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【演劇】オフブロードウェイ作品『Sleep No More』について語る日が来た

地球上で一番面白い演劇、それはニューヨークのチェルシー地区で上演されている『Sleep No More』である。
地球上のエンタメの中で一番、と断言してもいい。

10年以上に渡ってロングランされてきた演目が、ついに惜しまれながら千秋楽を迎えるらしい。えーん。悲しい。


冗談抜きで、この世で一番面白い。
全人類よ、お願いします。今すぐニューヨークへ行ってくだされ!という訳で、ついに『Sleep No More』について語る日が来た。

 シェイクスピアの名作「マクベス」をベースにしたショー、スリープ・ノー・モア(Sleep No More)。2011年の初演から現在まで非常に好評を博しているショーです。
 ゲスト全員がアノニマス(見えざる者)として仮面をかぶり参加する体験型のショーは、見せ方も通常のシアターとは全く異なりユニーク。
 観客はチェルシー地区にある「マッキトリックホテル」というホテル館内を自由に歩き回り、キャストと一緒にストーリー展開を追うことができます。
 1つの公演中に同じストーリーが3回リピートされ、最後は全員がホールに集まりエンディングを迎えるという斬新な演出をぜひ実際に体験してください。

https://kkday.com/ja/product/6974-sleep-no-more-show-ticket-new-york


         🐈🐈

わたしが『Sleep No More』を知ったのは、小堺一機さんと壇蜜さんが対談するTV番組だった。
(ここから情報過多となるが、どうにかついてきてほしい。)
壇蜜さんは「仮面が好き」だそうで、ある日、お家の枕カバーに、両目と呼吸が出来る用に3点の穴を開け、すっぽりと被り、首元を軽く紐で括ってみた。が、しっくりこなかった。やはり即席の仮面だからか。枕カバーの裾から黒髪が出てしまうのも情けない、と仰っていた。(私は壇蜜さんが大好きだ。)

すると小堺さんが「仮面が好きなら、オフブロードウェイの『Sleep No More』がおすすめだよ〜」と仰り、短い説明のVTRが流れた。

『Sleep No More』の上演場所は、いわゆる客席と舞台がある劇場ではない。
実在した廃墟ホテルを丸々一棟使って上演される。第二次世界大戦により、一日たりとも宿泊客を迎えることのなかった6階建てホテルの全ての部屋を、俳優と観客は自由に行き来する。
台詞は無く、全てがコンテンポラリーダンスによって表現される。

そして観客は仮面を付けることが義務付けられる。

小堺さんは毎年ブロードウェイで観劇をされている。そんな小堺さんが「これは面白い」と太鼓判を押す理由が「仮面」だった。

小堺さん曰く、観客は仮面を付け、アノニマスとなった途端、社会的モラルや道徳心を無くし、いわゆる「やってはいけないこと」をやり始める、それが興味深いのだ、と。

小道具の飴を掴んで食べてしまう、小道具を持ち帰ってしまうのは序の口で、それも計算尽くで舞台装置は作られている。

小堺さんが一番興味深かったのは、俳優のシャワーシーンだ。
『Sleep No More』は、シェイクスピアのマクベス(と、ヒッチコックの映画『レベッカ』)をベースにしている。
マクベスが殺人に手を染め、返り血を浴び、シャワーを浴びるシーンから始まる。
つまり、俳優は全裸である。前貼りも無い。むちゃむちゃ全裸の男性が目の前に現れる。

するとどうだろう。
仮面があるのをいいことに、女性の観客たちは我先にと、俳優の真正面に回り込む。
最前列を陣取ろうと、黒山の人だかりになるそうだ。

たった一枚、仮面を被るだけで。

これは観に行かねばなるまい。
と、思いながら、この情熱を数年、寝かしてしまった。
寝かし続けたある日。

「もしかして、ニューヨークって、飛行機に乗ったら着くのでは?」

着きますねぇ!

