見出し画像

【プチ仏閣巡り】関東北条氏と所縁ある「一澤山 法光寺」(愛知県岡崎市)


はじめに

暑さは少々落ち着きつつ、来週の台風の行方が気になる今日この頃。
未だ続く自律神経の不調(夏バテ)により散策は出来ておらず。
また、調べものもなにせ時間がかかる。電話での確認・アポ取りも気付くと18時過ぎ……なかなか進まない。

最近、『安城市史1、5』『名古屋叢書(一式)』をわけあって購入しましての(遠い目
全て実費
従って、”特に”実社会での近隣の方。当アカウントが発信する記事の無断引用/参考(リンク貼りは除く)はお控えください。必要ならば許可取りください

少し前にお盆だったということもあり、父が眠る墓参りに旦那寺に行った際に「おぉぉっ……(感嘆)」ということがあった。
今回は近隣の散策(仏閣巡り)だ。

今回の目的地

「真宗大谷派 一澤山 法光寺」が今回の目的地だ。
場所を以下のとおりにお示しする。

緑:旧東海道 赤:法光寺
竜東メーンロードと国道1号線が交わる交差点「岡崎インター西」から西へ450m強
画像出典元: Googleマップ

【東海道】岡崎二十七曲りを歩くでも触れた仏閣だ。

法光寺概要と写真

享禄5(1532)年創立(山門裏の刻印による)。
関東北条氏の一族が移住してきた……という説が有力。
(後北条氏かーー ※ネコチャーン記載)

東海道沿いにあるため、東海道に人の往来があった時期(戦前)までは東海道を行きかう人の無料宿泊所もなさっていたとのこと。

山門
※2023年11月撮影
本堂
※2023年11月撮影

今は改修工事がなされており、本堂は基礎を作る前の状態。
仮本堂に阿弥陀様が安置され、8時~17時まで開放されている。

工事中
※2024年7月

町の古老からの伝え聞きにはなるが、かなり昔(昭和20-30年代頃か)。
周囲は竹藪が生い茂っていたーー、と。
別の古老は「この周囲も昔は水田が広がっていた」と。

諸般の事情(火災と戦禍)で歴史があまり遺っていないエリアだ。
古老の記憶を少しずつ分けていただくPJTでも個人的に始めようか、と考え中。

本堂などの基礎をより強固にするために、
かつて、大きな石を敷き詰めていたのだろうか
※2024年8月撮影

ここで言及することもナニではあるが、私はAmazon Primeに加入している。
7月下旬頃に配信上位に挙がっていたことに気付いたことがキッカケで、以降、『逃げ上手の若君』を観ているのだが、本堂の鬼瓦だろうか。金色に光る「三つ鱗」を発見。思わずカメラで撮る。

南北朝時代と江戸末期は時代の流れがなかなか頭に入りきらないため、大変参考になる(あとは自力で学べばよろし、と)。

※2024年8月撮影
昭和43年に新調された梵鐘
先代のご住職のお名前かーー
※2024年8月撮影
燈篭と蓮
※2024年8月撮影

やはり仏閣には蓮が似合う。

山門近くの蓮
※2024年7月撮影

現在の蓮。

種は貴重
報恩講の時など希望者に分けry…
他からのご縁にて種は頂戴しており、来年に楽しもうかと
※2024年8月撮影

ちなみに、子供の足でも来れる地域に住んでいるため、頻繁にお寺に出入りしていた当方。(賢い秋田犬の番犬・リキ君と先々代の坊守様の存在が大きく)
「暑いのに、みんな(お墓の水受けに)お水なくてかわいそう」という慈悲深いエキセントリックな発想ですべてのお墓の水入れに水を入れるという愚行をお赦しくださった前ご住職・坊守様には感謝しかありません。

また、今回の記事執筆、及び写真のSNSへの掲載を許可くださった、現ご住職・坊守様。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

法光寺インスタグラム
https://www.instagram.com/houkouji1532/?utm_source=qr


まとめ

今回は大変に失礼ながら、次の記事を書くまでの準備が進められない……という事情もあり、鬼瓦と家紋「三つ鱗」に歓喜したこともあり、触れさせていただいた。
東海道を歩いている方を時折見かけることもあり、「ここにも歴史があります」とお知らせしたい意味もある。

加えて、人は得てして「より遠くの存在に憧れ、近くにある存在を疎かにしがち」だ。自身への戒めも込めた記事になれば良いと思う。



最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

【注意事項】
著作権の観点から、無断引用・転載はお控えください。
引用・転載の際は必ずお声がけください

※本来、引用はルールさえ遵守いただければ連絡不要ですが、引用元不明記など諸般のトラブル防止のためご一報ください

【参考】
法光寺の歴史(フライヤー)

【画像出典元】
Googleマップ



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?