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ちゃぷちゃぷを楽しむ

本日、関東圏では雨が降っています。
梅雨なので、雨が降る事も多いこの時期ですが、
「ちゃぷちゃぷを楽しむ」大切さについて書こうと思います。

この言葉、どういう事かと言うと、
・足元を見ると意外と楽しめる要素がある。
・童心に戻ると一見マイナスな事もプラスに捉えられる。
・何事もどんな状況も楽んだ方が面白い。
という事だったりするのですが、あれ?結論から書いてしまいました。

・・・

と言うことで、唐突ですが私の娘の話をします。笑

私が最近、娘を見ながら考えていることは、
「常識」や「ルール」って何?という事です。

今、私の娘は1歳半なんですが、少しずつコミュニケーションが取れてきて、
自分の「意志」みたいなのが生まれてきています。アンパンマンのパンを
見つけると、「それは私のものだ!」と言わんばかりに取りにきて、
食事のタイミングでなければこちらも制御するのですが、ギャン泣きします。

こちらとしては食事のタイミングやあげるものなどを考えて
娘に渡しているのですが、そんなのお構いなしに感情剥き出しで
接している姿勢を見ていると、自らを律するという名目で、
どれだけの感情を押し殺して、自分を無視して生きているのかと思います。

社会で生きている中、公共の利益(福祉)などを捉えた上での行動や、
社会の規範、会社のルール、個人間の常識というローカルルールの中で、
生きていると思いますが、もうちょっと我を出さないと本来手に入れるべき
ものも手に入らない現状を自分で作ってしまっているのではないか、
もっとギャン泣きとは言わないものの、涙が出るほど手に入れたい感情を
大事にするべきではないのかと、そんな事を考えざるを得ないです。

もしかすると、言う通りに動かない娘さん・息子さんに対して、
イラついてしまう方もいて、それはそれで「正」だ感じている部分もあります。

ただ、知らず知らずの内に、「常識」や「ルール」で雁字搦めにして、
「行動できない、思考できない」方向に導いてないのかなと、
自分の子育て経験を通じて、今現在、親としての在り方自体を
問われているような気がしています。

放任主義が正しいのかは分からないですし、一般的に常識が不足している事で、
自分の娘が苦労する側面がこれから生まれてくるのかもしれませんが、
この「常識」は何の為にある?この「ルール」は誰の意図でつくられた?
といった(若干面倒な性格かも知れませんが)、自分でなぜなぜして、
理由や思考を深堀りする自走型の人間に娘には育ってほしいと考えています。

・・・

話を元に戻します。
そもそも雨だから気分が落ちると言うのは、私は正直よく分からないです。
(物理的に病的な意味で気圧の変化で体調不良は起こるのですが。笑)

そして、子どもは雨の時は雨の時だからこその自分なりの楽しみ方を
自分で探してきます。それは水たまりでちゃぷちゃぷも一例です。

私は、例えば「雨だからこうしよう」と言う、大人の都合の良い
ルールを子どもにもし適用しているのが最近は非常に怖いです。
また、「大多数がこうしている」からこういうものだという、
マスの意見に簡単に流されるようにもなって欲しくなくて、
「自分はこう考えるからこの行動を取る」と言う自分なりの思考を持って、
楽しめる人生を自分で創れるような娘になって欲しいと心から希望しています。

・・・

「ちゃぷちゃぷを楽しむ」たったそれだけで、
目の前のちょっと憂鬱になるかもしれない状況自体を好転されらるかもしれない
なら、もうちゃぷちゃぷするしかないのではないのでしょうか。

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