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連載小説『ネアンデルタールの朝』⑦(第一部第2章‐1)

第2章

1、
民喜は駅前広場から車を出発させた。遮断機が失われた踏切を通り抜け、ロウソク岩が見えるあの浜へと向かう。
漁港があった辺りは現在すべて更地になっており、その更地の上を無数のフレコンバックが積み上げられている。傷口から生じた膿のように、汚染土の袋の山は海岸部の至るところに点在していた。
フレコンバックの山の脇を通り過ぎる。すぐ近くをクレーン車が運転している。通路はもちろん舗装はされておらず、でこぼこの表面に合わせて車体が大きく揺れる。
大量のフレコンバックを見つめながら、民喜は半ば反射的に息を止めていた。しかし袋の山は延々と続いている。苦しくなってきた民喜は仕方なくまたそっと息を吸った。民喜の目に、袋の山はどこまでも続いてゆくかのように思われた。

ようやく防波堤が見えてくる。白いマスクをした工事現場の作業員がこちらに向かって赤色の誘導灯を振っている。もうこれ以上先には進めないらしい。男性の指示に従い、県道沿いに車を走らせる。
海はもう目の前だ。
次の瞬間、防波堤の向こうに広がる群青の海が目に飛び込んできた。太陽の光が海面をキラキラと輝かせている。確かにここは、駿と将人と毎日のように遊びに来たあの浜だ、と思う。ロウソク岩の見える、あの浜だ。
寄せては返す波音がすぐ耳元によみがえる。
震災の2日前に、この浜で駿と将人とした会話を民喜は改めて思い起こしていた。
「ネアンデルタール人には、世界はどのように見えてたんだろう?」――
4年前のあの夜、焚火缶を囲みながら、三人でホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違いについて遅くまで話をしていたのだ。……