急に自分会議が開かれ、ニューヨーク行きは満票で可決となった。


         🐈🐈

粋でいなせなニューヨーカーたちは、全員いい人だった。メルティングポットな街では、誰もがニューヨークで暮らしていることに誇りを持っていた。もし私が16歳くらいで渡米していたら、「あたし、この街でダンサーになる!」と言って、帰りの航空券をビリビリに破いたと思う。16歳じゃなくて良かった、ような。16歳で行ってみたかったような。

もう一度、言おう。ニューヨーカーは全員いい人。

と、フラグを立てた所で観劇開始。

念願のfull frontalを観るべく、飛行機に乗ってやってきた亜細亜人。
どこで何のシーンが始まるか分からない薄暗いホテルを、物語の主軸を探しに徘徊する観客たち。
主軸となる俳優を追いかけて、3階分の階段を3往復シャトルランなんてザラである。

それは突然始まった。
マクベスなので、残虐なシーンがある。
前述のスコットランド王の殺害シーンは序章に過ぎない。
際どい物語が、演技というオブラートに包まれずに上演されていく。

その光景は異常だった。
観客は我先にと、俳優陣をぐるりと取り囲み、もっと見たい、もっと見たいと、好奇の眼差しを送っていた。

ふと、私がいる部屋の壁に目をやった。
壁ひとつを挟んで、現実の大通りがある。
大通りでは今でも親切なニューヨーカーたちが、旅人のスーツケースを運んでいるだろう。私にしてくれたように。ニューヨーカーとして誇りを持って生きている人たちだからだ。

もしこのシーンが、路上パフォーマンスとして、あの大通りで上演されていたらどうだろう。人々は眉をしかめ、早足で立ち去るだろう。もしスマホで撮影するような観客がいたら、「なんと非道な」と非難するだろう。

仮面ひとつを被っただけで。

仮面を被っているだけで、私に変わりない。変わりないはずである。それがこうも激変してしまうのか。勿論、わたしの中にも「肉眼で見たい」という気持ちが芽生えた。館内の薄暗さも相まって、人間の業を観ているようだった。



         🐈🐈

欧米人より背の低いわたしは、黒山の人だかりにより、念願のfull frontalチャンスを逃していた。観たい。こちとら飛行機代を費やしているんだ。みんなはどうせ電車とかタクシーで来てるんだろう?この後、一杯ひっかけて帰宅しても、痛くも痒くもない距離なんだろう?いいな、いいな。この時期のニューヨーク行きのチケット、とんでもなく高いんだから!

しかし予習を欠かさないわたしは、一度の公演で、同じ物語が3回上演されることを知っていた。だからこそ、同じシーンでも2度、3度と観ると、不気味さを増したり、意味合いが変わってくる。そこがまた面白い。
つまりfull frontalチャンスは3回ある。あと2回、外したくない。

面白いもので、台詞のない演劇にも関わらず、好きな階を歩き回っている観客たちは、不思議とクライマックスが上演される部屋へ集められる。羊飼いの羊のように。誰にも誘導されていない、はずである。自分で選んだ選択肢のはずが、誘導されているのである。

もう千秋楽なので、クライマックスについてやや書いてみる。ネタバレしたところで、この物語の全貌は本当に分からない。何回観ても全貌を掴むことは難しい。そこが良いのだ。

館内には、荘厳なクラシックのような、教会音楽のような、薄気味悪い音楽が流れている。
ところがクライマックスになると、バチバチのEDMが流れ、照明はストロボが焚かれる。これがとんでもなく格好良い!

クライマックスの部屋に入った瞬間、わたしはfull frontalチャンスを感じた。
これはしかと観たい。ちょうど小上がりのような段差を見つけた。登ってみる。随分と見晴らしがよくなった。仮面を被っても亜細亜人だと分かるらしく、他の欧米人は小上がりには上がってこなかった。生まれて初めて人種を色眼鏡で見る人ばんざい、と思った。

マクベスをご存知の方なら、思わず歓声を上げたくなるほど、しびれる演出のクライマックスである。場内は私語厳禁です。小上がりを広々と独り占めしつつ、しかと、観ました。

テクニカルなことを言うと、full frontalのからくりは、地明かりのシーンでは血糊がべったりと塗られ、ストロボが焚かれると、ブラックライトに反応する塗料なのか、真っ黒に映るような仕掛けだった。むちゃくちゃ感動した。俳優がカウンターに隠れた一瞬で、衣裳からfull frontalに変わるのだが、その塗料も一瞬で塗っているのか、それとも事前に塗っているのか。しかし物語は3回繰り返され、マクベスにはシャワーシーンもあり、洗い流している。と、いうことは・・・。舞台の裏方についてあれこれ思い巡らせる。それもまた楽しからずや。



