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【企画】余命1〜2日の母にブーツが届いた

ご挨拶

こんにちは。もうそろそろ母も死にそうです。
おかげさまでまだ生きていますが、会話も出来るような状態じゃなく、時折悲鳴にも似た声を出すので、その度にビクビクと反応している毎日です。
ここ最近の母は、ベッドの上で毎日を過ごしており、酸素チューブを鼻に繋いでいます。
パッと見はザクかターンAガンダムか、といったところで、美意識の高い母は我慢ならないと思いますが拒否することも無いのでそのまま受け入れてもらうしかありません。すまぬ。

寝たきりの母にアマゾンから荷物が

そんな感じで毎日を過ごしておりますが、昨日母宛にUGGのブーツが届きました。アマゾンからです。
どうやらせん妄症状が出始める以前に注文していたらしく、このような時期に届きました。
様々な感情が押し寄せてきましたが、正直なところ「今更届いてもなぁ」と思いました。だって誰も履けないんだもん。ぶっちゃけて言うとそういうことです。
「彼女はファッションに凝ってた」とかそういうふうに思い始めると、沼のように思考に沈んでいきます。「あの頃の思い出」とか「残された人の気持ち」とか、浸るには良い沼ですよね。
ただ、ぼくたちの身体は陸上生物として構成されているので、あまりふやけるのも良くありません。ひとっ風呂浴びて、さっぱりして、明日から頑張ろー!って状態が健康的だと思います。
そう、ブーツの話でした。ぼくたちにはもう必要のないものです。誰も履かないし。
しかし、ここで一つ頭によぎったことがあります。本当にそうだろうか。

最後に着せる衣装

先程、母の旦那さんと葬儀屋さんとぼくとで話をしていました。
彼女は葬儀は火葬が良いと言っていた。また、最後に着せる服は何にするか。そういった話です。

「母に最後に着せる服は何が良いだろうか。着物とかだろうか」

そんなことを聞かれたので考えてみましたが答えが出ない。
日本人なら和服か。うーん、しっくりこない。じゃあロシア人ならコサック帽かぶってウォッカとか棺に入れるのか、インド人ならターバン巻いてカレーでも入れるのか。そういうことじゃないのはわかるんだけど、そんなことばかり考えてしまう。
もしぼくが死んだら。着物着せられるのってどうなんだろうか。別に悪くないけど、悪くないだけだ。スタッズだらけの革ジャンも着たいし、マッドな雰囲気の白衣だって着たい。和服だってスーツだって着たいし、これといって至高の一品なんて無い。服なんていっぱい持ってるし、今日はこんな服着たいとか、そういう気持ちもある。
ぼくは「アレもしたい、これもした、もっとしたいもっともっとしたい」なのだ。多分母に関してもそう思う。独りよがりかもしれないけれど。

全部着せたら良くね。
母はくさるほど服を持っていて、どれか一つなんて選べないと思う。
実際に棺に入る際に着る服は、結局ぼくたちが選ばないといけない。
それは日本人としての尊厳と言うか、そういった理由で着物で良いと思っている。
ただ、日常の中で身にまとう服は様々なものがあって良いと思う。
昨今ミニマリストや、断捨離という言葉が一般化して久しいが、母はそういった「本来の意味から離れた言葉の普及」に対して苦言を漏らしていた。
【必要以上の取捨選択を美徳とする】それらのニューウェイブに対して、しばしば批判的であった。

必要なものがいっぱいあっても良い。

母にブーツが届いたことにも、なにか意味があるかもしれないと考えた。
「履けない」と考えたのはぼくで、見せる場所に出かけられない現状を鑑みてのことだったけれども、履きたいから買った。ただそれだけのことだったのかもしれないと。

こじつけ臭くなってきたのでこのあたりで話を変えます。
上記のことを考慮した上でやりたいことが出来た。

行う企画

・母に服を着せて写真集を作りたいと思っています。

例えば、ぼくはバンド活動が好きで、ぼくの遺体がマイクを持ってライブをしているような写真集があればぼくはそれを面白いと思う
あるいは、介護者の視点から見て。ぼくたちは死へと旅立つ人たちに対してどうしても「もう少しなにか出来たのではないか」という心遺りを、どうしてももってしまう。
死者への手向けと言うか、残された人たちへの救いと言うか。
何か形に残るもので、未来や過去を美しいものとして前向きに捉えられる試みがあれば良いかな、と考えたわけです。(エゴかもしれない可能性は大いにあるけれど)
豪華な墓を立てれば良いというものでは無い。

出来る限りのことはしたいけど、わからないことも多い。
まずぼくたちには女性のファッションに対する知識がない。
なのでセンスの良い、ファッションコーディネーターを探す必要があると考えています。
また、良い写真を取るための知識もない。
iPhoneの進化は目覚ましいものがあって、ぼくたちでもプロのような写真を取ることは出来る。ただ、画質とかフィルターとか、そういった面でだけだ。
やっぱりプロはプロの理由があると思う。
そういった理由で支援者を募りたく思っています。
お金というより(勿論必要な面はあると思うけど)、むしろ知識の面でクラウドファンディングに頼りたい。
完成形は写真集の出版。
今は電子書籍などがあるけど、こればっかりは形に残したいです。

一旦終わります。今後追記していきたいです。

2/22追記
母の火葬が済みました。写真集は作成できませんでした。

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