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心の声を聞いてみよう

日々、生活を送っていると、
だんだん「自分って何がしたかったんだろう?」と思う時はありませんか。

私は「理想の自分と現実とのギャップ」に悩む事が本当によくあります。

それは、仕事面、生活面、家族、ビジネスとして、プライベート全般、
人生としてどう生きるかに至るまで、幅が広いのですが、
私の一番の課題は「自分の心の声に向き合いきれていない」という事です。

その原因を考えてみたいと思います。

まず、この情報社会において、ノイズが本当に多いです。
Youtubeを見ると、自称楽しそうにしている人たちが動画を上げており、
Instagramを見ると、人生一部だけを切り取ると映える人が写真を上げている、
Facebookを見ると、マウントを取って、自己満足に浸っている人がいる、

もしかすると、穿った見方をしすぎかも知れませんが、
はっきり言って、虚構にまみれた世界なのかなと本気で思っています。

私は、二つの事が同時に成り立つという事は難しいと考えていて、
キラキラしている人ほど、闇を抱えているのではないかと考えています。
どう言う事かというと、あるものを選択する時、
やはりメリットとデメリットは同時に存在していて、
片方に目を瞑るないし、捨てる覚悟がもう片方のメリットを享受できる
条件であると考えているためです。
その為、何かを手に入れようとすると、何かを捨てるという覚悟が必要です。

その為、前述のキラキラした人生を歩んでいる人も、
ギリギリの生活の中で、楽しそうな動画を作らざるを得ないのかもしれないし、
1枚の映える写真を撮るために、たくさんお金を使って、
何百枚の写真を取って、頑張って写真加工などをしているのかもしれないし、
人生のマウントを取っている人も、普段家庭で構ってもらえないので、
誰かに褒められたくて、数としてのいいねが欲しくて、
文章を上げているのかもしれません。あくまで憶測ですが。笑

そして、一番考えるべきは、「他人の情報に流されていないか」という事です。
「〜さんはこんなキラキラした人生を送っている、私なんて、、、」
みたいな思考に陥っている人は、本当にもったいなくて、
自分の人生のありのままを捉えようよ、他人の人生と比較なんてしたら
ダメだよと本気で思っています。

また、自分の元に届く人がどれだけ努力をして届けようとしているのかも、
加味する必要があります。何のつながりもない人が情報を届けようとする場合、
相当な努力とエネルギーを必要とします。
その努力を見ずに結果だけをもし見るようになったら、それは勿体ないなと。

加えて、自分の思考が他人に奪われている場合があります。
それは、他人の発言を引用している人に表れがちなのですが、
本当に、五感から得られる人間の情報量って異常なほどあって、

仮に読書で感銘を受けたフレーズや思考があったとして、
思考がその情報に埋まっているとすれば、それは
あなたの思考ではなく、他人の思考を借りていると私は捉えています。

それ自体は特段悪い事ではなく、人間ってバイアスの塊であり、
他人の思考のブレンドと蓄積の結果、存在すると考えていて、
本質的な意味での0→1は本当に難しいのかなと考えています。

ただ、他人から借りた思考、他人から仕入れた情報だけで物事を考えていると、
それこそ自分を見失う事が往々にしてあります。

そういう時は、自分自身が考えている他の情報をシャットアウトした思考と、
他人から得た情報を切り離す事で、「自分の心の声」って聞こえるように
なるのかなと考えています。

「自分って何がしたかったんだろう?」と本気で悩んでいる人こそ、
自分と向き合って、SNS断ちする所からがスタートなのかと考えています。

また、理想と現実のギャップに悩む事は、あって然るべきですし、
もし無いとするならば、今の延長線上でしか生きていないとも言えます。

また、私のように「どこに進みたいか、何をすべきかが分かっている」のに、
前に進めていないのは、心理的な障壁なのか、課題が多いなぁと捉えていて、
「自分の心に向き合いきれていない」と言うのは、言い方を変えると、
自分に嘘をついて生きていることになるので、正直危機感を感じています。

それは、家庭であったり、家族の状況を総合的に捉えて、
今の選択をしているのですが、その選択の方向性が間違っているのかな
とも考えていて、家族を犠牲にしようとは思わないですが、
もっと深く考える必要と、新たな手を自分なりに構築しないとと感じています。

結論、もっと人って自分に正直に生きて良いと思いますし、
情報過多な世の中ですが、思考ぐらいは自分のものであって欲しいなと思います。

「あなたは、今、本当は何がしたいですか?」

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