小説『ネアンデルタールの朝』⑧(第二部第2章-3)
3、
週が明けてから、山口凌空からデモの誘いは来なくなった。山口はもう自分のことを見限ったのかもしれない、と思う。こんなやつを相手にしていても仕方がない、ということが分かったのかもしれない。
学内を移動する際は絶えず山口や「もっちゃん」と顔を合わさないかと気になった。鉢合わせするとやっかいだから、学生食堂も利用しなくなった。普段ほとんど自炊はしない民喜にとって、学食を利用できないのは痛手であったけれど……。昼休みにはいったんアパートに戻り、コンビニで買ってきた弁当やサンドイッチを食べた。
山口は自分を軽蔑しているのだろうな、と思う。
大学に行くこと自体が苦痛になり始めていたが、気力を振り絞って授業とコーラス部の練習には顔を出していた。ただ一つの楽しみは明日香と会えることだった。ただしここ数日はパート練習がメインだったので、練習の合間に彼女と言葉を交わす機会はほとんどなかった。
秋の定演が近づいてきていることもあって、練習にも緊張感が漂い始めている。昨日、部長の妙中真美が声を荒げる場面があった。
「みんな、もっと集中しよ! 本番まであと25日しかないんやで!」
ピリピリとした空気は、いよいよ民喜ののどをこわばらせた。
アパートに戻ると、郵便ボックスにアマゾンのメール便が入っていた。注文していた本が届いたようだ。
部屋に戻り、早速開封してみる。
原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫)。
表紙を開き、そでに掲載されているプロフィールを見てみる。著者の肖像を見た瞬間、民喜はハッと息を呑んだ。
髪をオールバックにし、丸い黒縁の眼鏡をかけて写真に写る原民喜氏。数日前に明日香と一緒に見た写真とこの写真とでは、ずいぶんと印象が違った。数日前に見た彼は穏やかな表情をしていたが、この写真では何か切なるもの内に秘めた表情でこちらに顔を向けている。
特に印象的なのは目だった。頬がこけ、どこか弱々しい印象である中で、黒い目が異様な存在感を放っている。
《原民喜(1905‐1951)
広島市生れ。慶應義塾大学英文科卒。中学の頃より詩作を、大学予科の頃より短編小説の創作をはじめ、1935年(昭和10年)、作品集『焔』を自費出版する。疎開先の広島で原爆被災。以後、被爆後の広島の凄惨な状況に向き合いつつ数々の佳品を発表。’47年に刊行した『夏の花』は多くの読者に深い感銘を与え、水上滝太郎賞に輝いた。’51年、『心願の国』を遺し、自殺した》
略歴の末文を読み、原民喜という人は1951年に自ら命を絶って生涯を終えたことを知った。巻末の年譜を確認してみると、
《昭和二十六年(一九五一年)四十六歳 三月十三日午後十一時三十分、中央線吉祥寺・西荻窪間の鉄路に身を横たえ自殺を遂げる》とあった。
中央線の吉祥寺‐西荻窪間と言えば、いつも自分も利用している路線だ。そこで、彼は鉄道自殺をしたのか……。
自分が冷たいレールに身を横たえるところを想像してみて、ゾッとする。色々な自殺の方法がある中で、なぜ彼は鉄道自殺を選んだのだろう。自分だったら絶対嫌だ、と思う。
ページを閉じる。小さな文庫本であるはずなのに、自分の手に何かどっしりとした重みを持つものとして感じられる。この本を読み進めるには相当なエネルギーが必要であることを民喜は直感した。
本を置いて、敷きっぱなしの布団に横になる。しばらくの間、脳裏に原民喜の目の残像が残り続けていた。
*原民喜氏 略歴・年譜:原民喜『夏の花・心願の国』(新潮文庫、1973年)より引用
*お読みいただきありがとうございます♪
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第一部(全27回)はこちら(↓)。
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