書きたい衝動」みたいなのを大切にしたいとおもいます。
いつ起こるのか誰にもわからないその衝動は、きっと今は見えていない誰かの心に繋がる橋のようなものなのだろうからね。
おしまい。
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あああ、思いがけず大好きって言ってもらえてうれしいぃぃ…!
goyaさん、ありがとうございますが溢れすぎます。らぶー💐
それでは今一度、noteの片隅でこの言葉を叫びたいとおもいます。
私のことすきって思ってくれる人が、今よりもっともっと幸せになりますように。
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今日もご清聴ありがとうございました。
今度こそおーしまい。
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