9/18 いま、思い出したこと

 露天風呂に入っているときって、自分の存在そのものが真っ暗な夜と冷たい外気に晒されている感覚があって無性に寂しくなるのだけど、同じことを言っている文章とか人を今までに一度も見たことがない。よく知らない土地で露天風呂は何となく暖色系、みたいな色のライトで照らされていて、遠くに見える(たぶん誰も名前を知らない)山々は真っ暗な闇みたいになっていて、そこから、あるいは他のすべての冷たさとか寂しさとしてがおりてきて、自分の存在そのものに直接冷たい外気が触れて、さみしい、と思う。浸かっているお湯は温かいけれど、それは私の存在そのものを暖めるものではないし、お湯だって、底が見えることはなくて、出てくるお湯の音だけが虚しく響いているような。ライトのおかげで見える湯気とかお風呂の匂いとか、何となくこの世界とあっち側の世界の境界みたいな感じがする。
 最後に露天風呂に入ったのはもう何年も前(中学生の頃とか)だから、いま入ったらまた違うのかもしれないけど、露天風呂は自分にとってそういう感覚の場所で、そういえば昔はよく家のお風呂場で発狂してしまいそうなっていたことがあるから、そもそもお風呂場そのものが何だか特殊な場所なのかもしれないと思う。露天風呂とお風呂場ではそのあり方が全く異なるけど、お風呂場は何だか逃げ場なくて密閉されていて、「しろいろ」という感じて、すこし怖い。自分の声もよく響くし、無駄がなくてただシャワーを浴びたりお湯に浸かったりするだけの空間だから、最終的には自分自身を反響させるしかなくて、すべてが自分自身に帰ってくる。逃げ場がなくて、ずっとずっと考えたことが反響し続けていく。
 だから、たぶんお風呂場の中では神さまに祈ることしかできないんだと思う。お風呂場の中から神さまに祈ってみて、でも神さまはいるのかどうかわからなくて。頭の中から神さまに祈ってみるとき、声にしなくてもそれは神さまなんだから、きっと頭のなかを覗いてその声を聞いてくれるような気がしていた。
 でも、露天風呂は普通のお風呂場よりも開かれていて、かみさまとかじゃなくて、世界そのものの冷たい何かとか暗闇とかがそのまま身体に、その存在の中まで染み込んでくる、ような。

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