見出し画像

考察:なぜ技能実習生まわりで問題が起こるのか?ルールよりも個人のフォロー

外国人技能実習生が職場から失踪したり自殺が起こる背景に疑問を抱き、ライターとして取材したのが3年前。とある運命的な出合いから、自分も解決に取り組もうと起業したのが2年前。それが法人になったのが半年ほど前。

文化に習慣、あらゆる価値観の異なる外国人ニューカマーとの共生においていかに不幸を減らせるか。しばしば「多文化共生」と呼ばれるミッションを胸に活動を続けてきましたが、3年も経てば出会いや体験を通し学びも溜まってきます。そこで一度、これまでやってきたことと、なぜ問題が起こるのか、どうすれば解決できるか、私なりの考察を残しておこうと思いました。

最初に原因を並べてしまうと、この通り。

  • 体験なき偏見

  • 共通言語のバランスが悪い

  • 行動範囲が面ではなく点で狭い

  • ミスマッチ(情報不足や過度な期待)

ほぼ1万字とかなり長めですが、もしこの問題に関心を持ちはじめたばかりという人にはいくらか読む価値があるかもしれません。また、同じ問題に取り組む者同士つながることはいつでもウェルカム。ちょっと話してみたい程度も大歓迎です。この記事を読むのは大変ですが、ご連絡の方はお気軽に。

mizushima@otonaki.com

それでは、まず私が何者かについて。

コミュニケーションツールつくってます

合同会社オトナキの水嶋と申します。
事業はコミュニケーションツールの開発&販売です。

画像1

『COMIGRAM(コミグラム)』という、日本語と外国語とイラストの組み合わせをつくっています。COMIC(コミック)、COMMUNICATION(コミュニケーション)、PICTOGRAM(ピクトグラム)を足した造語です。バリエーションは実習生が働く業種を中心に、農業、建設業、金属加工業、食品加工業、漁業、そして、飲食業、小売業、看護、介護、買い物、学校関係、防災・避難に関連する、262種類のCOMIGRAMをつくっています。

画像2
縮小して読めないけど、こんな感じで262種類。

日本に多い外国籍の方の母国語を中心に、現在は21言語に翻訳中3月頃にはウェブサイトを立ち上げ無料配布をはじめます(非商用の使用に限定)。

写真のモデルは友人です

そんな262種類のCOMIGRAMから、11分野ごとに選んで組み合わせた17種類を印刷したアパレルや雑貨を、SUZURIというサイトで販売しています

ピンクやブルーなど各色を印刷したアパレルと雑貨を販売中。生地の色も黒や白以外あり。

また、普段着としてのデザインを重視しつつ、交流のきっかけを仕込んだ、「Tôi biết một chút tiếng Việt(ベトナム語少し話せます)」「日本語少し話せます」と印刷されたアイテムもつくりました。こちらもSUZURIで購入可。

私。パーカーには「ベトナム語少し話せます」と印刷されています。
日本語少し話せます
こちらも各色あり、生地の色も選べます。

商品の最大のねらいは、コミュニケーションのきっかけづくり。日本なら日本語や英語といった共通言語のボキャブラリーが少なく、意思疎通に不安がある人同士でも、外側に見える形できっかけをつくる。だからこそアナログであることが大切です。私自身、海外で日本語が印刷されたTシャツを着ている人を見ると、たとえ初対面でもどことなく親しみを覚えるものでした

布元(厚生労働省)
レインボーフラッグ(©Robert Lamb

目指すところは、妊婦さんに気配りを促すマタニティマークや、LGBTQフレンドリーを示すレインボーフラッグに近いかもしれません。言語のバリエーションを増やすとともに、より役立てるものを考えて形にしていきます。

事業をはじめた経緯

この商品構想を思いついたのは2年前のこと。奄美群島のひとつであり、今私が住む沖永良部(おきのえらぶ)島で開かれた日本人(島民)とベトナム人実習生40人前後(+中国人実習生2名)の交流会に参加したことがきっかけでした。当時、島にはなんと100人近いベトナム人実習生が働いていたのです。全員、島の特産品である花の生産(花き産業)に関わっていました。

