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エレクトロン零す白月の幻影

「おはようございます!せんせ!」

盛大に欠伸をしながら研究室のドアを開けた時、真後ろから聞こえて来た爆音の朝の挨拶。一気に目が覚めた。いつもお世話になっている、清掃員のおばちゃんだ。

「ああ、おはようございます」

「せんせ、栗はお好き?」

私の返答を待たずに、おばちゃんは肩にかけている鞄から、栗がたっぷり入った保存袋を取り出した。

「美味しそうだからって、つい買いこみ過ぎちゃって。よろしかったら、貰ってくれます?もう茹でてあるから、殻を剥けばそのまま食べられるわ。皆さんと、おやつにでも」

ずいっと突き付けられた袋を、反射的に受け取る。

「え、いいんですか。こんなに。わー美味しそうな栗だ。ありがたく、皆でいただきます」

「いーえー。研究、頑張ってくださいね。では」

機嫌の良いおばちゃんは、鼻歌を歌いながら去っていった。




研究室内にある研究用植物の状態をチェックし終え、やっと椅子に座ることができた。若い助手たちを全員帰した後の研究室内は、静かだ。1人での残業が、ちょっと寂しくなる時もある。

窓を見ると、右上空に白っぽい丸。満月だ。丸々と満ちた、月。丸々と……

あっ。

すっかり忘れていた。冷蔵庫にしまっておいた、栗。


小さいナイフで十字に切れ込みを入れ、その切れ目からペリペリと殻を剥く。ぽこりと殻が取れて、よくやく、ほくほくした甘い実を食べられた。飲み込んだ後、右手にスタンバイさせておいたお茶を飲む。

美味しい。明日は、助手たちと食べよう。

もう一口お茶を飲みながら、栗の存在を教えてくれた窓の月を眺める。今はちょうど、私の真正面にある白い月。

あの月ですら電子の幻だとは。ほとんどの人は信じまい。

崩壊寸前の地球で、あらゆる分野の研究者や技術者たちが心血を注いで作り、宇宙に放ったロケット。そのロケットに詰め込まれた、奇怪で複雑な回路を行き交う、電子の群れ。

それが、今現在の全てだ。

地球であり月であり、この研究室であり植物であり、あの明るい掃除のおばちゃんであり、私であるのだ。

いわゆる、仮想現実。多くの人間が現実だと信じ込むことで、形を保てるもの。時間や重力という概念すらも。ごく少数の研究者や技術者だけが知る現実の実態。

白い月で、また何か思い出せそうだ。ウェットティッシュで指先を拭い、傍にあるタブレットの音声スイッチを入れる。「白い月」と私が言うと、ずらりと検索結果が出た。

白月。はくげつ。明るい満月。そうだった。そんな言葉が確かにあった。しろつき、びゃくげつ、とも読むらしい。その一番下に、古い民謡の歌詞の現代語訳が表示された。

”この世の果てなど知りもせず、ただ白く輝く秋の満月よ

冴え渡る秋の風は秋草を揺らし、秋の虫たちが集って鳴く

なぜだろう、私の心も泣くのは

泣き明かそうか、こんな秋の夜は”

立ち上がり、窓に近づく。ゆっくり開けると、ひんやりした風と虫たちの鳴き声が部屋に入り込んできた。

リーン、リーン、キリキリキリリキリ、チリチリリッリーチリチリチリ…………

鈴虫とコオロギと、松虫と。電子が作り出す幻だとしても、やはり美しい鳴き声だ。そう感じる私も、幻だとしても。

「なぜだろうね」

孤独な秋の夜に悲しくなる理由を、あの幻の白月は知っているのだろうか。



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