記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

映画『スタンド・バイ・ミー』の感想

映画『スタンド・バイ・ミー』。

名作と言われるのも納得です。

今日は、そんな本作の感想を書いていきたいと思います。

ちなみに、この記事はずっと下書きとして眠っていたものです。8月の最後の日に、この記事を投稿できるのは嬉しいです。本作は、少年たちの忘れがたい夏の物語ですから。

4人の少年たち

4人の少年たち、どの子も「どっかにいそうな男の子」であるような気がします。顔立ちや性格、体格、色々な要素が「どっかにいそうな男の子4人」って感じがして、とてもリアルでした。

思春期を目前にした男の子

12歳の少年4人を軸に進む本作では、思春期目前(思春期に片足突っ込んだような)の子供の、何とも言えないリアルな発言が印象的です。

彼らが、子供向け番組に出ている女の子の胸が大きくなり始めていることを話題にしているシーンがありました。Tシャツの文字が胸の膨らみによって変形していることに言及するシーン・・・。
キャッキャしながら戯れているあどけない少年たちですが、そこらへんしっかり見てるんだなぁって感じでした。「えげつない」とまでは言えませんが、彼らが確実に大人へと歩みを進めていることがよく表れていると思います。

Tシャツの文字の見え方の変化を口にするのが、優秀で大人しいゴーディ(ゴードン)であることも、印象的でした。見た目や能力とは関係なく、誰もに等しくやってくる成長の過程を見ているような気がしました。

人格とは何かを伝えるクリスの生き様

本作は4人の少年を描いていますが、主軸になるのはゴーディ(ゴードン)とクリスです。

特にクリス。
本作は、大人になったクリスの死から始まります。

荒んだ家庭に身を置くクリスですが、彼自身はゴーディも認める優秀な人物でした。
大人になったクリスは、自身への偏見が渦巻く故郷を出て弁護士になります。しかし、偶然入った飲食店の客が喧嘩を始めたのを止めようとして、ナイフで刺殺されてしまったのです。

私の心に残ったのは「クリスは弁護士であるから喧嘩を止めようとした」のではなく「クリスがクリスであるから喧嘩を止めようとした」ということが映画全体を通して描かれているということです。

クリスは少年時代、家庭環境の荒み具合で「不良」とか「劣等生」というレッテルを貼られることに苦悩していました。
冒険の最中、ゴーディにだけその苦悩を打ち明けて涙を流すシーンは非常につらいです。頼もしく賢いクリスが、偏見に苦しみ、大人を信頼できずにギリギリのところで踏ん張っていることが露わになります。とても切ないシーンです。

そんなクリスは、ゴーディの賢さや文才に早くから気づき、彼のことを応援し守ろうとしていました。また、物語の終盤では、町のチンピラにナイフで脅されても逃げようとしない勇敢さを見せます。
クリスは少年時代から一貫して正義感が強く、勇敢な人物だったということが、本作を見ているとよく分かります。

弁護士になったということも、見知らぬ人々の喧嘩をとめようとしたことも、それがきっかけで殺されてしまったことも、クリスの人格を考えれば不思議なくらい「自然」というか「クリスらしい」と思えてきます。

死だけを切り取ってみると悲劇的ですが、クリスの生い立ちや少年時代の苦悩を含めて見れば、その死でさえも、彼の勇敢さや努力が勝ち取った誉高いもののように感じられます。
「クリスらしい」と思われる、ひとりの人間として正当に評価されることは、彼の悲願だったのですから。

理性を超越して人生の様々な局面で無意識に表れ出てくるものが「人格」なのだと、私はクリスを見て思うのです。

クリスの運命を暗示するもの

前述したとおり、私はクリスの死を単なる悲劇的なものとは思っていません。彼が故郷を出て自分の手で道を切り開いてきたことに、とても心打たれています。

しかし、ひとつだけ悲しいことがあります。とても皮肉というか・・。

大人になったクリスは、ナイフで喉を刺されて死んでしまいます。

本作の終盤で、町のチンピラ(エースという名の若者)がナイフでクリスを脅すシーンがあります。

この脅迫に、弱冠12歳のクリスは屈することなく相対し、チンピラを追い払うことに成功します。
(ゴーディが銃を構えて立ち向かったことが非常に大きく影響したと思いますが。)

年下の少年相手に退却を余儀なくされたチンピラ、エースが、ナイフ片手に「覚えとけよ」と吐き捨てるのを覚えていますか。

私は、このシーンが忘れられません。
これはあくまでも私の個人的な見立てですが、大人になったクリスを刺殺したのは、このエースではないかと思うのです。

努力し、故郷を出て、立派に身をたてていたクリス。
そんな彼にとって、エースの存在はとても小さなものとなっていたことでしょう。もしかしたら、エースのことなんて、大人になってからはこれぽっちも思い出さなかったかもしれません。

クリスは「今」を生きていたからです。

しかし、エースはどうでしょうか。
青年期に蛮行を重ねた彼が、努力も変化もなく生き続け、幼いクリスやゴーディに敗北した屈辱をずっと覚えていたとしたら。
ずっと「過去」に囚われ続けていたとしたら。

偏見に苦悩し涙していた少年時代に退けられたナイフ。そのナイフが、立派な大人となった時に退けられなかったのです。

本作はクリスの死を通じて、人生のどうにもならない痛みや因果を真正面から描いていると感じました。
ナイフという凶器は、クリスの運命を暗示するものとして登場していたように思います。

人間関係のリアルな変化

仲良し4人組、ゴーディ、クリス、テディ、バーン。
彼らの人間関係は、中学生になってから大きく変化します。ゴーディとクリスは共に進学コースに進みました。大人になったゴーディは「テディとバーンとは顔を合わせるだけの関係になった」と回想しています。

あれだけ仲良しな4人組だったのに、意外とあっけなく疎遠になる感じがすごくリアルだと思いました。

映画やアニメでは「学生時代からの親友」といった位置付けのキャラクターが結構いるように思うのは、私だけでしょうか。

私は、それが悪いとは思いません。そのような友人がいることは素敵ですよね。

しかし、一方で、こんなことを思います。
「別に仲が悪くなったわけではないけど、会うことも話すこともなくなった友達って意外といるんだよな」と。

学生時代。あんなに一緒にいたのに、どうして会わなくなったのか、話さなくなったのか・・。
「時の流れ」としか説明のしようがないですよね。ただ、時が流れて、関係性が変化していったのです。ただ、それだけ。

本作では、この「時の流れによる人間関係の変化」をためらいなく描いています。私はその点について、とても納得したような、晴れやかな気持ちになりました。

親しい友人が人生のステージによって、時の流れによって変わっていくことは、普遍的なことなのだ思ったのです。むしろ、これが人間の世界の自然な形なのではないだろうかとさえ思いました。

かけがえのない12歳

本作を見ていると、4人の少年たちの家庭環境は断片的にしか語られず、どうしてこの4人が仲良しなのかが、詳しく説明されていません。このことについて物足りなさを感じる方もいるかもしれません。

しかし、私はこの「どうして仲良しなのか」がいまいちよく分からないことが、本作の魅力のひとつだと思います。

12歳、中学校に上がる前。これはおそらく、外見や学力によって友達を選別しない最後の時期なのではないでしょうか。「とりあえず楽しいから一緒にいる」という関係性が成り立つ最後の時期。そんな気がします。


今日はここまでにします。
お読みくださり、ありがとうございました。












この記事が参加している募集

映画感想文