二枚貝

通り過ぎていく天国の足跡

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最近の記事

2023.11.29 銀杏BOYZと大森靖子、少女の偶像について

 銀杏BOYZの歌う「女の子」というのは、一方的な偶像。それも、到達不可能な幻想、願望、理念みたいなものをすべて結晶させた偶像で、だからこそ『あの娘に1ミリでもちょっかい出したら殺す』では「僕にとって君は セーラー服を着た天使 色白で無口で どこか淋しそうな女の子」と歌われる。  しかし、そんな偶像としての「天使のような」あの娘は「淫乱」で、「どこかの誰かと援助交際」をしているし、綾波レイが好きなあの娘は、「ハウスのDJ」につかまって、「便所でセックス最高さ」と歌われる。

    • 2023.10.27 網膜にそのまま飛び込んでくるような花火の、直接性

       浅葱りんの『ホワイト・スペース』を読んで感じるのは、ひとつの世界が、ある特殊な、直接性の感覚によって描かれているということ。直接性というのは、たとえば花火。『キャンディ』に登場する「私」は、「ブルーの虹彩にアナーキーな瞳孔が浮かぶ瞳」のヘザーが作った咳止めシロップのカクテルを飲んで、そのとき、「大きな花」を見る。 〈少しフラつきながらソファーへ向かうと目の前に大きな花が飛び込んで来た。そのあまりの壮大さにたじろぎ、明媚な抱擁力に倒れ込むのを止められる〉(p42) 「私」

      • プロフィール

         二枚貝です。文章を書いています。 (ご依頼等は、twitterのDMもしくは、plantae.nelumbo@gmail.comまで) ・Twitter ・どこまでも終わり続けるために(日記) ・BOOTH(個人誌) ・Yotube ・午後三時、砂糖がけのウェブ(合同webマガジン) →「5月10日 天使の死体をコラージュにする」 →「Re:世界征服やめないで」 →「永遠(えーえん)に終わることのない自己紹介」 〈同人活動・その他寄稿〉 ・『ばらばらのままで/私にする』

        • (日記に関しては、しばらくこちらで書こうと思います) https://ophelia333k.tumblr.com/

        2023.11.29 銀杏BOYZと大森靖子、少女の偶像について

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        • 作品集
          6本

        記事

          2022-02-06 完璧なフィクション、新しい天使

          ・はやく完璧なフィクションになりたいな、と思う。ついコンタクトレンズを付けたまま眠ってしまうこととか、お風呂に入る気力がいつもないこととか、通信が制限されていていつもノイズばかりを発しているスマートフォン(普通に自分が病気なのでブラウザのタブの数が500個くらいあっておしまいになっている)が応答しない数十秒とか、そういうことではなくてただ完璧なフィクションに、なれたらいいな。 ・バイトが終わって気が付いたら早朝の4時とかになっていて、そこからいつの間にか意識を失って、起きた

          2022-02-06 完璧なフィクション、新しい天使

          12/28

          ・日記を書くことは難しい、といつも思う。それは何かを書くこと(あるいは言葉)に意味なんてないことを初めから知ってしまっているからで、だからこそ、一秒ごとに失われ、崩れていく意味(今日降ったあのはつゆきのひとつが溶けていく速さ)を上回る速度で文章を書かない限り、そこにはたった一つの言葉さえ現れることがなくて。 ・最近は本を読みたい、ということをほんとうに思う。11月くらいから、(金銭的に少しまずかったので)バイトを掛け持ちしてみたところ、週六くらいで労働をしては荒廃した部屋で

          12/8 終点のないまぼろし

          ・ラブホテルの清掃をするバイト、複数人で客室の清掃をしていたら、テレビの大画面のモニターに突然アダルトビデオが表示されて誰にも止めることができなくなり、これは資本主義(あるいは生そのもの)の隠喩なのかな、と思いながらゴミを捨てて、濡れた浴槽を拭く。喘ぎ声、は電車が軋むときの音と区別がつかないし、私たちの瞳はひとつのスクリーンになる。 メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですかそれともありませんか/中澤系 回り続けるメリーゴーランド、終点はどこにもないし、チャンネルのどこ

          12/8 終点のないまぼろし

          11/22 おはようエーテル

          ・11月23日(つまり明日)の文学フリマ東京セ-14で頒布される、四流色夜空さん主催の合同誌「おはようエーテル」に『酸欠、ひこうき、飛べない翼』という短編小説(ポエトリー)を寄稿しています。 ・最近は朝に家を出ては深夜に家に帰る、という生活が続いていてギターを弾くことも日記を書くこともできなくなっていたけれど、朝、家を出る前に大森靖子(単語を登録するのが面倒くさくて、ずっと「靖国」+「子」で入力している)の「ナナちゃんの再生講座」を感情になって弾き語っていたらやめられなくな

