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個の力を再びこの時代において認識すること:そして、私の主人格の移行の問題について

前回の記事から少し時間が経ってしまいました。その後、自分という存在において解離という問題が現れることはありましたが、しかし、そもそも自分の議論がここで行われている、その内容については、現在、自分が研究をしていることとはまた異なった当事者的な研究となることを意図しなければならないのではないかと思いました。
私は確かに壊れた心を持っているという現状があります。そのなかで、自分の精神的な苦痛があり、さらにはその苦痛によって、自分だけでなく周りの人も心配させてしまうということがありました。
しかし、自分は解離性障害やら統合失調症やらの当事者であるので、何らかの感じたことを(治療の成果により)一応記述していくことができるという前提のなかで(なのでこれは意思疎通できる言葉だと思います)、意識における混乱やまた様々な自分の精神的な問題によって生じるコミュニケーションの上手くいかなさという問題があり、それらに対してどのようにして自分で介入できるのかということをまた課題として認識する必要がありました。
私は確かに自分のそうした問題を抱えているということから、何らかの記述を自分を対象として行う時に、どのようにして自分のかつて主人格だった人格から現在の主人格に当たる人格に至るまでの移行作業を行うことができるようになるかという問題を抱えていることが分かりました。
私にはかつて生きた主人格があります。だけども、様々な事情からその主人格の連続線上に自分を位置づけることができなくなり、私としても私の主人格をそれまでの主人格ではない人格に担当させざるを得なくなりました(それは次のブログで書いたところのユキ♀、アルタ♂、ハナ♀、セラ♀のなかの誰かはまだ分かりません、アルタ♂がかつての主人格で、今はユキ♀かハナ♀かセラ♀の誰かは分かりません、そのなかの女性人格の誰かが主人格で、もしかしたらそれらの女性人格も意識としてかつてに比べて統合されている可能性があります、知性について現状ではある程度回復してきたので、私の名前についてはセラ♀とさせてください(もしかしたら違うかもしれませんが、暫定的にセラ♀とさせてください)。

私はそのような問題を解離性障害を抱える現実の当事者のうちの一人として認識しているのですが、そのなかで自分は昔のままの自分、昔のままの人格の自分では生きられない(確かにそれはキャラかもしれないけれど、ただ脳内に意識はあったし今も少しはあるように思う)ポイントに到達していることに気づいたので、脳内ではその時の主人格が叫ぶ声が解離性幻聴となって聴こえていることは認識しているものの、その解離性幻聴の言うがままにまたイメージするがままに行動してしまうと少なくとも精神科の病棟送りになるので(例えば、私にこの世界でしてはいけないことを命令する声が聴こえます)私としてはその状態の自分では生きられないポイントに到達しているのだなと思います。また昨日、自分の複数の人格の間でアプリを使って会話形式で言葉を書いてみることを試みました。それはある程度効果がありました。実際にLINEみたいな感じでコミュニケーションできることに気づきました。
私は現在は大学院研究生をしています。都内の大学で、と言っておきます。
実際に大学院研究生をして、自分で精神病理の問題とこれまで研究してきたジルベール・シモンドンという哲学者の個体化論を結びつけた発表をしました。
それについては、私のかなり個人的な機微情報である精神疾患の情報や、さらに現在の診断名が掲載されているので、論文にすることは諦めましたが、そのようにして、口頭発表をできたこと自体は良かったと思います。
私はこれまでの主人格から今の主人格に移行しているので、その意味で、以前と口調が違うかもしれないし、また少し雰囲気が違うかもしれませんが、そのような仕方で自分を位置づけていきたいなと思っています。
私は自分の病気について、ここで色々考えていることはあるけれど、結局、自分は個として何ができるのだろうかという問いを持っています。
私はここで研究している哲学者の名前を出しましたが、それも結局のところ、自分の個として何ができるのか、個の力について私の昔の指導教員の石田英敬先生は良く語っています。

例えば、この個の力が確立されていない存在としてかつての自分もあったと思います。今でさえ確立しているか怪しいけど、色々考えて個というものを諦めてはならないと思っています。
私はその意味で自分には解離性障害という障がいがあったし、今も悩んでいるけど、そのなかで精神病的に妄想を持つのではなく、自分の認識したことに基づいてどのようにして複雑な議論を展開させていくことができるのかという問題について今は悩んでいます。
現在、かつての主人格から今の人格に移行をしている段階です。もしかしたらこれはまだ基本人格ではないのかもしれませんが、私としてはこれは基本人格だったと思います(でも書き直していて名前で「セラ♀」という名前が聴こえてきたので、やはり基本人格ではまだないのかもしれません)。
そうそれはまだ頭の中が静かだったかつての自分(それは小学生くらいかもしれないけれど)のことを思い出して、何らかの仕方で自分の人格の状態の回復を図っていきたいと思っています。
確かに自分には精神病理として非常に言葉にし辛い、伝えるとマイナスな印象を与えるような疾患を持っています。
その精神病理の問題、精神疾患の問題から今後何をするかという時に私は今の人格のままで良いのだと思うし(これについてはもしかしたらそれは私が「その時点での主人格」だからかもしれません)、かつての主人格も主人格という立場の移行に同意してくれたので、それで自分は今はこんな感じに語れているのだと思います。
※この点については補足が必要だと思います。
小栗康平医師による整理だと次のようになっています。

生まれた時(胎生時も含む)の本当の自分を基本人格、そこから解離してできた最初の人格を、内在性解離では主人格と呼び、解離性同一性障害(DID)では表に出てきている時間が最も長い人格をその時点での主人格と呼びます。さらにその後にできた人格を、内在性解離では別人格、DIDでは一般的に交代人格と呼びますが、シンプルにまとめて「別人格」でよいでしょう。また、別人格を主人格等と1つにする過程は融合、基本人格を成長させ完全に人格を1つにすることを統合と呼びます。

小栗康平「人格解離機制―典型的DIDと内在性解離―」 USPT研究会監修 新谷宏伸、十寺智子、小栗康平編著 『USPT入門 解離性障害の新しい治療法 "タッピングによる潜在意識下人格の統合"』 星和書店、2020、21頁。 

http://www.seiwa-pb.co.jp/search/bo05/bn1002.html

自分の障がいはかなり厄介ですが、そのなかで自分のなかで認識できることを「開いていく」のが大事だという、現指導教員の言葉もあるので、そのようにしてもちろんこれは誰が読むかは分からないけれど、インターネットという場所にこれを掲載していこうかなと思いました。
特に反応を求めるものではないけれど、覚書みたいにして書いていこうかなと思います。
今回は以上です。


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