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クロード・モネを観た

モネの絵、といえば?
「睡蓮の薄紫」
「透明感がある」
「繊細」
「優しくてあいまいな色」
「光が射し込んでいるよう」
わたしはそんな印象だった。

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ずいぶん前になってしまったが、モネ展を観てきた@上野の森美術館。
平日にも関わらず、ものすごいひと、ひと。「日本人ってモネ好きだよなあ…」なんて思いながら、わたしもその大勢のひとりとして並んだのだった。

まだ秋の始まり(って、すごい前だな…)で、青空に映える緑がきれいだった

館内に入ると、このような展示が。

壁をスクリーンのようにして、睡蓮の絵が映し出されている。
その絵を床に反射させ、まるで水の上を歩いているかのような演出をしている。

この展覧会についてはnoteでもかなりレビュー記事を見かけたし、わたしはすごく感覚的に観た印象だ。モネ展の趣旨や展覧会の概要からは外れてしまいそうだけど、書きたい気持ちに沿って自由に書いてみようと思う。


◆モネの睡蓮が思い起こさせるもの

モネの作品といえば、まず思い浮かぶのは、きっと「睡蓮」。言わずと知れた代表作のひとつであり、「水生植物の睡蓮を題材に描いた一連の絵画の総称」らしい(Wikipediaより)。連作ということで、それぞれの作品のアングルや構成は少しずつ違うものの、池の水面に静かに浮かぶ睡蓮や、その空気の静寂さは共通して持っている特徴のように見える。

光の当たり具合、水面が映し出している辺りの風景、空の雲、そして睡蓮。物理の法則にまかせてただ浮いている睡蓮は、どこか身の置きどころがないみたいだ。それはわたしに「諸行無常」という言葉を思い出させる。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。」

モネの作品は、視点が「物」から「気象」へ次第に移っているそうだ。例えば、海を渡る船をモチーフとして描いた絵があるとすると、焦点は船から海、空、雲の形、そして陽光の具合、それを反射する波のきらめき、というふうに変化したらしい。
連作「睡蓮」も、池に架かる橋や垂れる藤の枝などは次第にモチーフとして存在しなくなり、池の水面のみが描かれるようになったのだという。その代わり、光の揺らぎや生き物のような水面の動きに焦点が絞られたのだろう。「水と反射光だけが頭の中を去来する」。手紙の中でそのような言葉を残したそうだ。
同じものは二度と目にすることのできないその情景、移ろうことの儚さを形にしようと静かに掬い、作品として残した。移ろうことはただの自然の摂理であり、悪くない。それは「諸行無常」のインド仏教的意味を思い起こさせる。「一切のつくられたものは時間の推移によって生滅変化し、常なることはない」。

◆モネの絵は荒く、不透明

冒頭にも書いたように、モネの絵は繊細で透明感があって、射し込む光が辺りをやわらかく照らしている…わたしはそのような印象を持っていた。
が、モネの絵は油彩である。
どうしてだか、モネの色使いはわたしには水彩画をイメージさせていたのだけれど、全て油彩。
油彩を近くから見ると、絵の具は厚ぼったくキャンバスの表面はでこぼことしている。水彩のような透明感はない。筆使いというのか、絵の具のありさまは日本海の時化の波のようにすら見える。

モネは晩年、白内障など視力低下を患ったそうだ。その視力障害の具合は作品にも顕著だ。解説にもあったが、絵はどんどん輪郭をうしなっていき、荒々しさを増していった。時系列に沿って見ていくと、まるで物と背景が一体化していくようだった。
「物」から「気象」へと視点が転換されていったのも、視力低下の影響があるかもしれない。
また、セーヌ川付近にアトリエを構えたころには、小さなボートに乗って制作したという。ボートの上という、常人にはただ不具合しか感じられなさそうな場所で絵を描いたモネ。足もとの不安定さや水面の上という重力の感覚、視界の静かな動きは、作品全体の印象を変えたのではないかと思う。じっと凝視していても、常にわずかな世界の動きを感じとってしまうような。

モネの絵は、油彩という絵の具の持つ特徴、そして彼の視力障害ゆえの筆使い、ボートの上で制作したことなどから、近くで見ると荒々しく透明度が低い。それでも、それなのに、あの透き通るような水面の印象はどうしてなのだろう、と思う。

◆モネが制作した場所

モネは、世界各地というわけではないが、生涯に渡り幾度も住まいを変えた。理由はさまざまなようで、その土地での風景をもとにした制作に集中するためであったり、経済的に困窮したためであったり、地域住民とうまくいかなかったりしたためであったようだ。
おそらく晩年であったと思うが、モネは田舎に引っ込み、元はりんご圧搾場であったという古い建物を住まいだったかアトリエだったかにしたらしい。
作品が世に知られ、サロンなどでは高名になり、華やかな世界を経験した後の引っ越しだったと思う。
経済的に潤っていたのはあまり長い期間ではなかったようだが、それでも何か意図を持って貧しい場所へ越したのかな、と推測してしまう。

◆◆◆

ミュージアムショップでは、ハンカチを一枚買った。

薄手の大判ハンカチ

モネ展は思うことが多すぎて、ずいぶんゆっくり感情を噛みしめていたけれど、観覧したときに感じたものはあまりあせていない気がする。

一月末までやっています。
緑が深まった秋口もよかったけれど、空気が澄んでつめたいこの季節も似合うかも。ぜひ。


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