HSPの年齢とジェンダーについての考察①
今日はHSPトークです。
(HSPってなに???のかたはこちら。※Wikipediaに飛びます)
もちろん個人差があるので一概には言えないのですが、と前置きした上で話していきたい今日のトピック。
なんかHSPって「何歳だからこうあるべき」みたいな年齢とか「男らしさとは!」「女らしさとは!」みたいな性別の枠にはまらないかたが、なんとなく多いような気がするな、と常々思っておりまして。
いやわたしの場合は「頑張ったけどはまれなかった!!」の脱落組なのですがね。非常に残念です(棒読み)
たぶん長くなる予感がするので、今日は前編として【HSPと年齢について】というテーマで書いていこうと思います。
どなたから伺ったのかちょっと忘れてしまったのですが、作家の村上春樹さんが『30歳成人説』という考えかたを提唱されているのだそうです。
詳細を調べてみましたところ…
〝 自分が本当にやりたいことなんかそう簡単にわかるものではない。30までは色んなことをやって30になってから人生の進路をきめればよい。〟(Wikipediaより)
とのことです。
これって、生きづらさを感じながら生きてる人にとっては特に、本当にそうだよなあああああと思うのです。
特にこれまで身を置く環境や取り込んだ情報によって自信のなさを抱えていたり、自己否定することに人生の大半を費やしてきていたり、「大人とは」の概念に上手く染まれないなってかたは、自分の生きやすさを見つけたタイミングが成人でいいんじゃないかなって思います。
人によって28歳でも32歳でも42歳でも65歳でも自動車免許返納のタイミングでも、何歳でもそこがスタートでいいって思います。
(サムライスタンダードに染まりすぎていると、これっておそらく “きれいごと” にしか聞こえないと思うのですが、ちょっとあたりを見渡してみると、『大人の再出発』してるかたってたくさんいる。たくさんいるのよ。)
そういった実生活的な視点とはまた別に、永遠に純粋な子供であるのもHSPだし、逆に年齢を超えた賢者(隠者的なイメージ)であるのもまたHSPだと思うのですよね。
賢者っていうのは まあ比喩なんですけど、色んなことを人一倍吸収して咀嚼しているぶん 実年齢よりも考えかたや物事のみかたが本質的であることをさしています。
それって、曇りのない目で常に世界に疑問を投げかけるような 純粋な子供の心が生きているからこそ。
矛盾しているようで繋がっています。
本当に年齢不詳な人たちだなと思います(褒めてます)。
だからなんかこう… これは個人的な愚痴で申し訳ないのですが、自分より年齢の数字が少ないという理由で 相手にたいして「あなたまだ若いからねえ」とナメてかかる人とか、めちゃくちゃ稼いでる小中高校生とかを見て「子供らしくない」と批判するしかしない人とか、「もう歳だからこんなことしちゃいけない」と頑なに主張する人たちの思想とかありかたには ちょっと辟易してしまうんですよね。
なんだかピンとこないし、なにより魅力的だなって思えないんです。
感受性の豊かなかたとか内向型的なかたって、覇気があるというよりは物腰がやわらかく、貫禄があるというよりは実際よりも幼く見られやすかったりと、なにかとナメられやすいよってかたも(ごめんなさい)多くいらっしゃると思います。
でもなんか、だからといって誰が決めたかもわからないような「年相応」みたいなのに縛られすぎたり、年齢や立場の “上” の人に忖度して何も表現できなくなったりすると、せっかくの魅力が枯れていっちゃうし そうすると自分が誰なのかも忘れていっちゃう。
だからみんな、自分のなかで生きている少女(少年)っぽさとか賢者性を 消さないでいてほしいし自分もそうでありたいなって思います。
人間界の天使であり賢者(隠者)でもあるHSPのみなさんが、年齢の観念に縛られず どうかのびのびとご自身を表現して生きられますように。
ご清聴ありがとうございました!
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後編は【HSPとジェンダー】について。書けたら書きます。
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HSPトークのお部屋。基本褒めてしかいません。
優しいかたのための自分軸のつくりかた。気になるタイトルのものをどうぞ。
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