「結局、俺らホモ・サピエンスとネアンデルタール人ってどこが違うんだ?」
民喜の質問に、
「頭ん中だな」
眼鏡をずり上げて駿は答えた。
「頭ん中?」
「んだ。頭のつくりだ」
駿は続けて、
「もともとはホモ・サピエンスもネアンデルタール人も同じような頭のつくりだったらしい。でもあるとき、ホモ・サピエンスに遺伝子の変異が起こって、いまの俺らのような脳の構造に変化したらしい」
そう早口で説明をした。
「遺伝子の変異が起きたって、どれくらい前だ?」
将人が指についたポテトチップスの塩をしゃぶりながら尋ねる。
「さあ、諸説あるらしいけど。少なくとも何万年も前だろ」
「へー、何万年!」
将人は感心したように言った。
「俺らのような頭のつくりって、どんなの?」
民喜が尋ねると、駿はニヤッと笑って将人の頭を指差した。
「まさに、将人がいつも体現してる。一言で言うと、妄想ができるってことだ」
「妄想?」
「んだ」
「将人の頭ん中って、ほぼ、ヤラシイことについての妄想だろ」
将人は「おい! 」と駿の肩をポンと叩いた後、
「ま、でも確かにそうだな」
と頷いた。
「妄想できるのが、俺らホモ・サピエンスの特徴?」
民喜の質問に、
「んだ」
駿は頷いた。
「妄想力。もしくは想像力。これがホモ・サピエンス特有の能力だ」
将人と一緒に「へー」と相槌を打つ。
「俺、ちょうどいま、そんなことが書いてある本を読んでんだ」
駿はカバンから一冊の分厚いハードカバーの本を取り出して二人の前に掲げ、ニコッと笑った。焚火缶のあかりのもと、『心の先史時代』という表紙のタイトルが読み取れた。
将人は手についたチップスの塩を払って、本を受け取った。パラパラとページをめくりながら、
「相変わらず難しい本読んでるな」
民喜も横から本を覗き込んでみた。が、内容がよく分からない以前に、辺りが暗すぎて文字が読み取れない。裸眼で2.0あるという将人は暗闇の中でもよく目が効くのだろうか。
「で、この本には何が書いてあんだ」
将人が尋ねると、
「んだから、ネアンデルタール人と俺らホモ・サピエンスの頭のつくりの違いについてだ。脳の構造の違いだ」
「ふーん」
「じゃ、説明しましょう!」
駿は嬉しそうに立ち上がって、
「リビングの周りに幾つも部屋がある家をイメージしてみてくれ」
「はあ?」
「いいから、さあさあ」
将人は仕方なくという感じで目を瞑った。民喜も目を瞑ってみる。
「これが、ネアンデルタール人の頭の中だとする。真ん中のリビングは一般的な知能を司るところだ。そしてその周りに、色んな専門的なことを司る部屋がある。武器を作る技術的な知能の部屋、草や木の実を見分ける博物的な知能の部屋、言葉をしゃべる言語的な知能の部屋、コミュニケーションをする社会的な知能の部屋。『心の先史時代』によると、ネアンデルタール人の頭の中ではこれらの部屋がそれぞれ独立して働いていたらしい。つまり、あくまで部屋同士は壁で仕切られてたってわけだ」
「ふふーん」
将人が興味があるのかないのか分からない声で相槌を打つ。
「で、ここからが重要だ。今から何万年も前のある日、この家に革命が起こった。バーン!」
突然駿が大声が出したので民喜はビクッとして目を開けた。
「びっくりした」
「何だよ、いきなり」
将人もどんぐりのような目を見開いている。
「それぞれの部屋を仕切る壁がぶっ壊れたんだ。したっけ、互いの部屋の中が丸見えになった。つながって、自由に行き来ができるようになった。これが、何万年も前に起こった遺伝子変異の結果だ」
「完全な個室じゃなくなったわけだな」
民喜は呟いた。
「いやん、まる見え」
と言う将人の言葉は無視して、
「で、それでどうなった?」
駿に尋ねる。
「その結果、俺らが自分で意識しなくても、自然に頭の中の各部屋が交流するようになったんだ。違った領域にあったもの同士が勝手にどんどん結び合わされるようになった。したっけ、ネアンデルタール人にはなかった新しい能力が発生した」
「それが妄想力?」
「んだんだ。または想像力」
「ふーん、分がったようで、分がんねえな」
将人が頭を振った。
駿はスマホを取り出し、何か操作をしながら、
「じゃ、分かりやすい画像があるから……。ちょっと待っててくれ」
間もなくして、二人の前に画面を差し出した。
「ほら! これ、何に見える? ドイツで発掘された像で、今から約3万年以上も前にマンモスの牙を彫って作られたものらしいんだけども。世界最古の彫像らしい」
将人と一緒に画面を覗き込む。青白く発光するスマホの画面に人間のような形をした像が浮かび上がっている。

ライオン人間2

「人?」
民喜が答えると、
「顔をよく見てみて」
駿が像の頭の部分を指差した。
「ライオン?」
将人が答える。
「そう、ライオン。頭はライオンで、体は人間なんだ」
確かにそう言われてみれば、頭部はライオンのような造形をしている。
「ライオン人間か」
将人が呟く。
「んだ。こんな像を3万年以上も昔に、ホモ・サピエンスは作ってたんだ。ライオンと人間っつう元来は別のものを結び合わして、現実には存在しない新しいイメージを創り出した。この像が芸術品なのか、それとも宗教的なものなのかはよく分がんねえけども……。このような物を作るには想像力が不可欠で、それはネアンデルタール人たちにはできねえことだったんだ」
「なるほど、こういうことが、俺らホモ・サピエンス特有の能力か」
少しずつだが、理解が深まってきた気がする。画面上に浮かび上がるライオン人間をジッと見つめる。その威厳のある佇まいから何となく、当時の神を模した像のようにも思えた。

