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珈琲から学ぶ、新しいこと習得の流儀

毎日の仕事終わり、珈琲を丁寧にハンドドリップしその香りを楽しんでいる。
いや、近頃やっと楽しめるようになってきたというのが正解だ。

これまで珈琲について何かを学んできた訳ではない。
好きな人に美味しい珈琲の一杯も淹れられない自分にガッカリし、せめて淹れ方だけでも身に付けたいと、珈琲販売の短期アルバイトを一ヶ月間だけ行ったのだ。
一年前のことである。

アルバイト先では、珈琲を淹れる機会は残念ながら無かった。
しかし、賄いの珈琲を飲むたびに「美味しい!」と感動していたのが良かったのか、プロのバリスタから基本の淹れ方とコツをこっそり教えてもらえたのだった。

  • 浅煎りは、じっくり時間をかけて。

  • 深煎りは、低温で素早く。

ざっくりしたこのコツだけで素人が美味しい珈琲を淹れられるわけがない。
当たり前だが自分のものにすべく、一年間様々な珈琲豆を使って練習したのだ。
今では新しい珈琲豆でも二、三回で豆に合わせた淹れ方に調整できるようになった。
我ながら便利な技を身に着けたと思う。

何か新しいことを自分のものにするには、それなりに時間がかかるものだ。
珈琲は一年である程度の形になったが、数十年かかるものもあるだろう。
どの位の月日が必要になるかは、まずやってみて、そして続けてみなければわからないのが少し厄介で面白いところだ。

noteを書き始めて五日目の今日、美味しい珈琲を淹れるかのように、納得のいく文章が書けたかは甚だ疑問だ。
テーマも思いつかなければ、オチも見えてこない一日もある。
しかしそれに向き合い、書けば書くほどに日々気付きと成長があるのも事実なのだ。

書き続けた一年後、私の文章はどのような変化を起こしているだろうか。
お気に入りの深煎り珈琲を淹れながら、未来がちょっぴり楽しみになった。





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