7/28 あのプールの奥へ、奥へ、奥へ

 りん(@Rinnlym)と回めぐる(@mawattemeguruyo)さんの『凛と巡る』という詩のネットプリントを数日前に読んだので、その感想を書こうと思って、ゆっくりと目を開けると、水の表面に浮かんでいる記憶が見えた

 このネットプリントは2人で書かれたものなのだけど、どの箇所をどちらが書いた、みたいなことが明確には分からないような作りになっているのがいいと思った。

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 また、この作品は制服を着たふたりが見た「プールに浮かぶ記憶」というような言葉から始まるのだけど、全体としてはそのような「表面」から、もっと奥(深い海の底、エロスとタナトスが不可分に結びついた、すべてのものたちの源)まで向かって、学校やモラトリアムを通過しながら、記憶と風景を巡っていくひとつの旅のように思えた。

「今日遠くプールに浮かぶ記憶とはつまりつまりは君のことです」

 はじまりを告げるのは5、7、5、7、7の定型詩、つまりは短歌で。この世界はプールに浮かぶ記憶から始まる。そして、定型詩の中に閉じ込められた〈プールに浮かんだ記憶(それは君そのものでもある)〉が解剖されていくように散文が展開されていって、学校の夏休みを、中止になった遠足とペトリコールを通過しながら精神のもっと奥深くへと潜り込んでいく。

 いまからあなたが巡るのは、うみの底であり、地球よりもっともっと遠くにある銀河でもあって、だからそれはどこからどう見ても一つの子宮だし、きみが壊そうとしている大脳皮質(それは天国と地獄を足し合わせただけの質量を持ったまぼろし)でもある

「最初の罪は私だった」

 それは、転調だと思う。たとえば校舎の屋上に立って、あなたはあなたを殺そうとするのだけど、このとき(フロイトが指摘するまでもなく)無意識においてエロスとタナトスが結びついていることをあなたは発見する。

「矛盾に満ちた大脳皮質 アミロイドβの香りがする」

 だから、プールという表面に浮かんだ記憶から底へと沈んでいく(それは死へ近づいていくことでもあるし、生命そのものへと漸近していくことでもあるから)一つの旅としてのこの詩の中で、言葉は生命そのものと死そのものの両方を含みながら、世界を立ち上げていく。

 大脳皮質、それは純粋に物質的な世界だし、アミロイドβはどうしようもなく物質としての私たちの姿を浮き上がらせるけれど、「脳はちょうど神さまと同じ大きさ(エミリー・ディキンソン)」だから

「僕たちは物質を脱いだ」
から、正解を見失う

 ここで、もうずいぶん深くまで来てしまった私たちは、物質もなければ正しいこともない、ただ訳の分からない力(それは生と死の両方を目指しながら生成し変化し続ける)と、祈り。そして、すべての始まりとしての太陽があるだけの世界へと向かっていく。

胎児の夢の中で走るよ 夢のない歪なうちの線路で
回って回ってめぐり祈るよ 此処で終わらせ無い様に

 後者の傍にあったあのプールの奥へ、奥へ、奥へ来てみると、そこには純粋な言葉と、太陽があって。太陽は、幾度となくうち萎れては輝く、昇っては沈んでいく。生成と変化の渦は死への意志と生への意志の両方を含みながら、輝いていく、詩が燃えながら輝くように、光を放つ。
 そして、最後にドーパミンがあふれたとき、私たちはまた物質としての世界へ帰ってくるわけだけど、世界は以前に比べて歪んでいて。その歪みを、胎児が子宮から抜け出てきたその瞬間のようにただ祝福すること(すべての苦痛と快楽、はじまりとおわりを抱きしめながら)


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