「俺なりに言い換えれば、それは、ものとものとの間につながりを見出し、結び合わせる力だ。この力が爆発的に増大してゆくことによって、宗教や芸術、そして科学も誕生していったんだ」
「科学も?」
民喜が呟くと駿は頷いた。
将人は夜の海に顔を向け、
「したっけ、その能力のおかげで、遂には『あれ』も出来たわけか」
向こうの方を指差した。
将人の指さす方向を目で追う。将人の指の先には、暗い夜の海と海岸線が見えるだけだった。
「『あれ』って?」
「原子力発電所だっぺ」
将人はここから数キロ離れた岬にある福島第二原子力発電所を指差しているらしかった。そう言えば、向こうの海岸線に小さなあかりが瞬いているのが見える。 
原子力発電所と言われても、まったくピンと来ない。もちろんこの町に原発があることは知っているが、普段の生活の中でその存在を意識することはほぼ皆無だった。
海から強い風が吹いてくる。寒気を感じた民喜は毛糸のマフラーを首に巻き直した。3月になっても、まだまだ冬の寒さが続いている。民喜たちはこういう日は焚火缶に火を起こすことで何とか寒さをしのいでいた。
「でもさ」
しばらくして民喜は口を開いた。
「ネアンデルタール人は妄想することなかったんだろ。それって、どんな感じなんだべ?」
「うん?」
駿がこちらを見つめる。
「妄想のない世界って、どんな感じなんだべ?」
「うーん、どうだろ」
駿は首を傾げた。
「何だかつまんなさそうだな」
と将人。
「ネアンデルタール人には、世界はどう見えてたんだろう?」
民喜は独りごとのようにして呟いた。
三人はふと無口になって夜の海を見つめた。砂浜に打ち寄せる波の音がフワッと三人を包み込んだ。……


河口に架けられた子安橋を渡ってゆく。この橋の上からは、海と町の様子が一望できた。民喜は束の間の安堵を感じ、首を伸ばしてロウソク岩の姿を探した。
しかし、あるはずの場所に、岩の姿はなかった。民喜は目の前をサッと黒い鳥が通り過ぎたような嫌な予感を感じた。
橋を渡り終え、道路の脇に車を停める。車から降りた民喜の体をモワッとした熱気と潮の香りが包み込んだ。胸騒ぎのような感覚が高まってゆく。民喜は速足で橋の方へと向かった。
橋の上に立った民喜は、
「えっ」
思わず声を出した。
岩が消えている!
岬の先端の波間に浮かんでいるのは、ロウソク岩とは似ても似つかない、亀の頭のような形をした小さな岩塊だけだった。
スマホを手に取り、震える手でロウソク岩について検索をしてみる。するとあるブログに、ロウソク岩はあの地震の揺れによって根元の方から折れてしまったことが書かれていた。
改めて海の中に浮かぶ小さな岩塊に顔を向ける。そう言われると確かに、海面から顔を出している岩にはロウソク岩の土台部分の面影があった。
以前、「ロウソク岩が地震によって無くなった」ということを誰かから聞いたことがあったかもしれない。けれどもなぜかその知らせは民喜の記憶から捨象されてしまっていた。
砂浜の方に目を移す。いや、かつて砂浜だったその場所に――。砂浜だった部分はいまはすべて土砂で埋められてしまっており、そこを工事のトラックがせわしなく行き交っている。
「工事中 立ち入り禁止」
立て看板の文字をジッと見つめる。
海から強い風が吹いて来て、民喜の髪を揺らした。民喜は脱力したようにヨロヨロと欄干にもたれかかった。頭から血の気が引き、軽い眩暈のようなものを感じる。
バラバラに砕け散って流されてゆくロウソク岩のイメージがふと頭に浮かんだ。
ザザッ、ザーッ……。波がテトラポットに激しく押し寄せ、水しぶきを上げる。向こうの海岸線には遠く、第二原発の排気塔が顔を覗かせていた。


*参照:スティーヴン・ミズン『心の先史時代』(松浦俊輔・牧野美佐緒訳、青土社、1998年)

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