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【宝物】目的のない旅で得た、たった一つのルーティーンと数えられない思い出たち

2018年12月。
当時猛烈にビートルズに憧れていた僕はいつも通り、8時に起きてかの有名な”White Album”をスピーカーから流して朝ご飯を食べていた。
なんてことのない、毎日食べている食パンが一つ音が流れているだけで特別なものに感じられた。
大学院2年目の終盤、一通りの研究を終えて修士論文の執筆も終盤に差し掛かっていた僕は、若輩者ながら効率化し、1週間を機械のように過ぎていく毎日にどこか憤りを覚えていた。不安視されてばかりいる未来に果たして自分は適応できるのか、そんなことさえ考えていた。
そんなとき、ジョンが呼び掛けてくれたんだ。

インド、来いよ。

行動力だけが取り柄の僕がそうなったらもう話は早かった。
携帯とクレジットカード、パスポートに着替えとMacBook(と、お尻のためのトイレットペーパー)をNorthFaceの75lバッグに詰め込んでバラナシ行きのチケットを購入した。もちろん片道切符だった。
バラナシを選んだ理由はandymoriという、大好きなバンドのフロントマンが好きと公言しており、どうしても行ってみたいと思っていたからだ。

2018.12.7。朝8時。僕は成田空港に立っていた。
考えてみれば人生初の一人旅も同じ場所から出発した。いつも通りとはいかないが、コンビニのマーガリンが塗りたくられたサンドウィッチを食べていざ搭乗する。この時は年末までにはかえってこよう、そう思っていた。

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バラナシへデリーを経由して約18時間かかった。(これでもトランジットは短かったほうだ。)バラナシ空港からゲストハウスなどがある街までは流行りのトゥクトゥクで移動。もちろん見た目からして日本人の僕は、到着と同時に言い値の倍の値段を請求される。が、曲がりにもサッカー一筋で育った僕の見た目は運転手の彼よりもよっぽど鍛えられていた。元値で、と一蹴し予約していたゲストハウスに向かった。

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バラナシは、思ったよりも旅行客は多かった。
ビートルズのファンの僕がそうであるように、彼らに憧れて現地へ赴く人は少なくなかった。僕以外にも日本人も多く見かけた。僕のように辿り着きたてのような格好の人もいれば、白い作務衣のようなワンピースをまとった人もいた。

長い事、想像して憧れていただけの風景が目の前に広がっていた。

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憧れのインディアの聖なる河のほとりで、Macbookを開いた。
風景に見合っていないと自責しながら、教授に恐る恐る連絡した。予想に反して彼は僕の行動を快諾してくれた。もともとアメリカ人のように手足の長い彼は研究室紹介の時、ビートルズファンを公言していた。僕がこの研究室に決めた理由の一つがそれだった。今のご時世で当たり前になったリモート環境での作業を推奨してくれた。
この時、僕はこの地で年を越すことを決めた。

ヒンドゥーの火葬場。
砂まみれのステンドガラスに埋もれた寺院。
牛の糞処。
韓国料理を謳った台湾料理屋。
ガラケーしか売っていないスマホショップ。
多くの場所に足を運んでいたら早くも4日が過ぎていた。

そんな中、年末にガンジス川のほとりで音楽ふぇすをやることを小耳にはさんだ。ドラムをかじっていたことをホストに伝えていたら、帰宅した際ホストが教えてくれた。「今夜近くのカフェでその打ち合わせがあるから顔出してごらん」そういわれ、チヂミがでる台湾料理屋に足を運んだ。この時は生涯憧れであるあの人に会えるなんて思ってもいなかった。

入口には3匹の野生犬とボロボロのサンダルが寝転がっていた。
現地で購入したビーチサンダルを脱ぎ捨てて中に入るとギターやボンゴを持った日本人がいた。楽しそうに談笑している彼らは初めての僕のことも明るく出迎えてくれた。旅に着たまま現地で結婚した人や、もうかれこれ4年は毎年年越しに来ている人。自由という言葉が似合う人たちであふれていた。その中で、僕が毎日のように聞いていた声が聞こえた。
ふと振り向いてみると元andymoriの小山田さんがギターを鳴らしていた。


まさかと思った。
インド好きを公言していた彼はよくインドへ足を運んでいることを知っていた。
ただ、まさかその地で、こんな形で会えるとは思わなかった。
憧れと歓びと緊張と多くの感情に襲われていた僕に彼はそっと手を差し伸べて名前を聞いてくれた。
日本にいるときに感じたことのない感情で溢れた。
この地に訪れている人たちの温かい、優しい、溶けてしまいそうな至福の瞬間を過ごした。訳も分からずカフェにあるジャンベを手に取って歌に乗って。楽しかったな。

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音楽フェスは意味が分からない程あっという間に過ぎていった。
すべてのタイムテーブルが終わった後、屋上で精いっぱいにゲインを上げたDJで乾杯して、年越しのタイミングにみんなで花火を打ち上げた。
ガンジス、バラナシでのひと時は時が止まっているようだった。
SNSのタイムラインを見て一喜一憂していた一人暮らしの部屋から、生きとし生ける、その一瞬を体現しているような場所に来ることができた。この自分の変化をどうみんなに伝えようか、と思った。
でも、たぶんこの感情は言葉にできない。そうなったら僕自身が変わるしかないなと思った。今まで言いたかったけど恥ずかしくて言えなかったその一言をシッカリと口に出して、伝えよう。自分が変わることでこの旅を伝えようと思った。

