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「美しさが宿る悲恋の尼寺」京都 祇王寺

みなさん「苔」はお好きでしょうか?

苔は、梅雨にかけてが生き生きと輝くシーズンですね。
京都にはいくつもの「苔名所」といわれる所がありますが、
ここ祇王寺(ぎおうじ)もその一つに数えられています。

祇王寺は京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院です。
明治に入り廃寺となりましたが、大覚寺に属して真言宗に改宗し
復興されたそうです。(大覚寺塔頭なんですね)

祇王寺は嵐山の渡月橋辺りからだと、徒歩で約20分ちょっとかかる場所に位置しています。少し歩くなぁと思われるかもしれませんが、それでも見る価値は十分あると思います。

ではさっそく祇王寺に行ってみましょう♪

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祇王寺は「平家物語」に登場します。

平清盛に寵愛された白拍子の祇王(ぎおう)が清盛の心変わりによって都を追われ、母と妹とともに出家・入寺した「悲恋の尼寺」として知られるのがここ祇王寺なのです。

《清盛に寵愛された白拍子の憐れな物語》
都で白拍子の名手といわれた祇王と祇女(ぎにょ)の姉妹。
祇王は平清盛から寵愛をうけ、母の刀自(とじ)は清盛から屋敷までも与えられ、親子三人は穏やかで平和な暮らしをしていました。
そこに現れたのが仏御前(ほとけごぜん)です。
仏御前は清盛の屋敷に出向き舞を披露しようとしますが、清盛はそれを門前払いしようとします。ここでそれを仲介したのが祇王でした。
ところが仏御前の舞ぶりに感心した清盛はたちまち仏御前に心移りし、祇王は清盛の屋敷から追い出されてしまいます。
屋敷から追い出されてしまった祇王は、妹の祇女と母刀自とともに出家し、尼となって嵯峨野で仏門に入りました。
一方清盛に気に入られた仏御前は、その後家族ともども栄えていきました。
しかし祇王の不幸に世の無情を感じ、仏御前は尼の姿で三人の前に現れます。
以後四人は、一心に後世を願い念仏修行に励んだのでした。

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鎌倉時代になると、法然上人の門弟・良鎮によってこの辺り一帯を境内とする往生院(おうじょういん)というお寺が創建されたということが伝わっています。
祇王寺はもともとこの往生院の境内にあり、往生院の一部だったそうです。しかし広い寺域を占めていた往生院も後年には荒廃し、その一部がささやかな尼寺としてこの地に遺されることになりました。
そして後にその尼寺は、「祇王寺」と呼ばれるようになりました。

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祇王寺は、苔庭と楓に囲まれた美しい草庵からなっています。

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まずは祇王寺の代名詞である苔庭の世界をゆっくり見て回りましょう。

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祇王寺の境内はほぼその面積がこの苔庭で構成されています。

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その苔庭の中で、楓が静かに根を生やし共存しています。

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とても静かで、この場所だけ時がゆったりしているかのような錯覚を覚えます。
そんな不思議な雰囲気のある祇王寺。
この嵯峨野の山すそにひっそりと佇む境内は、祇王の悲しみをそのまま今に伝えるかのように存在しています。

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参道を歩きながら中央に目をやると、これでもかと苔に覆われた立派な苔庭が見えます。
もこもこふかふかなこの感じ…あぁ触ってみたい。
まぁでも絶対ダメですけどね。ちゃんとルールは守りますよ~。

ちなみに祇王寺の苔庭には約20~30種類もの苔が植わっているそうです。

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どうやらこの苔庭。
調べてみると、2時間ほどかけて苔に水をまいているらしい‼︎‼︎
苔に直接水があたると傷んでしまう為、優しくゆっくりかかるように水をまくのだとか。確かにそれならそこまで時間がかかるのもわかります。
さらに庭の手入れはもちろん毎日で、落ち葉の掃除も優しく丁寧に行う。
この苔庭を守るためにここまで真剣に向き合っているとは、本当に頭が下がる思いです。

この苔庭は、山際に位置していることで湿気のたまりやすい気候となり、その中で自然と育まれできたそうです。
そんな環境でありながら、苔は水をあげ過ぎてもダメなんだとか。
なのでずっと水をまくわけではなく、水をまかない時間もちゃんと考えられているらしい。
つまり、苔が蒸れ過ぎてしまうのも良くないということ。
全てをやってあげるのではなく、あとは自然におまかせすることも大事なことなんですね。
そこが上手く合わさって、この素晴らしい苔庭ができているってことか…
苔というのはデリケートな生きもの。
けれど、その繊細な所がこの美しさをより際立たせているのでしょうね。
やっぱり祇王寺ってすごい‼‼

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秋になると紅く染まり、苔庭を真っ赤な絨毯へと変身させる楓。
この時期は美しい緑の世界。
青もみじの爽やかで元気の出るこの色を吸収することで、疲れた心と身体がゆっくりと生き返っていきます。

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苔庭に映る影もまた美しいですね。

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参道から見る草庵も風情があって素敵です。

さらに参道を奥へ進むとそこに現れたのは、綺麗に並んだ竹林。
整然と並びまっすぐ伸びる竹の姿はとても美しく、参道を楽しむ私を
とても優しく歓迎してくれているように見えました。

さらさらと風にそよぐ竹の葉はこの澄んだ空気感を生みだし、そこにまた新たな心地良い空間が生まれる…
その空間に包まれた私は、いつの間にかその場所にそっと身体を預けていました。

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上を見上げ、背伸びをして大きく息を吸い込みました。
とにかく気分がいい。
自分が回復していくのがわかります。

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ゆっくりゆっくり地面を踏みしめて、今この瞬間の感覚を味わいます。

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いつの間にか、苔庭を一周していました。

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その先にあったこの茅葺き屋根の草庵こそが、この祇王寺の本堂に当たる建物になります。
明治28年(1895)祇王寺が再興された際、当時京都府知事であった
北垣国道氏が、嵯峨にあった自身の別荘一棟を寄贈されました。
実は、これがその現在の祇王寺の建物なのです。

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こちらの中にある仏間には、祇王・祇女・母刀自・平清盛・仏御前といった、この祇王寺に関連する平家物語の登場人物の木像が安置されています。
別離をした平清盛と祇王や、その原因となった仏御前が並んで一緒に祀られているというのは、私としては正直少し不思議な感じがしました。

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草庵の控えの間にある大きな丸窓は「吉野窓」と言います。
外から差し込む光が障子に色とりどりの色彩を映し出すことから
「虹の窓」と呼ばれているそうです。

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中の説明などをしましたが、本堂の中は撮影禁止なのでご注意を。

最後にこちらを。
向かって左側の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、祇王・祇女・母刀自のお墓です。
右側の五輪塔は平清盛の供養塔です。

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本堂の像もそうでしたが、こちらも一緒に並んでいるのですね。
生前はどんな問題ががあろうとも最後にはこうして並んでいるという
ところに、見ていてなんとも複雑な想いがしました。
「そこに意味はもたない」ということなのでしょうか…
私には難しかったです。

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ではそろそろ人も増えてきたことですし、帰りましょうかね。

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祇王寺さん、ありがとうございました。

いつかまた行ける日が来るといいなぁ。


ではまた。

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