島で働くベトナム人実習生のみなさんと私

沖永良部島とベトナムは、私にとって縁の深い場所です。島は、母の故郷であり祖母が住む、ルーツのある場所。そしてベトナムは、2011~2019年まで拠点にしていた国で、ブロガーやライターという仕事を通じ、「クリエイターになる」という私にとって長年の夢を叶えさせてくれた場所でした(詳細は下記にまとめられていますが、この記事より倍以上も長いので注意…)。

2020年1月、ベトナム生活から帰国、帰省前に祖父の法事で島に寄ったところ、タイミングよく交流会が開かれていたのです。まさかルーツを持つ島にベトナムから来た技能実習生が100人も住んでいると思わず、驚きました。

下記は当時書いた交流会のレポート記事です。

主催は鹿児島県沖永良部事務所と、エラブネクストファーマーズという若手農家集団のリーダー要秀人さん。島は以前、「実習生が逃げていく島」と失踪について取り上げられた過去があります。それは島を糾弾するものではありませんでしたが、ネットの海にいつまでも「実習生が逃げる沖永良部島」という言葉が漂流し続けることは、社会上意義ある発信でも、多くの島民たちにとっても辛いものでした。しかし失踪があったことは事実、「なら交流しよう!」と要さんは交流会を開き、その2回目に私は居合わせたのです。

左にいるのが要秀人さん

以前から実習生たちの日本での暮らし、もっと言えば職場からの失踪やハラスメントといった社会問題に関心を持っていた私。ライターとして取材をしたこともありましたが、記事に書くだけで終わり、問題についてその背景を知りながら解決に動かない自分を不誠実と思っていました。そんな中で、沖永良部島とベトナム人実習生が交わったことは運命的な遭遇だったのです。

元実習生などの保護に励むベトナム人僧侶タムチーさんにも取材
島の交流会の終盤では壇上がクラブと化した

交流会は大盛況!でしたが、一方で来られない実習生の方も多くいました。交流会はベトナムで日本の正月的シーズンのテト(旧暦の正月)に合わせたもので、その時期は花き農家の繁忙期。欠席はしょうがない部分もありますが、過去の騒音トラブルなどから他の職場の実習生同士での交流、要するに盛り上がることを避ける事業者もいます。これは今となっては全国各地で耳にするケースで、そのような両者の間に信頼関係があるとは言えません。そもそも前提として、離島ふくむ田舎では、事業者の車がなければ移動もロクにできない。離島の中でありながら、まさしく「陸の孤島」状態なのです。

島で現実を突きつけられた私は、ここでベトナムに恩を返さなければいつ返すのかと本格的に問題解決に取り組むことを決心しました。そこで、両手を使って働きながらでも交流のきっかけをつくれるとしてTシャツを考えたのです。それが2年前のこと。2020年4月にCOMIGRAMの開発に着手、7月に島へ移住、10月頃に試作品が完成し、12~2月に行ったクラウドファンディングによりいただいたお金で用語&イラストを14種類から110種まで増やし、2021年6月に鹿児島県の起業支援事業の採択を受けたことを機に、同年8月に沖永良部島で合同会社オトナキを立ち上げました。3年前までは、会社をつくるとは、それがまさか自分の母の故郷でとは、思いもよりませんでした。

上記リンクはクラウドファンディングのプロジェクトページです。

考察:なぜ技能実習生まわりで問題が起こるのか

長い長い自己紹介と経緯の説明を終えたところで、本題です。

失踪やハラスメント、法廷争い、最悪は自殺といった問題が起こる背景とその解決策。各地の事例を見聞きし、プレイヤーと意見交換を重ねる中で以前より解像度は高まりました。まだまだ先は長いですが、自己整理、そして共有が誰かの役に立つかもしれないと思い書き記しておきたいと思います。あくまで私の考えであって、誰かの意見を否定するつもりは毛頭ありません。

