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#03【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮

■前回のあらすじ■



​四季の姫の一人である佐保姫の邸宅で、主の帰りを待つ小姓の蒲公英は、長引く会議を途中で抜け出した佐保姫と、つかぬ間の談笑のひと時を過ごす。

​しかし、天変地異に対する対策の会議は難航を極めており、この地の回復の兆しは見えず、会議の主軸である蒲公英の主、安寧(あんねい)の言動にも、彼女らしからぬ姿があった。

​他の者は気が付かない、その小さな違和感を蒲公英は見抜き、最近の安寧の様子のおかしさとも重なり、嫌な予感がする蒲公英。

​そんな中、そろそろ会議が終わるだろうと見込んで、お暇しようとした蒲公英を佐保姫が引き留めた。

​彼女は急に何かが乗りうつったかのように、まるで神話の御伽噺の続きのような「犬の詩」を読み上げ、倒れる。

​何が起こったのか分からないまま、混乱する蒲公英は、急いで誰かを呼ぼうとするが、彼女の目の前には不敵な笑みを浮かべる主、安寧の姿があったのだった…。

​続きまして天の章、第三話。
​お楽しみください。

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#03 【巍峡国史伝】天の章 伏せる月、ふるえる睡蓮




​白天社(はくてんしゃ)の帰路につく蒲公英は、牛車の屋根の上で揺られていた。


​燃えるような夕日が、痛いほど目に沁みる。
​後光のように光り輝く夕日に、天女の衣のような雲がかかる。
​その雲の陰影は、実に神々しく見えるものだった。


​その橙(だいだい)に照らされて、佐保姫が治める白馬(あおうま)の地、最大の山「若岳(わかだけ)」が、神妙な顔をして聳(そび)えていた。

​あの山間には白馬の地を護る「蒼鏡城(そうけいじょう)」が建っており、​丁度来月頃なのだが、春になると桃色の水を流す「桃酒川(とうしゅがわ)」が色付き始めるのだ。


​何故桃色なのかは、誰も疑問にも思っていない。
​そういう地なので分からない事だが、地元の人間は皆佐保姫の恩恵だと口を揃(そろ)える。


​蒲公英は、その誰にも認められし佐保姫のような人物達を幾人か知っているのだが、背景が分かっているにも関わらず、つい小さな自分と比べてため息を漏らした。

​片足を立膝にし、その足を抱えるようにうつ向いて、その視線の先の屋根の縁を見た。


​「佐保姫は、酷く憔悴していましたね。可哀想に」


​突然、牛車の中から声が聞こえ、蒲公英はハッとし、姿勢を正した。

​安寧が蒲公英に話しかけてきた。

​蒲公英はあまり無い事なのですぐには答えられず、遅れて相槌を打った。
​何と言って良いか考えあぐねている蒲公英を察したのか、続けてまた、安寧が声を発した。



​「職務だけのせいではないでしょう…。何か、彼女は言っていましたか?」



​蒲公英はまだ整理のついていない頭を必死に動かし、たどたどしいながらも答える。



​「は…。特には。…ああ、でも。妙な事を言っていました。先読みのような力を使っていたような…」



​妙…?と、安寧は問い返してきた。



​「はい。犬…が、なんとか…と」

​「…他は、何と言ってましたか?」



​いつもと違う声の調子に、蒲公英は何かまずい事を言ってしまったのかと思った。

​しかし、特に叱責(しっせき)を受けるような事は思い当たらなかったので、安寧の求めるものを提供しようと、急いで答えようとした。


​「はい。えっと…、かなり難しい、古い格言のような調子だったのですが…。最後の文章だけ、朧(おぼろ)げではありますが…」

​「それでも良いです」


​安寧にしては随分追求する。
​普段あまり人に深く介入する事は無い安寧。
​その彼女がここまで言うのだからきっとこれからの千蘇我に重要な事なのだろうと、蒲公英は言う。


​「弱者たる生者(せいじゃ)の御霊(みたま)こそ我、我こそ汝也。と」


​それを伝えると安寧は以降、黙り込んでしまった。
​空耳であったか、伝えた瞬間、息をのんだ声がしたような気がした。

​夕日が、赤すぎてまるで燃えているような帰路であった。



​背の低い、整然と並ぶ木々が目立ってきたら、白天社(はくてんしゃ)が建つ山が近いという目印だ。

​佐保姫の白馬(あおうま)の地と白天社のある地のその境目には、人工的な小さな川がある。

​丸い石たちが内側に綺麗に敷き詰められた、用水路のような川だ。
​そこに、小さな石橋が架かっている。


​車は誰の指示も受けないでも、いつもその手前でゆるりと止まる。
​山を登るにはいつも駕籠(かご)を使っており、彼らは知らせを受け、車が到着するころには跪いて橋の向こうで待機をしている。