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年を越して、バラナシを去った。
想像していたよりもはるかに多くのものを感じた。
次の目的地は決まっていた。待ってろよ、ジョージ。

リシケシへは寝台電車で約13時間。
出発の地と切符だけを手に入れて出発駅に着いた。出発時刻は9:30。
ふと時計を見たら11:20。遅刻して乗れなかったって?
今はもう、電車の中さ。そう、2時間たっても出発しないのはこの地では日常茶飯事だった。時計の針が北北東を過ぎたあたりで、ゆっくりと動き始めた。

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バラナシは、色で例えたら茶。
一方でリシケシは、エメラルド。
ガンジスも、上流ではさえた緑の水が下っていた。

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この地にいる人たちはうってかわって、上品だった。
というのもリシケシは、いわば瞑想の聖地。ポールたちがWhite Albumの楽曲を作成し、世界中の人々から変化に驚かれたようにこの地は無の先に出会える場所として有名な地だ。
バラナシでは考えられなかったふかふかのベッドのあるゲストハウスを借りて、僕はさっそく散策に出た。この旅の最大の目的地”ビートルズアシュラム”へは最後に行くことにしていた。

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宿泊2日目。今なお毎日のルーティーンにしているイベントに出会った。
ブロンドヘアの隣人に勧められてルーフトップに一緒に向かった。
朝7:30。ゲストハウスの住人たちがそろって、太陽に向かい目を閉じ、瞑想を行っていた。何の説明もせず、彼女もその中に加わった。
独り佇んでいた僕は見様見真似で不格好な胡坐のような体制を作り目を閉じた。

……

かれこれ3分、いや5分は立っただろうか。周りが気になりちらちらと目を開けて見渡そうとすると、メディテーションオーナーのリズがポスっと僕の頭をたたいた。びっくりして見渡すと、僕以外みんなピクリともせず、同じ姿勢のまま硬直していた。
結局その日は約30分の瞑想の後、朝食を共にした。
彼女が言うにはこれでも短いらしい。僕は5分もじっとしていられなかったことに恥ずかしさを覚えた。ふと思えば、日本にいるときに10分以上何もしない時間ってほとんどなかったことに気づいた。空いた時間はずっとスマホを見たり、本を読んだり、練習をしたり。仕事に追われたり。
”なにもしない”時間(彼女たちはそれをホワイトスペースって呼んでいた)
は精神力を鍛えるのにはとてもいいと思った。
今日から毎日、彼女たちと一緒にオーナーが終わりというまで、瞑想に励むことにした。

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30分、終わりの声を待たずに、成し遂げられたのは11日目のことだった。とても気持ちのいい朝だったのを覚えている。近くのオーガニックショップでいつも通り朝飯を食べた。

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朝の瞑想がすっかりルーティーンになっていた。

この日に、ビートルズアシュラムに向かって、日本に帰ろう、そう思った。
アシュラムまでは歩いて2時間弱。すっかり慣れたこの地も、懐かしみながら歩いた。

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二時間の道のりを経て、アシュラム到着。
50年前、この地に彼らがいたことを思うとどんどんと感慨深くなってきた。
たぶん、好きでもない人が見るこの地はただの廃墟のようなものだけど、僕にはとてつもないパワーを感じた。

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帰り道は、正直あんまり覚えていない。
というか、この旅を振り返りながら歩いていたらたくさんのものがありすぎてパンクしていた。

デリーに再度、遅れまくるバスでむかい最後のインドの日を過ごした。節約に節約を重ねて使っていたトイレットペーパーもこの日は贅沢使い。

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デリーから成田空港はなんと8時間で着いた。(国内移動より早いなんて、笑っちゃうよね)
帰ってきて日本製のトイレに深く安堵を覚えるもどこか寂しさも共存していた。時間通りに来る電車に驚きながら、3か月弱続いた旅は終わりを遂げた。

自分なら何でもできる──。
そんな気がしていた。

あとがき

ここまで読んでいただいた皆さん、まずは本当にありがとうございます。
携帯のフォルダをさかのぼっていたらインド旅の写真が出てきて忘れてはいけないたくさんの思い出を一気に思い出して、手放さないようにとこの記事に書きなぐった次第です。
今思ってもたくさんのドラマみたいな出会い・出来事があって心から行ってよかったと思っています。この状況下で旅行の2文字が封印されている今、また実現できるようになった際にはいろいろな地に足を運びたいと深く思います。


瞑想は今も毎朝毎晩続けているルーティーンとなっています。学術的にも精神力の向上、モチベーションの向上につながる結果が多くの論文でも考慮されており人生の冒険には必須トレーニングだなとおもっています。
この忙しい社会で「何もしなくていい時間があるんだ」と、心にゆとりをもたらしてくれた事も大きな気づきでした。
自分のペースで進むことも大事ですね。

すっかり3年たったいま、あの思い出を自分に昇華していくには、やはり自分自身が変わり続けていくことだと思います。何か一つあきらめないように続けたり、小さい感謝を伝えたり。少しの一善が周りに多くのものをもたらす、そんなん人間になりたいと強く思った次第です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
ぜひいろいろな感想があったらコメントで教えてください。
ではまた。

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