考察①:体験なき偏見

まず、新興国に対する体験なき偏見。悲しいかな、これあると思います。

高度経済成長からバブル期までの日本の成功体験に根付くと思われるので、年代が上になるほど思い込みが強い。先人の功績は輝かしいものですが、30年以上前の経済力の差を、現在に生きる国民(外国人)の能力と結びつけている。それ自体どうかと思いますが、日本語の土俵でやりとりすれば、ふつうに日本人の方が業務的にも心理的にも当然仕事はしやすいので、その中での失敗を国民性と安易につなげるのは危険というか、改善しないですよね。

極端な例ですが、私がベトナムに住んでいたとき、祖母は私を「ジャングルの奥地に左遷されたかわいそうな孫」だと思っていたらしいですから。いやいや、転職してるし、大都市ホーチミンシティだし、いろいろ間違ってる。それほどアップデートされていない人って、同年代でもたまにいるんです。

しかし、「生まれたときから先進国」で、「海外(というより自分の外側の世界)に一切の関心がない」と、このアップデートはどうしても難しい。8年間のベトナム生活を踏まえて、悲しいかな、やはり日本人は新興国(見下す人にとっては後進国)を下に見てると感じる場面は多々ありました。私自身、見てないか?自分は大丈夫か?と自問自答しながら暮らしていました。

これはもう教育やメディアに根付く世代病なんじゃないかと思っています。大人になってから、家族や友人の発言に引っかかるものを感じたときに、かつて自分がいた環境がいかに偏見に浸かっていたのか改めて認識しました。

払拭する方法のひとつはシンプルに、対等な関係の外国人の友人をつくること。上司や先生など社会的立場が上の人でもよいと思います。体験なき偏見はとどのつまり幻想なので、友人ができてしまえば「なんかわかんないけど後進国」から「●●さんの出身国」という身近なイメージにたちまち変わる。

ただ、必ずしも海外で外国人じゃなくたっていいんですけどね。何かしらの場所でマイノリティを経験している人って、自然体で思慮深いと思います。

ただこの体験なき偏見は20年後にはなくなっているはずです。日本の外国人人口はこの30年で2.7倍に増えていて、海外のサービスもエンタメも身近で、とくにSNSではトレンドとして海外のコンテンツも視界に飛び込んでくる。偏見の固まっていない10~20代の若者と話す機会も多いですが、ほんとフラットな感覚だなと感じることが多い(同じ年代でもいろいろだろうけど)。

むしろこの先、日本の経済力が滑り落ちていく中で、未来の子どもたちが国際社会で偏見を持たれる方が心配です。今日本に来ている実習生の国は、僕らが生きているうちに経済力が入れ替わる可能性は大いにあって、そんな彼らに辛く当たることは自分の子や孫の世代の首を絞めていることと同じだと思うんですよね。しかもそこで受ける偏見は日本の辛い体験に基づく。日本は国ぐるみで一刻も早く偏見を止めないと子どもたちが惨めな思いをする。

考察②:共通言語のバランスが悪い

共通言語のバランスが悪い。

外国人従業員が少数派で、しかも最近来たニューカマーだという職場で求められる言葉は、基本的に日本語だと思います。しかし、この言語って難しいんですよ。一部の送り出し機関や監理団体による教育不足もあると思いますが、外国人慣れしない事業者ほど、いわゆる「やさしいにほんご」に無縁でやってきたので、なまりを「聞き取れ」ということがあまりにハード過ぎ。

海外に住んだ日本人が、なにかの拍子で外国人に日本語を教える状況になって、「漢字があり、ひらがながあり、カタカナがある。しかも用法の法則性も複雑で…ひょっとして日本語って、むずかしすぎない!?」と感じるとはよく聞いた話です。なお日本人のパスポート所持率は22%前後、それは語学習得のむずかしさが想像できないということに深く関係すると思います。

むしろこんな難解な言語の国を、よく選んでくれたと個人的に感謝したいレベルです。とはいえ、日本で働く以上日本語が話せるに越したことはありません。そこで日本人が話し相手になるだけでいい練習になるんですけどね。「コミュニケーション」と「日本語力」はセットです、前者を放棄してる事業者が「実習生の日本語がうまくならない」と言うのは無責任がすぎます。

