アニメも漫画もゲームもしない「私」は孤立していた



土曜日、中学校の部活動のお昼休憩。
ぽかぽか陽気の渡り廊下に座り、5人で弁当を広げる。

「あの漫画、持ってきてる?」
「ちょっと読ませて」


カバンからごそごそと数冊漫画を取り出し、みんなで回しながら読み始める。
私はそれら漫画のタイトルを聞いたこともなければ内容なんて知らない。

なんとか仲間に入れてもらおうと興味のあるふりをして話しかけるが、みんな読むのに夢中でかまってくれない。


漫画、ドラマ、アニメ、モデル、アイドル…


学校生活が自分の世界の大半を作る学生時代に、友達と共通の趣味がないことは「置いてきぼり」「仲間外れ」「寂しい」と自分を追い込んでしまうのに十分すぎた。


無理やり好きになろうとしてなれるものじゃない、それでも「友達と同じものを持たないと居場所がなくなる」と焦りを感じていた。少女漫画にハマっていない自分を恨んだりもした。



「同じ」価値観や考え、行動することが「仲間」の証拠であり、それ以外は「異質」と考える世界を飛び出し、留学したのはアメリカ。


・完璧にメイクと髪型を整えた人の横で授業を受けるのは寝起きでパジャマ姿の学生
・授業間のフリーな時間に昼寝する人と筋トレする人
・夜中にパーティーへ出かける人と図書館で勉強する人
・おやつにバナナを食べる人とホイップもりもりのコーヒーを飲む人



みんな、自由じゃん


誰かを否定するとか除け者にするとか、そんなことに目を光らせる前に彼らは良い意味で他人に無関心なのだ。
指摘するときに出る言葉は、「そのネイルきれいだね」「そのスカートかわいい」「これから図書館?がんばって!」などポジティブなもの。



みんな、違っていいんだ


どうして「同じ」であることにこだわり、「違う」ことを怖がっていたんだろう

そんなことに気が付いてから私はずっと日本で抱えていたもやもやが吹っ切れた。
好きなことを好きと言えること、それを誰にも否定されないこと。


私は
・バレエが好き
・美術館が好き
・筋トレが好き
・英語で話すのが好き
・教育についてあれこれ語り合うのが好き
・海外に旅行するよりも「住む」のが好き

でも漫画やアニメのことはほとんど知らないし、コスプレが大好きなアメリカの大学時代のルームメートの方が何倍も詳しい。



それでいいんだ、これが私だから。


自分の「好き」を極め、発信すると同じ情熱を持った人と巡り合った。
その人たちとの会話は、私が無理やり話を合わせようと苦しんでいたものよりずっとずっと楽しくて、心地よかった。


一人ぼっちだと思うのは、まだ自分らしくいられる場所を知らないだけかもしれない。


一人ぼっちは、オンリーワンだ。


オンリーワンである自分を受け入れ、輝ける場所や人を探すのも良いよ、と過去の自分へ。


頂いたお礼は知識と経験を得て世界を知るために使わせていただきます。