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なぜ人は依存するのか

・依存とは「他に頼って在ること、生きること」らしい。これが重症化すると「依存症(※)」になるらしいが。
ちなみにガチの依存性はネットのあやふやな情報じゃなく、ちゃんと病院で治療してもらいましょう)

※依存症とは「特定の何かに心を奪われ、「やめたくても、やめられない」状態になること」。

何かに依存することはおかしなことではない。度合いの問題と、単純に人としてキモくないかどうか。健康的な人間であれば大体いろんな方面で依存しているので不思議ではないかと。


■依存する原因

本人のメンタル、また本人を取り巻く環境的な部分が大きいのかもしれない。自信が無いとか、見てくれるはずの親が自分を見てくれないとか。逆に過干渉・過保護すぎて意見を聞いてもらえないとか。もらえると思っていたはずの愛情が適切な形で与えられないと認識が歪んだりするらしい。

・子供というのは大人に比べて力や権力的な面で劣るので、必然的に大人(特に最も物理的な距離が近いであろう親)を頼ることになる。その親が色々とおかしかったりすると子供が精神的に不安定になるのも無理はないという話。

・ここ近年言われている「毒親」という言葉も上記の問題が可視化されて言われるようになった言葉だろうか。
「毒親」の定義として子供に害がある時点でアウトらしいが、実際傍から見たら明らかにヤバいのに子供本人はヤバいと認識してない例もある。あるいは子供本人がヤバいと思って「自分の親は毒親だ」なんて言っていても、周りから見たら「いやそうでもないと思うけど」なんてこともあったり。

・正常の範囲内で愛情を求めることは至って普通なことである。ただ、依存ともなってくると、自分が苦しい状態なのに不適切な相手(無視する親、すぐにキレる交際相手など)をわざわざ選んで愛情を享受しようとするなんてことが起こったりする。

・身体的、あるいは精神的な暴力を加えられるかもしれないのに「自分にはこの人しかいない」とか「この人には自分がいなきゃ(確証はないけど)」とか思う時点で大体その人への依存は入っている。
そもそも現実的に不利益(金をとられるとか嫌な気持ちになるとか)を被っているのに、それ以上に不安になるから更に不幸になる選択をしている時点でかなりヤバい

・例として依存する先の相手から脅迫されているとか、何か要らぬことをすると怖い目に遭うからというのも一部にはある。
ただ、依存する側も往々にして人から過剰に必要とされたい願望とか、とにかく認められたい(行き過ぎた承認欲求)という歪みが多くあるというのも少なくない。というか後者の方が人間関係においては深刻だったりする。

■親子の共依存

・共依存とは「依存症者に必要とされることに存在価値を見いだし、ともに依存を維持している周囲の人間の在り様」のこと。

簡単に言うならば「依存されている相手に自分も依存しちゃっている状態」のこと。多分。
ちなみに明らかにヤバい奴だったりクズと呼ばれる人を更生させるわけでもなく、ただ援助したり支援する場合も共犯という扱いになるらしい。まあ何とか良い方に持っていくわけでもなく悪い現状を維持させているんだから妥当ではあるが。

・まあ筆者も何だかんだ共依存家庭に生まれたので無理解なわけではない。ただ、共依存家庭において安易にその依存に乗っかっても良いことは無いだろう。親の命は永遠ではないし、親は所詮血がつながっているだけの他人だからだ。
自分の人生は自分で責任を取るしかない故に、一緒に地獄を選ぶ理由もないので自立できるなら早いうちにした方がいい。

・あくまで筆者視点の話にはなるが、この親子共依存というのは意外と多い。前提として親の認知が歪んでいて子離れできてないケースが一番多いが、ついでに子供が親離れできなくてそのまま大人になっているなんてこともある。

・実際に友人の例で「自立できていない・親から支援してもらっているのに何も改善の努力をしないでいるパターン」はある。
この場合の親は非常に厳格で子供を従わせる、コントロールしたがるタイプであるが、その子の場合「親の言いなりになること」のハードルが高すぎるために早期の段階で諦めるという癖がついている。

成功しても失敗しても親から承認はされないが、それとは別に親から無条件に認められたいという願望を持っているので立派な依存であると言える。また親側もその子に対しての強い執着・こうあるべきという価値観を押し付けているので、(精神的な焦りもあるだろうが)自分の子供に対しての強い依存があるだろうと思う。

・またこれも別の友人の例になるが、親はそれなりにまともであっても子供が親を好きすぎて頼りすぎる親も子供を甘やかしてしまうので子供が自立できないなんてこともある。この場合は子供側がいつまでも子供でいたくて仕方がない(甘えていたい)場合だろうか。

あくまで子供側は「親に対する依存」が目的であるから、親に拒絶されると精神的にかなり不安定になる。親も子供がそうなってしまうと不安になるのでなかなか言い出せない負のループ。

親側が子供を「子供」として扱いすぎるのも問題であるが、子供側も親を「親」として扱おうとしすぎるのも問題であるだろう
あくまで自分の自立に視点を向けるのではなく、親子の関係性を維持するために互いの言いなり・我儘を通そうとなっている時点で共依存である。

・まあ自分より何年も生きているであろう親に、今更価値観を変えろと要求するのはまず無理だと考えた方がいい。潔く子供側が親との共依存関係を断ち切るために手っ取り早く自立する方に動くのが無難だろう。

