見出し画像

柿の願い

無惨だ。
玄関を開けると、
オレンジ色の柿が実ったまま、
バラバラに枝が切り落とされていた。

このアパートに住んで数年。
私の部屋は玄関を開けると、
右手に3本の柿の木が見える。
視界に入る日もあれば
見向きもしない日もある、
そのくらいの存在感。
柿が育つその場所は
大きな倉庫の裏にあり、
陽当たりがとても悪い。
それでも10月に入り
新しい実が増え、秋の訪れを知らせた。

渋柿なのか観賞用なのか
この3本の木を
誰かが手入れしている様子も
もぎとる姿も見たことがない。
実りもふっくら可愛いものではなく
座布団ように平べったく不格好で、
新しく実った柿と
古いまま残った黒い柿が混在し、
決して美しいとは言えない
佇まいであった。

だけど
朽ち果てるまで
土にかえるまで
人間に制限されることなく、
与えられた自然の中で
柿はありのままの
そのままの人生を送っていた。

よく見ると
傷がついた柿や、穴が空いた柿、
際立って明るい柿。
表面にはそれぞれストーリーがあり、
そこから何か聞こえてくる。
私には実、ひとつひとつが
柿の木の声のような気がした。
一本の木から
さまざまな感情が生まれている。
影におおわれて哀愁があるせいか
そんな思いにさせられた。

いつの間にか
この景色を眺めることが
日常のひとつになっていた。
私は柿の人生を眺めながら暮らしていた。

次の日、
柿のことはすっかり忘れていた。
しかし。
いつものように玄関を開けると
木が、ない。
枝だけではなく、木がなくなっている。
焦って靴を半分履き近寄ると
根の近くから切り倒されていた。

もしかして、柿の木は
なくなってしまうのだろうか。
別に今まで一度も
必要としたことはない。
だけど、
柿のことを心配をしている
自分がいた。

車の運転席で待っていた旦那さんに
「柿の木が切り倒されてたよ…
やっぱり渋柿だったのかな。」
と伝える。

「ね、昨日は枝がなくなってたけど。
木ごと切り取っちゃうんかね。
あそこにあるの
なんとなくよかったんだけど。」

旦那さんも私と同じ気持ちだった。
なんとなくよかった。

夫婦で出かける時や
一緒に帰ってきた時。
ふとお互い柿に目が止まり
「やっぱり食べれないのかな?」
「いっぱい実ったね」
とひと言話す。
たったそれだけのことだったけど、
その日常は風流で
季節の巡りを感じる風景は
旦那さんの言葉通り、
なんとなくよかった。

「ね。柿があってよかったよね。
なくなっちゃうのかな。
最近あの倉庫の所有者、
新しい人に変わったみたいだし
今の人には迷惑だったのかもね。
でも、なんか寂しいな…。」

土地の使い方は今の所有者の自由だ。
渋柿はすぐに食べられないし、
落ちる葉や実を掃除するだけの存在と思えば
こうなることは
自然なのかもしれない。

だけど、
逆側から見る私たちには別の景色があった。

「私たちが柿を眺めていたことも
日常の何かになっていたことも
あっちの人は知るわけないもんね。」

「そだね。」

「私たちのものだったらよかったね。
ね、柿。」

木も人間と同じように
呼吸をしていているけど、
何も語らないその命に
想いを寄せる人は少ない。

人もモノも自然も
誰かの何かのタメになっているし、
その逆にもなっている。
誰かにとっては迷惑でも
誰かにとっては有難い存在だったりする。
いろんな思いの先に
日常の景色はつくられていく。

そして、
この3本の柿の木は
私たちにとっては
季節を愉しむ存在だった。

誰かの願いが叶うことで、
玄関を開けて覗く景色は変わり、
夫婦で季節を感じる時間が減った。


それから3週間は経っただろうか。

さっき
近くの直売所から帰ってきたのだが、
あの柿の木が
根っこから掘り出されていたのだ。

ふと先に目線をやると
作業服も表情もクタっとしたおじさんが
めんどくさそうに
3本目の柿の木の根を掘り返していた。

根がなくなる。
ああ、本当に
柿の木人生は終わるんだ。
そう思った。

玄関を閉め、部屋に入ると
急いで携帯を取り出した。
無性に柿のことを書きたい
衝動にかられたのだ。

そして今、
野菜が入った重いリュックを背負ったまま、
私は夢中でこの文章を書いている。

なんの迷いもなく、溢れでる言葉を
そのまま書いている。

ねぇ、柿の木。
あなたは何年生きてきたの?
どんな人生だった?
数年だけど、あなたのいる景色を
過ごせてよかったよ。
あなたの人生を
見ていた私たちがいたこと、
知っててくれたら嬉しいな。
あなたは必要だった。
そのことを忘れないで。
私たちを笑顔にしてくれて
ありがとう。

そう打ち終わり、
やっと重たいリュックをおろした。

「あっ!そういえば」
私はリュックの中をあさくった。

柿に夢中になり過ぎたせいで、
生魚を買っていたことを
すっかり忘れていたのだ。

どれくらい時間が過ぎたか分からないが、
もうずいぶん経った気がする。

痛んでないだろうか。私の頭は
今晩の鮭のことでいっぱいになった。
早く冷蔵庫に入れてあげないと。

冷蔵庫を開けると、
あれ?
柿がある。

ふっくらとした柿が、
ひとつあるのだ。
一瞬、頭がフリーズする。

あ、そういえばこの前
スーパーで買ったんだった。
あ~びっくりした。
すっからかんになった冷蔵庫の奥で
甘柿がポツンと姿を現していた。

あぁ、ごめんよ。
忘れてないよ。

そうか、
そういうことね。
分かったよ。

最後に、
3本の渋柿の木は
「来世は食べれる甘柿の木になりたい」
そう私に伝えてくれた。


あさのはな

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?