​その姿を見るとやはり、ここから向こうは別世界なのだと感じてしまう。
​帰って来たとも思うが、帰ってきてしまったとも思ってしまうのだ。


​ここから蒲公英は、駕籠の後ろを歩いて付いていく。


​白天社がある山は、「母子山(ぼしざん)」と言う。
​この山は金の霧と、白い霧が漂う、他の地域より一層現(うつつ)離れした地だ。

​神々はこの山を「白天山(はくてんざん)」と呼ぶが、安寧は「母子山」と呼び、呼称を変えずにいる。


​母子山の裏手には、「謡谷(うただに)」と言われる、母子山よりも背の低い山々と、谷の海があり、母子山の由来の一節に、この謡谷がまるで母子山の子であるかのように連なっている事から、謡谷よりも背の高い方の山を母として、母子山と呼んでいるという説がある。


​謡谷はもう如月の初め頃から桜の花を咲かせており、今では見事なまでの桜海が広がっている。

​煙る幾万本の桜の海が、母子山の白天社から見ると、まるで桃色の雲海の上にいるような心地になる。


​母子山、謡谷のもっと向こうには、紫がかった山々が頂(いただき)を連ねているが、南や東と違ってあちらは険しい山脈なっている。あちらは、北の維摩(ゆいま)と、西の八朔(はっさく)の地だ。



​上を見上げると、日はとっぷりと暮れていて、夜空に星々が輝いている。


​降ってきそうなほどの星達は、競い合うかのように頭上で一斉に瞬いている。

​上を向いた蒲公英の鼻孔に、冷たくも深い、芳しい香りがした。
​杉の香りだ。​母子山はほぼ杉で構成された山なのだ。


​しかし、山道を登り続け、唐突に現れる白い石の立派な階段を登っていくと、白天社に辿り着く数百段手前辺りで景色は急に変わり、よく手入れをされた竹林へと視界は転換する。


​日中ここは、どこまでも続いている竹林が見える。


​竹林はどこまでもその青々しい体をゆすり、葉同士が擦れ合い、サラサラという音を重奏し、ほどよく手入れをされているので、太陽光がその葉や土に透け、幻想的な光と薄墨のような影の相対的な美を眺める事ができるほど綺麗であった。

​しかし今は、石畳を灯篭の灯りが照らしている光景が、何とも雅やかさをかもし出しているが、完全に闇で包まれていた。


​と、急に安寧が「ここで」と言い、駕籠から降りてしまった。
​蒲公英はまたしても、驚きに固まる。


​安寧の帰宅風景というのはいつも決まっている。
​牛車から降りたら駕籠に乗り、白天社の門の前まで行き、駕籠の者に礼を言って、門の前の警備の者に軽く会釈をし、颯爽と門の中に入っていく。その順番を崩したことは無かった。

​蒲公英が安寧と関わって以来、初めて見る光景であった。


​驚きのまま、何の解釈もできずに、呆然と灯篭のほの明るい階段を辿り、闇の中に帰り行く駕籠を見送っていると、白い羽織が視界の端に映り込み、蒲公英はまた驚いて振り返った。


​「おいで、蒲公英」


​小さいが優しい声で安寧がそう蒲公英に手を伸ばす。
​真っ白なその手に躊躇(ちゅうちょ)しつつも手を取り、恐縮しきったまま安寧と石段を登った。


​こんな事も今まで一度も無かった。
​突然の安寧の柔和で近しい態度に、蒲公英は夢でも見ているのではないかと思いながらも、ただ黙ってソワソワしながらついていった。


​安寧の黒く艶やかな長い髪は、白い髪結い紐で首元と背中の二か所、結ばれている。

​白い羽織には山吹色の菊のような模様があしらわれている。
​こんな間近で安寧を、蒲公英は見たことが無く、しげしげと眺めてしまった。


​そして、繋いだ手に恐る恐る目を向ける。
​しっかりと安寧が蒲公英の手を包み込んでおり、時折安寧の羽織の裾が手に当たってくすぐったい。

​こんな母と子のように安寧と歩いているなど、夢のようだった。
​家に母と帰るかのように二人で歩くなど…。


​「あの…安寧様…」


​蒲公英は声を振り絞り、思い切って安寧に話しかけた。
​しかし、緊張で声は掠れ、小さかった上に、何と同時に安寧も話し出してしまったので、蒲公英の声は打ち消され、安寧の耳にまで届かなかった。


​「おぉ。桜の花びらだよ、蒲公英。謡谷の気の早い春の狂乱が早速、近隣にも猛威を振るい始めたね。近々この千蘇我(ちそが)中が、春に酔いしれるだろう」



​言葉を無くした蒲公英に、安寧は微笑みながら振り返り、蒲公英の目を見てきた。

​その目はどうかしたかと聞いていたが、蒲公英は黙って首を振った。


​安寧はまた歩き出した。
​謡谷(うただに)から降ってくる桜の花弁が視界を横切って行く中、二人は灯篭で淡く光る闇の階段を静かに登っていく。



​「蒲公英、生きていると…様々な事が起こるね」



​蒲公英は呟く安寧を見上げた。



​「地獄の地盤の者がこちらの四季を狂わせる、など…。誰が想像しただろうか?何が起こるか分からない。人の力は本当に未知であると感じる」



​安寧はハッキリと、地獄の地盤の者と言った。


​それが真実なのか?と驚きつつも、安寧が何を言わんとしているか明確には分からない蒲公英であったが、何故か今、安寧は、とても重要な事、誰にも言ってない事を言っている。そんなような気がして、更にまた頭が混乱した。