以前すごく日本語が達者な実習生の青年と知り合ったことがあり、話を聞くと彼は同じ職場に仲の良いベトナム人同僚が少なく、日本人の上司と仲が良かったそうです。また、敬虔なキリスト教徒でよく教会に行っていたので、そこで信者の人達とのコミュニケーションで日本語が磨かれたのでしょう。

そしてこの、①「偏見」と②「共通言語」は深く関わりがあります。

言語は意思疎通の道具以外に、「自分の母国語を覚えてくれているんだ」という、その文化への敬意を示す役割があります。外国人が日本語を話してうれしくない日本人はいないでしょう。日本では言語を学校で学ぶものと捉えがちですが、たった5個話せるだけで見る目はまったく変わる。ベトナムにいた頃も少しベトナム語を話せば相手がパァッと笑顔になったものでした。

そこから実習生から言葉を教えてもらうとなれば関係性も変わる。「自分が教える」ということは、ふだん仕事を教わるという関係性が逆転するため、お互いに何かを教え合うフラットな関係づくりにつながります。それは①に書いた対等な関係に近づく。これまでそんな関係性をつくって来なかったらちょっと大変だと思うんですが、もしこれを読んでいる方の中でベトナム人実習生を雇っている方がいれば下記だけでいいから話してみてほしいです。

Ăn cơm chưa?(アン・コム・チュア?)(ごはん食べた?)
Tôi no rồi.(トイ・ノ・ロイ)(私はお腹がいっぱいです)
Bây giờ là mấy giờ?(ベイ・ザー・ラ・メイ・ザー)(今何時?)

伝わりやすいようジェスチャー付きで。
ちなみに私がよく使っていたフレーズです、ひとつめはベトナムの定番!

考察③:行動範囲が面ではなく点で狭い

地方における移動手段の乏しさ、それによる行動範囲の狭さ。

技能実習生が働く業種は1・2次産業で、大半は田舎です。都市鉄道がなく、職場までの移動手段が自転車移動か社用車に乗せてもらうケースが多い。仕事は当然事業者のサポートが入るので困らないけど、問題はプライベート。

すべてでないんでしょうけど、たとえば島だと、移動手段は事業所から与えられた自転車しかないんですね。それで回れる規模の地域ならよいですが、そうでない場合、最低原付はほしい。しかし、ベトナムを例にとると、原付免許を持っていたとしても日本では書き換え必須で、そのためには日本語の筆記試験合格が必要。そもそも期限付きで出稼ぎに来ている実習生が、自ら原付を買ったり借りたりする見込みも小さい。二重のハードルがあります。

島ではバスという移動手段もありますが、運賃が都会よりも高い中で(価格帯は140~930円)、乗り方や、なによりもどこに行けば何があるということが分からない状態では、相当な冒険野郎でなければ乗り込まないでしょう。

なので生活圏は、寮、職場、ときどきスーパーの三点移動になります。これはベトナムにいた頃も一部の在住日本人によくあるパターンでした。職場と日本人街にある自宅と行きつけの日本食店の三点移動。その状況の突破口が先輩在住者や現地の(ベトナムならベトナム人の)お友達なんですが、こと実習生においては、移動手段を持っている日本人同僚や社長が協力的でないとかなり厳しい。とはいえ、いつも車を出す訳にもいかないので、島に限らず「バスの乗り方のレクチャーってめちゃくちゃ重要では?」と最近思いはじめました。そのへんのオリエンテーションって軽視されている気がする。

島でも、「ふだん島内でベトナム人の子をまったく見ない」という声を聞きます。理由はまさにここ。たぶん、実習生まわりの問題において、かなり深いところにある原因なんですが、これは島に住まなければ分からなかった。

考察④:ミスマッチ(情報不足や過度な期待)