         🐈🐈

高い飛行機代を払った甲斐があり、full frontalチャンスをモノにした。だけではない。とてつもなく面白かった。

台詞の無い劇であるが、俳優は自由自在に観客を操り、観客で群舞をつくったりする。本当に痺れる。
序盤、観客はぎゅうぎゅうのエレベーターに詰め込まれ、俳優が一人、エレベーターボーイのように乗っている。
もう一度、言おう。観客はぎゅうぎゅうに小さい箱に詰められている。にも関わらず、ぎゅうぎゅうの奥の方に居るわたしは、俳優に選ばれた。言葉なく、選ばれた。わたしを選んだ、ということは、ぎゅうぎゅうのその他大勢も一瞬で察した。モーゼの十戒のように、観客はわたしの前に道をつくっていく。気がつくと、私は俳優の手を握っていた。無論、強い力で誘導されてはいない。言葉で指示されてもいない。アイコンタクトでもない。しかしわたしは何をすべきか分かった。そして気がつくと、見知らぬフロアにただ一人、下ろされていた。
その時の、その他大勢のぎゅうぎゅうの顔〜〜〜!
恐怖に慄くぎゅうぎゅうたち。まじで最高だった〜〜〜!(見知らぬフロアでひとりぼっちにされた側は、むちゃテンション上がっていた。)
これもすごい。見るからに亜細亜人のわたしを、この演目の要となる冒頭で選んだ俳優さんが凄い。台詞が無い劇、とはいえ、冒頭の説明はむちゃむちゃ英語だ。わたしはむちゃむちゃ亜細亜人なので、もしかすると英語の説明を聞き取れず、主旨を理解せずにエレベーターに乗ってる可能性だってある。観客は仮面を被っているので、俳優は我々の表情を見ることは出来ない。英語を理解したのか、理解したが異国に馴染めず怖がっているのか、表情を読み取ることは出来ない。欧米人を選んだ方が無難である。選択肢を間違えたら、今後の世界観を壊しかねない。それをよくぞ、よくぞ、この薄暗い照明のぎゅうぎゅうの中で、ひとり放り出しても大丈夫そうな奴を選び出したな、と!本当に感激した。

3回の物語の上演が終わると、不思議と観客はBarへ集められた。トランス状態の観客たちは駆け出して、Barで社交ダンスを踊り始めた。極楽浄土のようだった。良いことがあるとすぐ踊っちゃう西洋人たち、本当に良い。

ひー!ここまでで情熱の4,500文字だって!

もっとテクニカルな面についても書きたいよー!
だってここはホテル。劇場ではないのだ。
しかし部屋ごとに音響が変わる。劇場ではないので、天吊りのスピーカーなどは見えない。見えないが、どこからともなく憂鬱な曲が永遠に垂れ流されている。部屋から部屋へ、廊下を移動すると、異なる2曲が混ざって聞こえる位置があるはずだ。不協和音が流れる位置がどうしても生まれるのではないか。それが無いのだ。異なる2曲が、切れ目なく混ざり合い、いつの間にか次の曲が始まっている。

そして、このぼんやりとした教会音楽に合わせて、俳優たちがコンテンポラリーダンスを踊る。踊るのだ。別の階に居たはずの俳優が、物語が始まる部屋にすかさず登場し、掴みどころの無い単調な曲をカウントなしで踊り始め、かならず曲のアタック部分に間に合わせて振りを踊り切る。すごい。どうしてなの。ねぇ、ダンサーさん、手首におびただしい枚数の肌色のテーピングをしていて痛そうよ。日本からキズパワーパッドとか持ってくれば良かったわ。言ってよ。水くさいじゃない。

さてさて、どうでしょう。全人類よ。

これだけ捲し立てられたら、「地球で一番面白いエンタメは〜?」とコールアンドレスポンスをしたら、皆さんは\Sleep No Moreー!/と言ってくれるのではないでしょうか???

最後に、この『Sleep No More』という題名はダブルミーニングで、ひとつはマクベスの台詞から。
もうひとつが、この劇を観終わった観客が「面白過ぎて眠れないよ!」と興奮状態になるから、と聞いたことがあります。


お頼み申す!全人類、観てくだされ!!


🃏 おしまい 🃏

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