​冷たい風が唯一、蒲公英の知恵熱を取り払おうと、気持ちよく額を撫でるが、相対するように夜の帳と安寧の背中に未知なる不気味さを感じた。蒲公英は、安寧が居なくなるかのような不安を抱いた。しかし、安寧はそんな蒲公英にはお構いなしで、急に質問をしてきた。



​「蒲公英は、人とはどのようなものであると思う?」



​突然の事に何も纏(まと)まっていない脳内は、また更に取っ散らかり、言葉にしたくとも不発に終わったり、唸ったりしながら、



​「人は…人それぞれですし…、言葉や感情があるとか…。いや、言葉は文化か…?」



​まるで独り言のように取り留めのない事を呟き続ける蒲公英に、安寧はふふっと笑う。



​「難しく考えずともいいのです。蒲公英。思った通りで」

​「安寧様はどうお考えなのですか?」



​質問に質問で返してしまったが、最早この頭は何も生産的な答えを出さない。

​そう思い、寧ろ安寧の答えを知りたい蒲公英は勇み足で安寧に問いかけてしまった。


​安寧は黙った。


​その様子はまるで、竹林の闇の奥の小さな音を全て聞いているようであった。​怒ってしまったのかと思っていた時、安寧は声を発した。



​「…人は小さく、脆(もろ)い。不完全な生命体である」

​「え?」



​蒲公英は声になるかならないかぐらいの、小さな声を出した。
​安寧の心はここにあらずで、蒲公英の呟きも耳に入っていないようであった。



​「天地の狭間に生まれ出でし魂は、その身を守る鎧を持たず、他を傷つける槍も持たずに極寒に放り出される。人はその中で、他が持つ長を見て、己が短を育てる。また、他の短を見て、己が短を省みる。人々は自身を歩み、知らず道を創り、文化を築き上げ、歴史が成っていく。そして、その流れに、神はのってはいけないのだ」



​「何故です?」



​また蒲公英は身を乗り出し、勇み足で安寧に問いかけてしまった。
​安寧は微笑んだ。


​しかしその笑みはどこか、自嘲するような笑みであった。




​「人の歩みに神が横やりを入れても仕方のない事だ。自身の羞恥すべき短は自身が自覚してこその肥やしなのだ。…いや、まして…、神と人は違う」



​蒲公英が安寧の言葉の端に怒りか、憤りかを感じると、安寧はハッと小さく声を漏らした。
​そしてすぐにいつもの雰囲気となり、苦笑した。
​安寧が何も言わないので、蒲公英は彼女にまた問いかけた。


​「人と、何が違うのですか?」

​「何が」



​安寧はそう繰り返し、一度瞬きをすると厳しい顔つきをしつつ、蒲公英を通り越してどこかを見ながら言った。



​「人は旅人、神は護人(もりびと)。人は己を磨いていればいいのだ。神は全ての生きとし生ける者に鍵を渡し、道を指差し、不安な夜には安息を与えるだけでいい」



​それだけでいいのだ。
​と、己の口の中で復唱する安寧に、蒲公英は眉を顰(しか)めた。
​安寧は一体、どこを見ているのだろうか?
​不安になり、安寧の手を握り返すと、安寧が柔らかな動作で蒲公英を振り返った。


​折しも、階段を登り切った白天社の広場に出たところであった。
​杉と土の香りを伴(ともな)う冷たい風が、開けた空から蒲公英の着物の隙間に吹き込んで来る。


​安寧は音も無くしゃがみ、蒲公英と視線を合わせると、
​その癖の強い蒲公英の髪を撫でつけながら、いいですか?と話しかけた。




​「他の言葉を聞くも良いでしょう。けれど、お前の人生はお前のものだ。
​誰も責任など持ってはくれません。千を聞き、一答えよ。他を尊び、己を愛せよ。​ただし、全てを見、善(よ)きを見出しなさい。自由にすると良いです。​蒲公英、お前に窮屈は似合わないでしょう」


​安寧は一気にそう言うと、蒲公英の手をゆっくりと離しながら背を向けた。
​そして、



​「私の言葉、努々、忘れないように」



​そう、念押しするように言い、安寧は去って行ってしまった。


​声をかけたかったが、その背がもう、いつもの安寧に戻っていた。


​蒲公英は、畏れ多くもこの静寂を破り、とても声などかけられず、
​安寧の言った言葉を頭の中で反復する他、無かった。


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​…#04へ続く▶▶▶


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ご興味頂きましてありがとうございます。書き始めたきっかけは、自分のように海の底、深海のような場所で一筋の光も見えない方のために何かしたいと、一房の藁になりたいと書き始めたのがきっかけでした。これからもそんな一筋の光、一房の藁であり続けたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。