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【日記・エッセイ】作家が世の中に対してとる姿勢について エンデから学ぶ 2024年8月21日 水曜日

こんにちは。長尾早苗です。

2日書いてないと忘れるね!
エッセイも詩もなるべく意識的に書いていきたいのだけど。今日はとりあえず、スマホから更新してみようと思います。

今回はわたしが幼少期にミヒャエル・エンデから学んできたことについて書いていこうと思います。

ミヒャエル・エンデの著作と理念

ミヒャエル・エンデを知ったのは図書館でした。はてしない物語のあの綺麗な装丁にうっとりとして、いつかわたしもあの本を一人で読みたい!と強く思って読んだのが最初です。
今思えば当時はすごい集中力だったのだけど、小学3年生の時に8時間かけて500ページ強のあの本を読み通しました。

はてしない物語では、バスチアン・バルタザール・ブックスという男の子が一番の主人公です。彼はコンプレックスだらけで、想像力と集中力は人より長けているものの、その容姿からいじめられていました。

運動も勉強もできず、他のみんなからは変な人扱いを受けている。

そんな彼が救われたのは本を読むことだったんです。

わたしも当時いじめられていたので、バスチアンわかる、ほんとにこんなみじめな気持ちで本を読んでたよ……

と思いながら読んでいました。

モモもそうだけど、ミヒャエル・エンデは自明なことを自明にしない。

常に「どうして?」ときく。

バスチアンが、「どうして聖書の中でトイレには行かないの?」と聞いたのもすごくよくわかる。

でも、バスチアンが幼なごころの君に名付けることをしたのち、想像力の世界にはばたく、だけで終わっていたらそんなに面白い物語だとは思わなかったと思います。

想像力は素晴らしいで終わらせない

ただ単に「本を読む子どもが少ない!」「想像力は素晴らしいものなんだ!」で終わっていたら、はてしない物語はそんなに面白い物語だと思わなかったように思います。

途中まではそういう物語になっているのですが、後半は作家が世の中に対して持つ「エゴ」の話。

自分がこの世界を造ったのだから何をしてもいいだろう、何をしてもいいのだろう、はとんでもなく、エゴ。

作家や詩人は作った物語にも、発したことばにも責任を持たなければいけないんです。

物語後半はすごく不気味なんですけど、その不気味さで、物語を明るく希望に満ち満ちた「ユートピア」にしないところがエンデをわたしが好きなところです。

そして、不気味なことを不気味だと突き放して読み終わるのではなく、最後まで自分のことばや世界を見届けることが大事だと思うんですね。

作家が世の中に対してとる姿勢について

世の中に対して作家は、自分の作品が、自分の存在が評価されることを常に願っています。

そりゃそうだ。どんなに優秀な作家でも、どの作家もそう思っている。

でも、そのエゴがどこまでも突っ走っていったらいけない。

いいねって言われたい。あなたはすごいんだと言わせたい。

わかるよ、その気持ちはすごくわかるよ。自信がないからこそ、多くの人たちに認められたいのもわかるよ。

でも、自分が影響を与えた世界の中で、帝王になろうとしてはいけない。どんなにいい作品を作ったとしても、行きの道があれば帰りの道もある。その帰り道まで、その作品が後世に与えるであろう影響まで、自分で責任を持つこと。

今の世の中がおかしくなっているのは、政治家も作家も、自分が作った世の中や作品に最後まで責任を持たなかったからだと思うんです。

今作品や自分の存在に最後まで責任を持つ、帰り道までどう考えるかをちゃんと考える。

それが作家にもとめられていることだと、エンデからわたしは教えてもらっていたんです。

明日からの日々が楽しみだなぁ〜

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