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連載小説『ネアンデルタールの朝』⑩(第一部第2章‐4)

4、
夜、スマホを見ると、大学の友人の山口凌空(りく)からラインのメッセージが届いていた。
――明日デモ来れる?
山口は今年の4月頃から、国会前のデモに熱心に参加するようになっていた。
――ごめん、行けない。いま福島の実家
汗をかいている絵文字を文の末尾につけて送信する。
――いま実家なんだ。りょうかいー
数分後、文末にウインクの絵文字がついた返事が返ってきた。民喜はため息をついてスマホを机の上に置いた。しばらくすると、またメッセージが届いた。
――来週はどう?
何と返事をしてよいか迷ったが、
――うーん、まだ実家かも
涙を流している絵文字をつけて送信した。するとすぐに既読になり、
――りょうかいー また来れるときに来てね。いま大事な時だから
やはり末尾にはウインクをしている絵文字がついていた。

「いま大事な時だから」という一文を読み返す。その言葉からはデモに参加しない自分を暗に責めるニュアンスが感じられなくもなかった。
民喜は先月の7月、山口に連れられて初めて国会議事堂前のデモに参加した。国会前では自分たちと同年代の若者たちが大勢集まり、安保法案反対の声を上げていた。
「戦争法案、絶対反対!」
 ドラムのリズムに乗って、スピーカーを持った女の子が先導する。
「戦争法案、絶対反対!」
 集まった人々が一斉に声を上げる。
「憲法守れ!」
「憲法守れ!」
叫ぶように声を張り上げる山口の隣で、民喜も一緒に声を出し続けた。しかし、何だかのどがキュッと締め付けられたようになって、あまり大きな声を出すことができなかった。
大勢の人の背中。「戦争させない」「憲法守れ」の文字が白抜きにされた赤や緑のプラカード。賑やかなリズムに乗って繰り返されるシュプレヒコール――。
デモに参加している内に、民喜は妙な気怠さに襲われていった。声を上げながら、だんだんとそこに立ち続けているのがしんどくなってきた。
シュプレヒコールからは言葉の意味が失われ、ただ賑やかな音声となってゆく。自分の口から発されている声も、自分ではない誰かの声のように感じられた。
(あ、しんどい)
心の中から、声がした。
しんどい。この場所に、自分はいられない……。
民喜はいまの自分にはここで声を上げ続けるエネルギーがないことを理解した。
以来、この一か月は何やかや理由をつけてデモには参加していない。

「いま大事な時だから」――
ラインの文言が浮かんでは消えてゆく。山口は明日も、国会前に行って安保法案反対を叫び続けるのだろう。
山口は一体どこからそのエネルギーを得ているのだろう、と思う。確かに、安保法案は廃案になってほしいけど……。でも……。
民喜は布団の上に横になった。目を閉じると、自分を睨みつけるイノシシの目が浮かんできた。
夢の中で聴いたイノシシの声が頭の中によみがえる。
(・・・・・・消えろ)
目を開け、天井を見つめる。イノシシが発した声は鋭い矢じりのように自分の心に突き刺さり続けていた。

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