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短編小説 『金色の稲穂と彼女のふくらはぎ』



私は全力で走っている。視界の隅を黄金色の稲穂がざあざあと音を鳴らしながら揺れている。稲穂をなぎ倒していく風が鮮やかな陰影を作り、左から右へと流れていく。その陰影は、ちっちゃな私を飲み込んで大きな波となり、向こうの山まで続いていく。両膝に交互に体重がかかる。私のふくらはぎはそれを受け止めては跳ね返す。膝がスカートのプリーツを弾く。私はそうして田んぼの一本道をただただ走っている。後ろから自転車が追いかけてくる。私は全力で、それはもう全力で走り続ける。手を前後に思い切り振り抜きながら、前髪が額に張り付くのを感じながら。セーラー服のセーラー部分がばたばたと揺れる。後ろからは何やら声がしている気がするが、私には聞こえない。いや、どうしても聞きたくない。視界が縦に揺れ、稲穂は横に揺れ、世界が黄金色に揺れる。山の向こうでは同じく黄金色をした夕陽が、その光を惜しみなく山々に注いでいる。金色の世界を私は走り、あいつはそんな私を追っている。後ろから聞こえていたはずの声がいつのまにか、横から聞こえている。ようやく私に追いついたんだ。それでも、私は聞かない。聞きたくない。そいつは諦めたかのように自転車のペダルを踏み抜くと、私の真横を思い切り抜き去っていく。少し先まで進むと自転車を止め、あいつは私の眼前に立ち塞がった。きたな。両手を広げ、私の行手を完全に阻んでいる。私はそんなの知らない。知ったこっちゃない。さらにスピードをつけて、全力で、やつの胸を粉々にするつもりで、飛び込んでいった。


***


「はぁ…はぁ…はぁ…」

2人はぶつかり絡まり転がった挙句、田んぼの横のあぜ道に大の字に寝転がって息を切らしている。

「はぁ…はぁ…なんでおめえ、逃げてんだ」

「はぁ…はぁ…逃げてない」

「はぁ...逃げてたじゃねえか」

「......だから逃げてないって」

「...じゃあなんなんだよあの全力疾走は」

「…はぁ…...ずっとあんたの声、聞いていたかったのよ。そんで……とにかく…とにかく走っていたかったの」

「どういうことだよ、わけわかんねぇ」

「…わかんなくていいよ」

話しながら2人の胸は、大きく上下に動いている。

「明日もまた走ろう!ね!私もあんたのこと、好きだから!」


「……え!?お前ちょっと今なんて、おい!待て!待てって!」

自転車を起こす彼を待たずに、彼女はまたも一本道を走り出していった。
彼は自転車を起こすと、走る彼女の背中を追って懸命に自転車を漕ぎ始めた。

後に残された稲穂と風はざあざあびゅうびゅうと鳴り、二人の声をかき消した。
その田んぼのあぜ道は確かに、ただただ走るのみの二人きりの世界になったかのように見えたのだった。

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