なをこ

2019年に余命1ヶ月からのV字回復をした、元・看護師です。 いまも治療中ですが、末期…

なをこ

2019年に余命1ヶ月からのV字回復をした、元・看護師です。 いまも治療中ですが、末期からの劇的回復に至るまでの気づきとか、副作用との付き合い方とか、ぼちぼち書いて行けたら良いなと思ってます。

記事一覧

余命一か月だった私へ~迷走編⑥~

話は2016年ごろに戻ります。 そもそも、なぜ乳がんと診断されたのに、手術を拒否したか。 ある人から言われました。 「体の中にがんがあるのに怖くないの!?私ならすぐ…

なをこ
2年前
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余命1ヶ月だった私へ~治療編⑤~

抗がん剤点滴の日がやって来ました。 いままでほかの患者さんを見てきたけど、苦しむ印象しかないので、私も苦しむのかと怖くてガクブル状態でした。 いろんなスタッフの…

なをこ
2年前

余命1ヶ月だった私へ~治療編④~

出てきた胸水は、実に見事な赤色でした。 まぎれもないガンが転移した胸水です。 患者さんの胸水で見たことなかったものが、自分の肺から出てくると衝撃です。 そして困っ…

なをこ
2年前

余命1ヶ月だった私へ~治療編③~

抗がん剤治療が始まりました。 それ以前から、例の商品も摂り始めていました。 ドクターからは、サプリとか何とか、病院が出す物以外は取らないで、と言われましたので、…

なをこ
2年前
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余命1ヶ月だった私へ~治療編②~

それと同時に、なんと病院での治療が決まりました。ホスピスで死を迎えるのはなく、治療なのです。 もともと、母も乳がんで、手術と抗がん剤治療を受けていました。その担…

なをこ
2年前
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余命1ヶ月だった私へ~治療編①~

無事に帰ってこれました。 ですが、身体はもう限界です。 いま息をしているのも不思議なくらい。 なので、会える人には直接お別れを伝えようと、何人かの友人知人に会いま…

なをこ
2年前

余命1ヶ月だった私へ~迷走編⑤~

父は、なんと翌日にすぐに来てくれました。 大量のダンボールとともに。 部屋を撤収し、私を実家に連れて帰るために。 私の顔を見た瞬間から、こいつはきっともうすぐ死ぬ…

なをこ
3年前
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余命1ヶ月だった私へ~迷走編④~

結果として、父からは、直接の答えはありませんでした。 ただ、こう返ってきました。 「そんなふうに思っていたとは知らなかった。育て方に差をつけたつもりはなかった。…

なをこ
3年前
6

余命1ヶ月だった私へ~迷走編③~

何をしてもそれらしい結果は得られませんでした。 ただ、時間とお金を浪費する日々。 どうしよう、どうしよう・・・ 藁にもすがる思いで、最後になる波動療法を受けまし…

なをこ
3年前
9

余命1ヶ月だった私へ~迷走編②~

胸を切るのはいやだ、絶対にいやだ! という頑なな思いが、沸き起こってきました。 要は、ガンそのものが消えれば良いのだ。 そうなる治療方を探せば良いのだ。 これは、…

なをこ
3年前
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余命1ヶ月だった私へ~迷走編①

「・・・え?」 「左の乳がんです。いまならstage2なので、手術で胸を取れば治りますよ」 固まった私に、ドクターはこう言いました。 普通、告知するとき、物々しい雰…

なをこ
3年前
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2度目の病気で気づいたこと。

私が体験談をお話させていただくとき、いまだと二部構成になります。一部は乳がんで余命1ヶ月だったとき、二部は転移性脳腫瘍が判明したとき。なんと人生で二度も、髪を失…

なをこ
3年前
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余命一か月だった私へ~迷走編⑥~

余命一か月だった私へ~迷走編⑥~

話は2016年ごろに戻ります。

そもそも、なぜ乳がんと診断されたのに、手術を拒否したか。

ある人から言われました。

「体の中にがんがあるのに怖くないの!?私ならすぐに取り除く」

多くの人がそう思うから、患者さんは絶えないのだろうと思います。

でも私は、手術が解決策ではないと感じていました。なぜなら、たとえ手術で取り除いたとしても、がんを作る原因となった身体や心は、そのままだったからです。

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余命1ヶ月だった私へ~治療編⑤~

余命1ヶ月だった私へ~治療編⑤~

抗がん剤点滴の日がやって来ました。
いままでほかの患者さんを見てきたけど、苦しむ印象しかないので、私も苦しむのかと怖くてガクブル状態でした。

いろんなスタッフの方々に、良くなるように祈っといてください、と言いまくりまして、ドクターにも言いました。すると、立ち止まり、手のひらを私に向け、「治れ~~~~!」と、ハンドパワーを送って行かれました。ありがとうございます(笑)

この時にそなえ、商品もなる

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余命1ヶ月だった私へ~治療編④~

余命1ヶ月だった私へ~治療編④~

出てきた胸水は、実に見事な赤色でした。
まぎれもないガンが転移した胸水です。
患者さんの胸水で見たことなかったものが、自分の肺から出てくると衝撃です。

そして困ったことも分かりました。
長期間、胸水が肺にたまっていたことで、左肺の底あたりが一部潰れていたのです。
そのため、身体に必要な酸素が足りず、酸素ボンベや車椅子での移動が必須となりました。
身体に対して、ほんの1~2センチ程度です。わずかな