共依存家庭に生まれた身としては親子共依存は物理的に・経済的に離れるか、子供側が本気で・強制的に親の手を振り払ってでも自立しなければ解決しない

■人間関係に依存しすぎる人

・そもそも家庭環境が依存的な関係で構築されていると、その人自身も依存体質になりやすい気がしている。

依存体質は見ればわかる必要以上に人の顔色を窺ったり、相手に聞いてもないのに憶測で人の気持ちを決めつけたりする
また一人に必要以上にこだわったり、行き過ぎた好意を押し付けることを本気で良いことだと思っている。今風に言うなら「ダイスキハラスメント」的な。

とにかく価値観や愛情表現の仕方が他とズレているので、多くは「クッソ重いやつ」だと思われる。特に人の顔色を気にする癖がついているタイプ自意識過剰(他人から自分がどう思われているか気にしすぎる)であったりするので変に好かれようとしたり、実際に変な挙動をしてキモく思われたりする。

・あとは異常に距離感が近い相手が警戒している段階でフレンドリーすぎるくらいの勢いで接しようとする相手と自分の境界線が曖昧になっているか、見えていない
当然だが人には(多少の誤差はあるが)自分の領域を守るための境界線があるため、大体の人はそれを勝手に超えられると胸糞になったりはする。

・前提として人と親しくなるのに、彼らは「互いに必要としあう関係」「互いに好意を持つこと」が一番であるため、多くは気持ち悪がられて終わる。ほとんどの人は他人との関係にそこまでのことを求めていないし、そういう関係を勝手に求められるのが鬱陶しいと感じるからだ。

・共依存家庭に生まれた人はそもそもの人間関係に「共依存であること」「強く結ばれた関係」を(無意識でも)求めがちなため、理想と現実のギャップに苦しむことが多い。

それでも失敗を繰り返して自分の間違いに気づく(他人から健康的な人間関係について学ぶ)ケースはある(筆者の事だが)。
だがまあほとんどは気づかないケースが多いかな……という印象はある。少なくとも気づいたパターンは見たことが無い…。

・ちなみに依存体質な人の共通点として「愛想が良い(良すぎる)」「人の顔色を窺いすぎる」「自意識過剰」「精神的な距離感が適切でない(近すぎる、あるいは遠すぎる)」「定期的な信頼・愛情の確認行為」の他に、「スキンシップが過剰」だと思われるんだが、実際どうなんだろうか。
個人的な感想なので具体的なソースはないんだが。

■健康的な依存と不健康な依存

・自分以外の何かに頼りがち(依存しがち)な人は選択を間違えやすい傾向が強い。特に自分というものをあまりよくわかっていない相手に質問しない自分の中で一旦整理してみるといった過程を作らないからだろうか。

・また人間関係において相手との関係の維持(共依存)が目的になっていると、自分の中で「こうするのが最善だろう」という決めつけをして結果的に失敗するように思える。

・とにかく自分の中で「こうなっているはずだ」「こうすべきだ」と思ったら止まらないので、良いことを悪く捉えたり、悪いことを良いと捉えたりする。そもそも認知の歪み(※)があるから人に聞かないまま突っ走るので人とかみ合うわけがない。

・大体、目の前で起こったことに対して認知がずれていたりすると、その後に続く判断やら行動がすべて不適切になり得るので認知のズレから直していくのが適切だと思われる。

・理想的なことを言えば居場所や人間関係は多い方が良い。居場所や人間関係が少なければ少ないほど、一人や一つの場所にこだわったり、無くなった時のリスクが大きかったりする。

先述したように依存すること自体は悪ではない。ただ、より良い関係を維持するためには重いと思われないための努力も大切だ。余裕を持つために余裕を作る努力をするのも得策ではある。

・一つのケースとして、自分の不安を取り除くためにギャンブルに手を付けたり煙草に手を付けて落ち着こうとするなんてこともある。まあどちらも一人でできることなので手を出しやすいのは言わずもがな。

これらは依存の代表格とも言えるものだが、病院で治療してもらうのはもちろんのこと、本人の行動を改善してもらう、環境を変える努力をしない限りどうしようもない。

認知行動療法↓

一応、依存には異なる依存(ギャンブルからゲームに乗り移るなど)が良いと言われているが、実際どうするのが最善なのかは当事者ではないので分からない。

・まあ依存体質な人は大体自己分析が足りていないか、自分と向き合うことをしなかった人が多い気もしている。悪く言えば自分に対して嘘つきであるし、そもそも自分に嘘をついているという自覚すらなかったりする

・自分に関心が無いとは違うが、自分がどういう考え方をしていて、どう感じているのかを自分と向き合うことで知ろうとしなかったせいで最善の選択ができていない気がする。
自分を知る(自分と向き合う)ということは自分の本音と触れ合う機会にもなるので、他人から離れて自立するきっかけにもなったりするのだが。。(それでも直った人はほとんど見たことないんだがな)

どのみちその人の努力次第なので、直さない限り人間関係的な部分では「とりあえず距離を置こう」のボックスに入れられても仕方が無いと思う。他人はそこまで待ってくれないしね。
良好な人間関係のために自分のレベルを上げる努力をすべきというのはあながち間違ってないと思うよ。


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