これはもう業界関係者でなければ何ともできないと思いますが、実習生にとって自分がどういったところで働くか、事業者にとってはどういった実習生が来るか、きちんと現実に近いイメージを持てているかということですね。

これだけ実習生が日本に増えて、そして問題も起こっている今だと、事業者が甘く見ることは考えづらいのですが、実習生には「ジャパンドリーム」の輝きが眩しすぎて都合のよい話だけを選り分けて聞いてしまうこともある。

そうでなくとも、あくまで私の経験に基づく考えですが、ことベトナム人においては「家族のために」という意識が強い(昔の日本もそうだったかもしれませんが)。また親戚や同郷の人間などの話を疑わずに信用する傾向があるとも聞いています。そういう素直さを食い物にするブローカーもいるにはいる。ほんとここは、ホワイトな業界関係者の方々を応援するばかりです。

やっぱりコミュニケーションが必要だ

私が思う、問題の背景を改めて並べます。

  • 体験なき偏見

  • 共通言語のバランスが悪い

  • 行動範囲が面ではなく点で狭い

  • ミスマッチ(情報不足や過度な期待)

これらをどう取り除いていくかという問題に対し、私は、「やっぱりコミュニケーションしかないよな」という結論です。そりゃそうですが、日本のインフラや制度はもともと日本人のために設計されている。日本語が分からなければ使いづらいしアクセスしづらい。英語表記もなかったり、あっても小さかったり、ベトナム語はもってのほか。お隣の韓国語はまぁまぁ目に付くんですが。だから関係の近い個人がフォローするしかないのですが、そこに先人の頑張りの上にあぐらをかき、脳裏に焼き付いた偏見が邪魔している。

ベトナムに住んでいた頃、飛行機に乗り込むと自分の予約した席にお年寄りが座っていることがたまにありました。本人に伝えても共通言語がなく間違えているということが分からない様子なので、CAさんに伝えると、「あなたが代わってあげて」と言う。それは、急発展でインフラが急変する中で、取りこぼされる人へのやさしさなんだろうなと思いました。状況次第では、ルールを無視して個人レベルでフォローする。ベトナムの場合はお年寄りが相手でしたが、今の日本はそれが外国人だと思うんです。ルールを守ることが美徳ですらある日本人が、きっとめちゃくちゃ苦手としているものでもあるでしょう。戦後の発展のためには一億総二人三脚的な和の精神が大事だったかと思いますが、今は全員が臨機応変にならなければならない。日本的な物差しの一部は、めまぐるしく価値観が入り乱れる時代に不利も多いのです。

改めて、実習生と事業者の間に、言語の意思疎通だけでなく、信頼関係を築くコミュニケーションツールをつくっていこうと思いを新たにしました。とはいえ、プライベートの充実という点では、職場外、つまり地域での交流が必要です。その観点で今、沖永良部島で、ふたつの動きを考えています。

交流団体の発足とバスツアー

最近は島にも移住者が増えており、中でも海外経験者が多いんですよね。コロナの影響で海外から帰国する人が増えているという背景もありますが、もともと異文化に足が向きやすかった人が多いので、そこで居住地を探したときにリゾート観光地化されていない離島に向いたのかなと想像しています。

そんな島のニューカマーたち、そして前述のエラブネクストファーマーズの要さん、また以前から課題を共有していた友人たちで、つい先日、「えらぶとベトナムの交流団体をつくろっか!」という話になりました。コミュニケーションツールをつくったところで、拠点としている島になかなかコミットできていないもどかしさを感じていた自分には、とてもうれしい流れです。

もちろん、日本人だけの自己満足的な一人相撲になるような事態は絶対に避けたいので、実習生の皆さんの声を拾いながら、実りある交流を図りたいと思います。それで日本語力が上達して、仕事に還元できたら最高ですよね。そしていつの日か、ベトナム人技能実習生のうちの誰かが島を気に入って、将来ここでベトナム料理屋でも開いてくれんかなと妄想しています(笑)。

