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真っ直ぐな線を真っ直ぐ進むことが全てではない
「まっすぐ進んでいくことが、全てではないから。」
7年ぶりに会ったホストマザーはそういった。
13歳、短期留学当時は、とても厳しく無表情で、正しさから外れないようなお堅い人って感じだったホストマザーの一言に、不意にも心が緩んだ瞬間だった。
久しぶりに、ここ数年時々連絡を取っていた彼女のところに訪れることに。
ホストファミリーのお父さんもお母さんも、中学校の教員で厳しくて毎週末、寮から帰るたび気を使っていた覚えがある。
子育てがすこし落ち着いたのと、私が成長したのもあるからか、すごく表情もおだやかで、終始なごやかに、今までの話や子供たちの話、ハンドメイドの石鹸の話や、コーヒーやお茶の話で、懐かしいおうちのダイニングで会話が弾んだ。
きっと、こういう真面目で堅い人たちは、
私の話を聞いたら甘えてるなとか思われるかと思いながらも、今までのことを色々と説明すると、
「よくがんばったね、まっすぐな道がゴールに近づくための道とは限らないから、それでいいのよ、あなたのペースでがんばって。」
なんて予想外の一言に少しばかり驚いた。
人はいつだって、まっすぐできれいな線を描こうとする。
良くも悪くも常識的で現実できれいとされている線。
こうなるには______こう。
安定した収入には、
親に認めてもらうには、
自分が自分を認められるには、
今までせっかくこれをしてきたんだから、こういう線じゃなきゃ。
そうひいた線の上を、重い気持ちや違和感を無視し、まっすぐと。
決してまっすぐな線というのを否定したいわけでなくて、
彼女の一言から拾いたかったのは
自分が歩む線は決してまっすぐである必要はないということ。まっすぐに向かうだけが正解でないということ。
あなたが苦しいのであれば、
それを手放してもいいということ。
そして自分なりの線をしっかり認めてあげること。
自由で素敵な線を
自分で描くことを心から楽しんで生きていく。
そんな自分なりの線を歩くことに
最初は戸惑い
踏み込んだことのない世界に緊張し、
心躍ると同時に不安になり、
目頭が熱くなる夜もあるだろう。
けど、どの線だって歩き続けるには、
幸せになるには、努力は変わらず必要なのだから、自分が納得した線の上で、もがき、間違い、成長する方を選びたい。
というかむしろそのための人生なのかななんて思ったり。
なんだかすごく熱弁して、
話の終着点が見えなくなってきているけど、笑
寄り道だってたくさんしたっていい。
くねくねでも、ぐるぐるでも、
疲れて休憩して止まっても、
それはあなただけの形となる
手書きの星も、あっちこっち行って、
あんなにチャーミングな形になっている!
いつだって新しいオプションや試してみたいこと、覗いてみたい世界をみつけたら、新しい紙を出して、書いて、選んでいく権利は自分自身にあることを忘れないことは大切、
私やあなたにとっての
点が、線が、形が、
とらわれることなく
幸せで繋がり溢れていたら、
それで以上のことはないな〜なんて。
そんなことを、
ホストマザーの一言で考えられた日。
朝から、
友達と創り出したいアイディア交換をして、
夕飯にはおいしいベトナム料理を食べて、
帰り道の夜市で二人で初めて挑戦した
アボカドミルクシェイクが予想以上においしくて、大雨で靴下は濡れたけど、心は晴れ、
大満足な土曜日。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
それでは、台湾から祝你有美好的一天。
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