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余命1ヶ月だった私へ~治療編③~

余命1ヶ月だった私へ~治療編③~

抗がん剤治療が始まりました。
それ以前から、例の商品も摂り始めていました。

ドクターからは、サプリとか何とか、病院が出す物以外は取らないで、と言われましたので、こっそり始めました。
病院以外からのものを取り入れると、何がどう影響したのか分からないからです。しかし、それを承知で私は摂りました。

自己責任、と言ってしまうと冷たいかもですが、ドクターから止められたことをあえてやるのですから、悪化して

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余命1ヶ月だった私へ~治療編②~

余命1ヶ月だった私へ~治療編②~

それと同時に、なんと病院での治療が決まりました。ホスピスで死を迎えるのはなく、治療なのです。
もともと、母も乳がんで、手術と抗がん剤治療を受けていました。その担当をして下さったドクターに、私のことを相談していたそうです。
娘は看護師なんですが、頑なに病院に行きたがりません、と。
その母に、1度こちらに連れてきてください、とドクターは伝えていたそうです。

やって来た1月下旬。フラフラしながら、それ

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余命1ヶ月だった私へ~治療編①~

余命1ヶ月だった私へ~治療編①~

無事に帰ってこれました。
ですが、身体はもう限界です。
いま息をしているのも不思議なくらい。
なので、会える人には直接お別れを伝えようと、何人かの友人知人に会いました。
今日が最期だから、と。
みな、涙ながらにハグします。
私もセンチメンタルな気分でした。

そんな中に、その人たちはいました。
みんな涙ながらだったのに、その人たち、なんと笑うんですよ、私を見て!
「もう打つ手がないなら、それを本気

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余命1ヶ月だった私へ~迷走編⑤~

余命1ヶ月だった私へ~迷走編⑤~

父は、なんと翌日にすぐに来てくれました。
大量のダンボールとともに。
部屋を撤収し、私を実家に連れて帰るために。

私の顔を見た瞬間から、こいつはきっともうすぐ死ぬだろうと思っていたと思います。
でも性格か、何も言わずに、片付けを始めました。

父が来てくれたおかげか、私はちょっと元気になり、冷蔵庫にあった具材を片付けるため、ちょっと料理をする気力も出てきました。

私は実家に戻るための最低限の荷

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余命1ヶ月だった私へ~迷走編④~

余命1ヶ月だった私へ~迷走編④~

結果として、父からは、直接の答えはありませんでした。
ただ、こう返ってきました。

「そんなふうに思っていたとは知らなかった。育て方に差をつけたつもりはなかった。親として、成人した子どもが治療方法に望みを出すなら、なんであっても、それを優先するしかない。ただ、親の願いとして、普通の治療を受け、体を治し、人生を全うしてもらいたいとは思う」

そんなふうに思っていたと、このとき、初めて知りました。

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余命1ヶ月だった私へ~迷走編③~

余命1ヶ月だった私へ~迷走編③~

何をしてもそれらしい結果は得られませんでした。

ただ、時間とお金を浪費する日々。

どうしよう、どうしよう・・・

藁にもすがる思いで、最後になる波動療法を受けましたが、結果、状態を悪化させただけでした。

こんなにも治したいと思っているのに、なぜ!?
どうしよう、治るはずなのに、どうしよう・・・

知り合いの方から、スポーツ選手も取り入れているサプリメントも紹介してもらい、毎日飲み続けるけれど

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余命1ヶ月だった私へ~迷走編②~

余命1ヶ月だった私へ~迷走編②~

胸を切るのはいやだ、絶対にいやだ!

という頑なな思いが、沸き起こってきました。
要は、ガンそのものが消えれば良いのだ。
そうなる治療方を探せば良いのだ。
これは、チャンスだ!ガンを消して、新しい自分に生まれ変わるんだ!
こんな気持ちで、手術を拒否した私の、代替医療を探すことになりました。今から思えば、世紀の大迷走の始まりです。

はじめは、福岡県内某所のビワ療法。次に八王子市に引っ越し、医師が行

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余命1ヶ月だった私へ~迷走編①

余命1ヶ月だった私へ~迷走編①

「・・・え?」
「左の乳がんです。いまならstage2なので、手術で胸を取れば治りますよ」
固まった私に、ドクターはこう言いました。
普通、告知するとき、物々しい雰囲気だったり、家族を呼んだりするんじゃないのか。クリニックの診察室で、ドクターとマンツーマン。グルグル回る私の頭。その中でサラッとこういうやり取りでした。

2016年5月、ガン告知を受けました。
左乳がん、粘液性タイプ

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2度目の病気で気づいたこと。

2度目の病気で気づいたこと。

私が体験談をお話させていただくとき、いまだと二部構成になります。一部は乳がんで余命1ヶ月だったとき、二部は転移性脳腫瘍が判明したとき。なんと人生で二度も、髪を失うというおまけ付き。

どんな方でも、余命1ヶ月を経験すれば、人生がまるで違ったもののように、生まれ変わったかのように受け止められるのでは、と思います。

ところが、私はバカでした。筋金入りで。

余命1ヶ月から奇跡的に回復したまでは良かっ

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