          11/22 おはようエーテル

          10/14 脳幹死するキリンが骨になってまた咲いて納棺されて火になるまで

          ・やる気なんてないよねそう知ってるよずっと前から、生に意味がないのなら狂うことをしろ、狂ったままでそのグロテスクな内燃機関に絶えず燃料を投下、し続けて。機関の回転のその空虚さに気がつかないように、気がついたとしても知らないふりをして。でも、そんな感情は人に見せてもつまらないからこたつの中に隠しちゃおうね、夜の天蓋。生きることと演じることが曖昧になっていくように、あおいろと茜色はグラデーションする、グラデーションのなかにいるうちにわかんなくなる、なりたくないものだけになることを

          10/14 脳幹死するキリンが骨になってまた咲いて納棺されて火になるまで

          2020.9.24

          ・おかしい、これは何かの映画から切り取られたワンシーンで、明日に向かって連続していることなんて信じられない。ヒュームが「知覚の束」みたいなことを言っていたけれど、それってこういうことなのかもしれない。いまこの現実を連続したものとして信じるためには、わたしを統合してひとつにするための機構が必要で、それはたとえばカントが言っていた超越論的統覚なんかだけど、そんなものがあるなんておかしいし、でもないんだったらぜんぶ過ぎ去っていく無数のひかりと音になって散逸してしまう ・好きなこと

          2020.9.24

          9/18 いま、思い出したこと

           露天風呂に入っているときって、自分の存在そのものが真っ暗な夜と冷たい外気に晒されている感覚があって無性に寂しくなるのだけど、同じことを言っている文章とか人を今までに一度も見たことがない。よく知らない土地で露天風呂は何となく暖色系、みたいな色のライトで照らされていて、遠くに見える(たぶん誰も名前を知らない)山々は真っ暗な闇みたいになっていて、そこから、あるいは他のすべての冷たさとか寂しさとしてがおりてきて、自分の存在そのものに直接冷たい外気が触れて、さみしい、と思う。浸かって

          9/18 いま、思い出したこと

          連作短歌『孵卵器のなかでねむるあなたへ』

           20年前、世界の中心からまっしろな卵が持ち去られて、そのときからこの世界はまぼろしになってしまった。フィクションになってしまった私たちはもう、あの持ち去られてしまった卵に触れることはできないし、部屋にはただ扇風機の回る音だけが響いている。 ビルドゥングスロマンはおしまい? 選ぶなら想像していてゆめの続きを エジソンの伝記をもらって読んだけど サナトリウムでおやすみなさい トリスタン・ツァラはいないよ お茶会に呼ばれることを祈っておいで 倉庫には卵が一つおかれてて あ

          連作短歌『孵卵器のなかでねむるあなたへ』

          8/17 三月ウサギのたましいと、演技する世界

          ・Mad as a March hare、三月のウサギのように。三月のウサギのように(三月のウサギのたましいだけを取り出して放置していたら、たましいは8月の日差しの底に沈殿したまま動かなくなってしまう) ・「三月ウサギ」という言葉が好きなのだけど、「ウサギ」という言葉をずっと見ていると、ほんとうにこれがあの丸っこくてかわいい「兎(うさぎ)」を表す言葉なのか分からなくなってしまう。「ウサギ」という言葉のその語感が、何だか恐ろしい怪獣やエイリアンのように感じられてしまって、現実

          8/17 三月ウサギのたましいと、演技する世界

          8/12 世界の終わりとディズニーランドの夢

          「明日、世界が終わるよ」 「どんな風に?」 「中学生だった頃のきみがいつも想像していたような仕方で」 「私たちは、いつまで夢をみているんだろう?」 「熱中症で倒れてしまったあの子が目を覚ますまで」 * 「世界が終わる日、ディズニーランドは営業しているのかな?」 「たとえ世界が終わっても、メリーゴーランドは永遠に回り続けているよ」 「そのとき、メリーゴーランドには誰が乗っているの?」 「あなたの脳は、きっと神さまと同じだけの重さをしているから」 * 「おめでとうございま

          8/12 世界の終わりとディズニーランドの夢

          7/28 たとえば

          たとえばきみが「まぼろし」という言葉を発したあの瞬間に滅びていった都市のことを思うとき、人生とか仕事とか恋愛とか、ぜんぶぜんぶどうでもいいって思う。(あの娘の最後の言葉、あいまいな意識、蝉の鳴き声はあたまのなかを反響していて)ブラウン管には1945年の木々の光が映っていて、回転する地球の中心でかみさまは眠ったままだから(ただ祈り続けるだけの肉塊になったのなら、言葉なんて必要ない)

          7/28 たとえば

          7/28 あのプールの奥へ、奥へ、奥へ

           りん(@Rinnlym)と回めぐる(@mawattemeguruyo)さんの『凛と巡る』という詩のネットプリントを数日前に読んだので、その感想を書こうと思って、ゆっくりと目を開けると、水の表面に浮かんでいる記憶が見えた  このネットプリントは2人で書かれたものなのだけど、どの箇所をどちらが書いた、みたいなことが明確には分からないような作りになっているのがいいと思った。  また、この作品は制服を着たふたりが見た「プールに浮かぶ記憶」というような言葉から始まるのだけど、全体

          7/28 あのプールの奥へ、奥へ、奥へ