ちょうど今日も日本人とベトナム人で古着をシェアする会に参加してきました

あと、これはまだ企画段階なので実現するか分かりませんが、バスツアーを考えています。以前出張で岡山県美作市に行ったときに聞いたイベントの実例で、「地域のことを知れる、バスの乗り方を覚えられる、それ自体が交流になる、最高やん!」と感激しまして。これは島というか田舎向きだなと。

車社会の島におけるバスの利用者って、免許証を返納したり、または運転していた祖父に先立たれたうちの祖母のようなお年寄りが多いんですね。多いというか、もっと言えば、お年寄り以外が乗ることはまれなんです。一方で移動手段のない実習生は潜在的なバスユーザーだと思うんですよ。実習生と、バス、組み合わせで双方の課題を解決できないかなぁと思っています。

実習生はいなくなっても残せるレガシーを

そんなあれこれ考えていますが、ちょっとドライな話を。私個人としては、実習生はいなくなると思っています。今の人達が帰るという意味ではなく、そもそも外国人技能実習生という存在が島、というより日本に来なくなる

10年前までほぼいなかった実習生が10年後もいるとは限りません。日本としては労働力として引き続き来てほしいと思うでしょうが、新興国が発展してメキメキと発展していく中で、そもそも出稼ぎをする必要がなくなります。すでに「日本で働くより稼ぎは小さいけど家族がいるベトナムで」という選択が増えていると聞きました。稼ぎと母国の天秤が今揺れはじめているのです。ベトナムの発展ぶりを知る身として、それほど先じゃないと感じます。現に今その渦中にいる地域もあるはずです。はずというか、聞いています。

実習生制度は「焼き畑的」とも言われます。自国だと稼げないから日本に出稼ぎに来る、ということは自国で稼げたら来なくなる。中国からベトナム、ベトナムから…ミャンマー?ネパール?バングラデシュ?でも、いずれそれはどん詰まりにたどり着く。そういうところが焼き畑的と言われるゆえん。

いや、他国との外国人人材獲得競争において、日本が負ける方が先かもしれません。でもこれ、残念!打ちひしがられるしか…!という話でなく。何が言いたいかというと、実習生まわりの問題解決に取り組む上で、「実習生がいなくなっても残るレガシーを意識しよう」ということが言いたいのです

たとえば、実習生との交流を通じて、地域住民が外国人の対応に慣れておくことは、後のインバウンドの受け入れにつながります。楽しく交流できたとしても、実習生がいなくなることでその地域に思い出しか残らない取り組みはさすがに寂しい夢です。その点で前述の美作市はバスツアーをまさしくインバウンドの予行練習と捉えていると感じ、素晴らしすぎると思いました。道徳だけで人は動かず、各方面からの協力を得るためには理由付けも大切。

多文化共生にこそ、持続可能なビジネス的観点が必要だと私は思います。

めちゃくちゃ書き倒しましたが、以上が私の3年間の振り返りと考察でした。偏っているかもしれませんし、自分の考えと違うという方もいるでしょう。先日ある友人とたくさん意見を交わしたとき、「ほぼ共感するけど、細かいところで違うんだよな」と言われてハッとしました。私含めてこの分野に関わる人はこだわりが強い人が多いと感じる。その場で答えたんですが、同じである必要はないなと。むしろ、問題解決というゴールが同じなら、さまざまな視点がある方がよくて、それは多文化共生的な価値観と通じます。

コミュニケーションツール「COMETI」見てみてね

伊達に3年前から動いていませんね、1万字超えるとは。やばいやばい。やばくはないけど、そろそろ締めたいと思います。まぁ、そんなわけで、一番言いたいことは、コミュニケーションなきところに未来はありません!です。

ご共感いただけたら、私のつくっている交流雑貨COMETIを覗いてみてください。気に入ったらぜひ身につけてベトナムフレンドリーになってほしいです。COMIGRAMも今はベトナム語だけですが、そのうち合計21言語に展開!3月にリリースするサイトで無料配布するので紙に印刷し使ったりしてね!

いいなと思ったら応援しよう!

ネルソン水嶋
ぜんぶうまい棒につぎこみます